容姿のことばかりで楽しくない
11/20・21日で美術館巡りのバスツアーに参加した。久々にちゃんと生活圏外に出たら道行く人がみな綺麗で気後れしてしまった。自分以外が美人なのか、はたまた自分が不細工なのか。恥ずかしさで穴があったら入りたかった。こういう時は本当に心ゆくまで落ち込みたくなる。
自分の普段の生活圏内には年寄りやおじさんおばさんしかいないけど、たまに同世代の人とか、自分より若い可愛い子とかを見ると、自分と比較してしまい惨めな気分になる。この人たちは私が謳歌できなかった女性としての人生を楽しんでいるんだ、と思うととても美術どころではなく、ツアーの初日は猫カフェで時間を潰した。
私はこれまでも服や髪型を弄り自分がマシに見える方法を模索してきた。ややもすると歪んで見える自分の顔がどうすれば少しでもマシに見えるだろうと思って、ツアー2日目の大塚国際美術館ではピカソやクリムトの絵画の前で角度を変え表情を変え何パターンか写真を撮った。でもどれも結果は同じで、少し冷静になってからせっかくの美術館巡りを見たくもない自分の容姿を確認する為だけに使ってしまった事を反省した。
私が自分の顔にこんなに執着してしまうのは、きっと自分の顔立ちが母方の祖母・Y家の血を引いている事を思わせるからだ。祖母とは昔から会話のキャッチボールが上手く出来ず接し方が分からなかったが、その苦手意識は彼女が認知症になった事でさらに拍車をかけたと思う。
…そんな事を考えていたら母に『あんたの顔はY家よりI家の系統』と言われた。どっちにしても私は自分の顔が好きになれなくて苦しい。
自分の容姿をそれほど意識せずに生きられたらどれほど楽だろうと思う。帰路のバスの中、こうして文章を書いている間もずっと私の斜め前の席の人は美顔ローラーで顔をコロコロしていた。そもそも美しくなるにはこのくらいの熱量が必要なのか?