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JIGGER’S SON「素敵な日々」(1997)のこと

素敵な日々
作詞作曲 坂本覚
編曲 JIGGER'S SON & 土方隆行

あなたに会って初めて本当の恋をした
世界が変わるとても素敵な日々
迷いも憂鬱も寂しさも まとめてみんなサヨナラ
もうあなたより大切な人は要らない

僕の車に乗って
行く先も決めないで2人このまま
風に吹かれ旅に出よう

僕達がいつも 見慣れてたはずの
全てが初めて見るものに思えて
素敵な日々 素敵な夜空
あなたは楽しそうに
お気に入りのいつもの歌
歌ってくれるよ

あなたに会って初めて本当のキスをした
このまま続け とても素敵な日々
あなたを想う気持ちは上手く言葉にならない
そのもどかしささえも僕は愛しい

2人こんな風に
同じ景色見ながら暮らそう
なんて素敵な僕の人生

僕達はいつもどこかで待ってる
失くした片方の靴 探していたんだよ
素敵な日々 素敵な夜空
あなたの歌に合わせて僕も歌う
眠ることも忘れて 何度もキスして
素敵なあなたとの素敵なこの日々よ
いつまでも続け

とても素敵な日々

坂本 覚 Vocal,Chorus,A.guitar,E.guitar
渡辺洋一 E.guitar
坂本昌人 Bass
鈴木慎也 Drums
土方隆行 E.guitar,A.guitar

※「素敵な日々」発表時、坂本サトルさんは「坂本覚」という表記でしたので、インタビューの引用などは「覚」、地の文では「サトル」と表記しています。


ファン投票では「大丈夫」に次いで2位に輝いた人気曲

『素敵な日々』は、1997年3月21日にリリースされたJIGGER'S SON(以下、ジガーズサンと表記)の6枚目のアルバムタイトルであり、アルバムの1曲目に収録されているリードトラックです。
アルバム発売から2ヶ月後の5月21日にはシングルカットされ、バンドの11枚目のシングルとなりました。

2020年に予定されていた「JIGGER'S SON LIVE 2020 『BEST HIT JSS』」(※1)では、JIGGER'S SON曲の人気投票が行われ、
「素敵な日々」は、「大丈夫」に次いで堂々の2位を獲得(※2)。
名実ともに、ジガーズサンの代表曲としてファンに愛されている楽曲です。

※1 新型コロナウイルスの影響で中止となり、配信ライブ「おなじ空の下」に変更されて開催。
なおこの時の投票結果は、2022年のライブ「30th Anniversary 
JIGGER’S SON Live 2022『30年後のぼくら 』」
のセットリストにて反映されました。
※2 人気投票の結果は、坂本サトルオフィシャルファンクラブ「サトル部」で配信された第32回シューイチラジオ(2022年8月30日配信)で発表。

事務所やレーベルの移籍、音楽制作の環境や方法が変化した中で生まれた「素敵な日々」

事務所・レーベル移籍後初のアルバム曲として制作

1996年、ジガーズサンは所属事務所を移籍し、コロムビア・レコード内でもレーベルを移籍。
アルバム『素敵な日々』は、バンドを取り巻くスタッフや環境が変わり、新体制で制作されたアルバムでした。

当時のインタビューによると、
「移籍によってスタッフに全幅の信頼を寄せられる環境となり、バンドの曲作りを見つめ直すことができた。その結果、楽曲制作にも大きな変化があった」と、サトルさんは述べています。
これまでの作品と比べ、アルバム『素敵な日々』の制作は、以下の点がエポックメイキングであったとのこと。

①ジガーズサンがギターバンドであることに立ち返り、アルバム全曲をアコースティックギターで作曲。
また、それまでのデモ音源は、サトルさんがほぼ完成形まで作りこんでいたが、今作では最小限のアレンジにとどめ、メンバーでアイディアを出し合いながら曲を完成させた。

②前々作、前作とセルフプロデュースでアルバムを制作していたが、ギタリストの土方隆行氏を招き、信頼のおけるプロデューサーと合作した。

③作詞においては曲と同時に出てきたフレーズを活かし、編曲においては曲ができた初期衝動を薄めないアレンジを心掛けるなど、歌が生まれたときのインパクトを維持したまま完成することを意識した。

