PERFECT DAYS :私も木漏れ日が好きだけど
映画「PERFECT DAYS」を観た夜の日記のようなものです。
私も木漏れ日が好きだ。
風に揺れる木をいつまでも見ていられるし、見ているだけでニコニコしてしまう。
トイレの天井に映る人影が面白くてニコニコするようなこともある。平山さん、すごくわかる。
私も写真のコレクションやりたいな。
映画のポスターには「こんなふうに生きていけたなら」というコピーが書かれている。
わかる。木漏れ日に幸せを感じられる感覚を持ち続けてれば、私もこれからの人生大丈夫かも、と一瞬思えた。
でも私は若い女なので、歳を取っても女なので、平山さんにはなれない。
もし、盗まれるものが何もないミニマルな生活に切り替えたとしても、鍵をかけずに外出はできないし、風の気持ち良い季節でも窓を開けて眠ることはできない。
コインランドリーに洗濯物を放り込んだまま銭湯でゆっくりすることはできない。
こうして生きている結果、迷子の子を見つけた母親のように、人の親切を見落としてしまう可能性もある。もちろん、できるだけ見落としたくない。
一人で飲み屋に入って、「お客さん」の一人として馴染んだ状態で「ママ」に憧れの眼差しを向けることができない。
たぶん、若い女が一人で入れる飲み屋も、もちろんあるだろうな。おじさんだったら言われないようなことをひとつも言われずに一人でお酒を楽しめる場所、見つけられたらいいな。
ニコはあの後どうなったろう。
いろんな世界を軽やかに越境しながら生きていってほしいな。
でも、生き抜いた先は、そこは離婚した元夫が初対面の男に「アイツをよろしく頼みます」と言うような世界かもしれない。物じゃあるまいし、「よろしく頼む」かどうかはママが決めることだろう、という抗議はそこには無い。
平山さんに見られたかも、という反応を見て元夫はママの平山さんへの気持ちを知ったのだろうが、それでもママの人生を決める権利はママにしかないんだよ。
公式サイト見たけどママには名前が無いんだな。歌がうますぎるママ、私は彼女の名前を知りたい。
映画の中で、幸田文やパトリシア・ハイスミスの名前がきらめいている。
彼女たちのような名を残す人になれなくてもいい。今の私のまま、平山さんのような一人の人間として生きていけたなら。
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