恋とは言いたくないが恋的な何か。鳴かぬ蛍が身を焦がしている話
久しぶりの恋?世界中に叫びたくなる。君が好きだと叫びたくなる。
「勝負だろうが」と河田弟に言いたくなるくらいには、闘争心が漲っている。
彼氏持ち一つ上、1年目の時にお世話になった方。顔も知らないその方へ、憧れと尊敬と感謝の念があった。その方とこの2022年から同じフロアで働けることになった。細かい経緯は割愛するが、とにかく一度直接お酒を交わして、憧れの感情は容易に恋慕へ変わった。
幾人の方とお付き合いしたことはあるが、1年続いたことがなく、自分自身はドライフラワーなのかもしれないと思っていた矢先のこれ。
3年前の失恋の傷も癒えてきたので、そろそろ次に燃え上がるような出会いがあるかもしれないと後輩と話していた矢先のこの出来事。
自らの先見の明に畏怖の念は絶えぬ。
乾いていたと思っていた私の中の井戸に、こんなにも豊潤な水があったとは。嬉しく、苦しい。
抱え切れないほどのこの熱をどう扱えば良いのか。
人生に新しい歓喜の光を刺してくれた彼女に対して感謝しかない。
恋という言葉で片付けたくないのは、私のエゴなのだろうか。否、今までにないほどのこの「アツイナニカ」をどう扱えば良いのかわからぬ混乱がそうさせるのだろう。
村上春樹著の「ノルウェーの森」の中にこんな一節がある。「どのような真理も、どのような誠実さも、どのような強さも、どのような優しさも、その哀しみを癒すことはできないのだ。我々はその哀しみを哀しみ抜いて、そこから何かを学びとることしかできないし、そしてその学びとった何かも、次にやってくる予期せぬ哀しみに対しては何の役にも立たないのだ。」とある。
愛しい方を亡くす痛みはまだないが、悲しい経験は自らを強くするが、それを越える悲しみが来た時にその経験は全く役に立たないと。幾たびの失恋の傷から得た経験やタフネスさも、その経験を越える失恋が生じた際は何の役にも立たない。ただ、そうした失恋の際に聞いた歌や対処方法は多少役に立つ。私の場合とりあえずヒトカラして歌いまくる。そして運動して沢山寝る。すると少し気持ちが軽くなっている。
この明らかに身の丈を超えた方への恋慕は成就することいとむずかし。と本能と経験が訴えている。私の中のリトルホンダも完全に萎縮している。おいおいと。傷つくとわかって戦うのかと?
今はどんな恋愛ソングも漫画も小説も私自身を焚きつけることはできない。すでにカンストしているのだこの恋慕バラメータは。
齢30歳を目前に、こんなことで悩むとは。筆を取ることでどうにかこの気持ちを客観視し、冷静に見つめ直そうと思う。
今はまだ何も見えないが、歩むことを辞めず、諦める理由を探す必要もなく、ただこの新しい感情を大切にしたい。WANTがCANTを超え、WILLへ変わり、輝かしい未来が来ることを夢見る。寝れぬ。仕事以外で寝れないのは何年ぶりだ。ヘイヘイ。茶化したくなるが、茶化せぬほど真剣だ。
山王戦に勝った湘北高校。恐怖を受け入れた先に最高の精神状態がある。と安西先生は言った。
決して見失ってはいけないことが一つある。これを忘れぬために筆を取ったと言っても過言ではない。
「相手の幸せを最優先に考えること」
ただこれだけだ。右も左もわからず、北の大地で奮闘していた私に優しく遠方から手を差し伸べてくれた顔も知らぬあなたへ。(今は知っているけど)
笑顔で生き続けることを願う。ことだ。まかり間違っても私の恋慕が彼女の笑顔を曇らし、働きにくくすることだけはあってはならないのだ。
少し冷静になってきた。私自身は誰と付き合っても幸せにする自信がある。今回は、幸せにしたい、能動的にそう思う。誰にも譲りたくない。
今まで本気で成し遂げたいと思ったことは全て成し遂げてきた。それは両親や兄弟、友人、同僚のサポートがあり、私自身の強い意志と努力が成し遂げてきたと思っている。今回も正直うまくいく気しかしない。
心は熱く、頭は冷静に。Be Cool!
末筆ながらウクライナで亡くなった多くの尊い犠牲者の方々に哀悼の意を捧げる。恋愛でこんなに悩むことのできる日本へ感謝し、世界中がそういった平和な(時に狂気にもなりうるが、それは次元の低い独りよがりなものに思う)環境が与えれられんことを。
数年後の自分が恥ずかしくも懐かしみ、笑って読めるよう願うばかりだ。ドシラフでこんな文章描いちゃう私はホントセンチメンタルジャーニーですわ。メンヘランコリニスタ過ぎて少し胃もたれする。