以下、インタビューを引用しながら詳しく述べていきます。


①アコギで作曲&ラフなデモ音源

今でこそ、「坂本サトル=アコースティックギター弾き語り」というイメージがありますが、バンド初期には、シーケンサーやキーボードで曲作りをしていたこともあったとのこと。
その頃は、曲の最終的な完成形を見据えながら、サトルさん一人で打ち込みをして作曲していたのではないかと思われます。

アルバム『素敵な日々』の制作では、作曲をアコースティックギターに変えたことで、量・質ともに納得のいく楽曲を作ることができ、サトルさんにとても合ったやり方を見つけられた、それはとても大きな出来事であったと、インタビューで述べています。
なおかつ、アコギ1本で作曲することで曲の強度が高まり、どんなアレンジにも耐えうる曲が出来上がっていったとのこと。
それまでは、サトルさんがほぼ完成形までデモ音源を仕上げ、それをバンドメンバーで再現するようなやり方だったそうですが、本作では、デモ音源はラフに仕上げ、メンバーと一緒にアレンジして曲を作り上げるという、バンド本来の姿に戻っていったとのこと。

「素敵な日々」で得られた制作スタイルは、それまで迷いがあったバンドの方向性を固め、バンドとしての結束がより強固となり自信もついた、と述べており、このアルバムの楽曲制作が、ジガーズサンにとって大きなターニングポイントだったことが伺えます。

──今回のアルバム制作で大きかったことって?

 今回はね、ギターに持ちかえて曲を作ったっていうことが、どれくらい僕にとって大切だったか、気づかなきゃいけないことだったかっていうのを思い知りましたね。自分達に一番ふさわしくて、自分達の能力を最大限に引き出せるやり方ってのが、ここにきてやっとわかったって感じなんですよね。曲作りも、ホントにこんなに量、質ともにすごい勢いでできたことも今までないし、あっという間にできたんで、ホント今回は作るっていうよりもあふれるっていうか、初めてそういう感覚を味わったっていうのかな。

──今までキーボードで作ってたのを、なぜ今回ギターに持ちかえようと思ったの?

 あの、僕はすごいバンドにあこがれてバンド始めてるでしょ。子供ばんどとか。でも気がついてみたら、自分が理想としていたバンド像と、自分達がやってるバンドっていうのは、違ってるんですよね。ジガーズサンていうのはアレンジにしても、僕がデモテープでもうある程度の世界観を、「えっ、もうこれこのまんまじゃない」みたいに作って、いうなればもう十中八九まで決めたものの、残りの1とか2をバンドでいじるみたいな、そういうやり方をやってきててね。だからバンドでありながら、バンドっぽくなかったですよね。ソロっぽいっていうか。まあ、そのやり方が果たしてどうだろうっていうのは、実はずっとあったんだけどね。

──でも、そのままやってきたと?

 うん。で、それで結果が出ればこういうやり方もあるだろうって、それでいいと思ってただろうけど、まあこれはラッキーだと思うんだけど、そのやり方では結果が出なかったんだね。で、一応移籍って状況になって。でもその時はまだ、自分の理想としてるバンド像と実際の自分達にギャップがある原因がそれだというのは、あまりわかってなかったですよね。なんか違和感は、感じてたんだけど。それがあからさまになったのは、新しいスタッフと一緒に曲出しのミーティングやった時ですよね。今までみたいに僕がアレンジきっちり決め込んで作っていって、こんな曲できましたって聴かせた時に、こんなデモテープ持って来られても困るっていわれて。これじゃあいじりようもないし、もうそうだねとしかいいようがない。もっとデモテープっていうのはラフなもんでいいし、ギター中心のバンドなんだから、ギターで作ろうよって。で、これが偶然なんだけど、たまたま中学の時に買ったギターを、実家から持って来てたんですね。2万円で16年前に買ったヤツ。それがすごいいい音してて、それをスタジオに入って持った瞬間に、違和感が全部なくなったっていうか、スイッチがポンと入ったみたいな感じで、あ、これだってわかって。その日のうちに、何曲作ったか忘れるくらい作ったの。

──なんか、しっくりいく感じがあったんでしょうね。

 結局ね、作詞とか作曲っていうのは、自分の中にあるものを外に出してあげる作業なわけですよ。だからそのための道具は、本当に使いなれた道具を使って出してあげないと、それは難産になるのはあたりまえの話で。で、あきらかにギターだと自由度が高いなと思ってね。鍵盤なんか、難しいこと弾けないわけ。なんでオレはこんな簡単なことに、今まで気づかなかったのかなと思ってね。

最近の主なMY WORK PAGE VOL36
ジガーズサンインタビュー
インタビュー・文 角野恵津子

②ギタリスト土方隆行さんとの共同プロデュース

ジガーズサンは、デビュー作「自画自賛。~大切な君だから」1992年)から、おなじ空の下で(1992年)幸せになりたい。(1993年)までの3作品を、キーボーディスト守時龍巳さんをサウンドプロデューサーに迎え制作。
続く「JIGGER'S SON」(1994年)、あなたの味方(1995年)の2作品をセルフプロデュースでリリース。
アルバム『素敵な日々』では、バンドのキャリアとして初めて、ギタリストをプロデューサーに迎え、ジガーズサンとの共同プロデュースで制作されました。

土方隆行さんを迎えたことについては、サトルさんやバンドからのご指名ではなかったそうですが、とても相性の良いプロデューサーだったようで、楽曲制作の上で大きな支えとなったようです。

ギターバンドの持ち味を活かし、シンプルで力強く、バンドの温かみが滲みでるアレンジは、現在のジガーズサンにも繋がるサウンドメイクであり、土方さんのプロデュースによって、ジガーズサンの目指すバンドスタイルが固まったのではないかと思われます。

ジガーズサン・ヒストリーにおいて重要人物の土方隆行さん。
土方さんは、次作のアルバム「バランス」(1998年)でも共同プロデュースとして参加されています。

―レコーディング中のメンバーの雰囲気なんかもかなり違ってた?
坂本昌人 違いましたね。僕は本当に気楽にできた感じです。前の2作品がセルフ・プロデュースってことで、とにかく自分たちでよりいいものを作らなきゃってことばかり考えていたんですよ。でも、今回はプロデューサーがちゃんとわかってくれてて、いいものはいい、いらないものはいらないって言ってくれるんで、自分のできることだけを、しっかりやってくればよかったんです。
(中略)
渡辺洋一 やっぱり土方さんの存在は大きいですね。煮詰まったとき、すごく頼りになったし。
覚 土方さんは、一言で言うと、間引きのプロデュースなんですね。何かを加えるんじゃなくて、これが多い、これが邪魔って、どんどんよけいなものを取っていく。それが、僕らにピッタリだったんですね。歌やメロが持っている強さみたいなものをぼかさないで、きっちり伝えることができたと思います。
鈴木慎也 今までの僕らは、聞き手に対して親切すぎたんですよね。ここではこういう雰囲気を感じ取ってほしいというのを、音でコメントしちゃってた。それが余計だったと。
 言い方換えれば、押しつけてたっていうことですよね。だから、変にもう分厚い音はいいやって。(中略)本来自分がやるべきフィールドにちゃんと立ってやってるって気持ちはありますね。

「ARENA37℃」(1997年4月号)
テキスト 小野緑

──ジガーズサンてデビュー当時はプロデューサーがいて、それからセルフプロデュースになって、またもう一回、プロデューサーが必要だと感じたの?

 うん。感じましたね。で、ギタリストじゃなきゃダメだと思った。というか、僕らはギターバンドなのに、なんで最初キーボーディストのサウンドプロデューサーがついちゃったのかなって、ホント今思うと疑問に思うことで。でもその時は、キーボードってとこに自分の興味がバーッといってたから、キーボーディストのプロデューサーがほしいと思ったのね。でも今はね、なんかおもちゃに飽きちゃったじゃないけど、長居するとこじゃないなと思って、キーボードの世界は。で、僕らよりも絶対経験も知識も上のギタリストと、一緒にやりたいっていうのがあってね。

(中略)
──で、やってみてどうだった?

 僕が、土方さんでよかったと思ったのはね・・・・あのね、ある程度は覚悟してたんですね、譜面をパンと渡されるもんだと思って。そしたらぜんぜんそんなことなくて、5人でスタジオ入って楽器持って、いきなり「どうしようか」っていわれてね。それで、そうか、何から何まで決めていくタイプのプロデューサーじゃないんだなと思って。だからいろんなものを提示していって、こういうのどうだとか、ここにこういう展開をつけてとかいうことってほとんどなくて、基本的に僕らがやりすぎてたものを、いやあ、これはよけいだよとか間引いていく。でも、絶対変えちゃいけないとこは最後まで変えないしね。で、それがなんか歌の輪郭をぼやけさせないっていう。そういうやり方だったから、よかったなって。

最近の主なMY WORK PAGE VOL36
ジガーズサンインタビュー
インタビュー・文 角野恵津子

③曲と同時に生まれたフレーズを活かし、最初から最後までハッピーな気持ちを維持して作詞

「素敵な日々」の作詞も、サトルさんにとって、とても革命的であったと当時のインタビューで述べています。

まず1つ目は、
「曲と同時に出てきたフレーズをそのまま活かして作詞をする」ということ。
サトルさんは現在でも、「曲と詞が同時に出てきた歌はとても良いものになる」と仰っています。
それまでは、日本語のイントネーションや、助詞が与える言葉の意味や印象など細かい部分までこだわって作詞をしていたそうですが、今作に関しては、いったん目をつぶり、曲と詞が生まれた初期衝動を薄めないように意識しながら作り上げていった、とのこと。

楽曲が生まれた瞬間のインパクトを維持したまま曲を完成したことによって、「素敵な日々」は、詞・曲ともに生き生きとした魅力と力強さを備えた、エネルギッシュな1曲となっています。

「今回は、ほとんど全曲がそうなんですけど、曲の中の大事な部分はみんな、詞とメロディが一緒に出てきたんです。なんでこんなものが出てきたのか自分でも理解できない…衝動的に生まれたものばかりで。だから、曲として、とっても強いんですよ。有無を言わさぬものがある(笑)。
 最初に出てきた詞っていうのは、紙に書いてみると、日本語的にツジツマが合わなかったりするんですけど。いつもは、そういうツジツマをすごく気にするほうなのに、今回はそれさえもどうでもいいやと思わせるくらいの、強い曲がどんどんでてきて…。
(中略)
 今回は、”最初に出てきた言葉は、最後まで変えない”っていう方針を決めたんです。」

「R&R NEWS MAKER」(1997年4月号)
インタビュー・文 枡野浩一

そして2つ目は、
「素敵な日々」では、曲と同時に出てきた冒頭のフレーズ
「♪あなたに会って初めて本当の恋をした 
世界が変わるとても素敵な日々」

という歌詞の持つ幸福感を、最後まで維持することを目指したこと。

今までは、「歌詞の中に必ずブルーな要素を入れていた。その方が共感性も高いから」と、最初から最後までハッピーな世界観を持続したまま詞を書きあげるのは、サトルさんにとってもチャレンジであったとのこと。

そうして出来上がった歌詞は、
「ハッピーの裏側にある悲しさもチラチラ見え隠れするようになった。
盲目的に、何も知らずに『素敵だ』と言っているんじゃなく、いろいろあってたどり着いた「素敵さ」があるんじゃないかと思った」
と、ただただ明るい言葉を薄っぺらく並べただけではない、
人生の深みを帯びた歌詞世界を表現することができたと述べています。

サトルさんにとって、作詞においても、自身のステップアップの手応えが感じられる歌詞となったようです。

「たとえば『素敵な日々』という曲では、”あなたに会って初めて本当の恋をした 世界が変わるとても素敵な日々”という2行分の長い詞が歌として出てきたんです。でも、それでこの歌の全部を言いきっているわけで。あとはラララ~だけでもいいかなというくらい(笑)。この曲が今回の象徴だとおもうんですけど、ここで言い切ったハッピーな世界を最後まで持続させたいと思ったんです。それは今回の全体のテーマでもあるんですけど、いままでの僕は2コーラス目で必ずブルーな世界にいってた(笑)。そうすることで内容が膨らむから文字数が埋まって…。でも今回は最初から最後までハッピーでいきたかった。ただ、こうやってできあがってみると、ハッピーの裏側にある悲しさもチラチラ見え隠れするようになった。盲目的に何も知らずにすてきだって言ってるんじゃなくて、いろいろあってどこかに辿り着いたすてきさがあるんじゃないかって、勝手に思ったんです」

「ギターブックGB」(1997年5月号)
聞き手・文 岡本明

「”素敵な日々”なんていうのは、自分の中でかなりの革命だと思ってるんですけど、最初から最後までブルーな部分がない、”底抜けハッピー!”みたいな歌でしょ?(笑)」
●底抜けハッピー(笑)。それって革命なんですか?
「革命です(笑)。前の僕だったら、対比として過去の哀しかった自分も書いて、でも今はハッピー、みたいな書き方をしてたんですよ。だけど今回はそうじゃない。でもこれは僕が勝手に思ってるだけかもしれないけど、どの曲もすべて底抜けハッピーでありながら、ほろっとさせるものが常に隣を走っているような、そういう不思議な詞になったと思うんですね」
●うんバカ明るくない。だから底抜けハッピーというよりは、哀しみを知った人のハッピー、みたいな。
「そうですね。一回りしてきて、世の中とかも見えてきて、それでもやっぱり僕はハッピーだなと。その”それでも”っていうね」

「B-PASS」(1997年4月号)
聞き手・文 赤木まみ

「今までの僕だったら、たとえばサビのところで『素敵な日々』って歌ったとしても、詞のどこかで否定的な要素を入れていたと思うんですよ、”いや、よく考えれば悲しいこともあったしな”なんて言っちゃったり(笑)。ひとつの気持ちを持続したまま、一曲を最後まで書ききることができなかったんです。
 今回はね、あえて最後まで同じ気持ちで書きたい、って思った。で、最初から最後まで『素敵な日々』ってことを歌ったとして、その結果、無知な、世の中に目を向けていない、盲目的な詞になるかっていると、けっしてそうではないと思ったんです。そういう『素敵な日々』の隣を、常に何かもの悲しさというか、ぐっとくるものが、一緒に走っているというか…。あとで自分で曲を聴いてみたときも、もっとハッピーになるかなと思ってたんですけどね…。」

「R&R NEWS MAKER」(1997年4月号)
インタビュー・文  枡野浩一

枡野浩一さんによるジガーズサン評

少し話が横道に逸れますが、上記「R&R NEWS MAKER」のインタビュアーの枡野浩一さんは、現在は歌人として活躍されていらっしゃいます。

「R&R NEWS MAKER」1997年4月号掲載のインタビューの中で、枡野さんはジガーズサンのことをとても好意的に応援してくださっており、以下のジガーズサン評は、サトルさんやジガーズサンのことをとても的確に表した素晴らしいコメントだなと嬉しくなりました。
以下に引用して紹介します。

 坂本覚の伸びやかな歌声は、たとえるなら、心のシワを伸ばしてくれる「ゲルマニウム美容ローラー」のように冷たくて気持ちいい。(といっても、あの「ゲルマニウム美容ローラー」が冷たくて気持ちいいものなのかどうか、僕は知らないのだけれど)。
 淡々と平たく伸ばす感じの歌い方に、奥田民生のヴォーカルスタイルを連想する人もいるかもしれない。僕が勝手に想像するに、こういう歌い方をする人は、とっても”照れ屋さん”なのだ。(中略)
 ジガーズサンの詞は、「すこやか」なところが好きだ。今の時代、こんなに「すこやか」でいられるというのは、ほとんど奇跡的なことではないか。そして、「すこやか」な詞をつくるのが純粋で無垢な人間であると考えるのは、短絡的すぎる。坂本覚が不純で垢だらけの人間であるとは言わないが、少なくとも人生の機微に敏感であることは確かだ。
 ニューアルバムのタイトルは、『素敵な日々』。皮肉や逆説としてではなく、あくまで真顔で『素敵な日々』を歌う坂本覚は、強い人なのだと僕は思う。

「R&R NEWS MAKER」(1997年4月号)
インタビュー・文  枡野浩一
「R&R NEWS MAKER」(1997年4月号)①
「R&R NEWS MAKER」(1997年4月号)②

「素敵な日々」は永遠に続かないから愛おしい


以下、「素敵な日々」に対する私の個人的な所感です。

サトルさんの表現するパートナー観

サトルさんはラジオなどで、「素敵な日々」の以下の歌詞がとても気に入っているとお話されています。

僕達はいつもどこかで待ってる
失くした片方の靴 探していたんだよ

「素敵な日々」

愛する人を「どこかで待っていた 失くした片方の靴」と例える歌詞は、
映画「君の名は」(2016年・新海誠監督)を彷彿させる、赤い糸で結ばれた運命の人、自分の片割れにやっと出会えた、そんな気持ちの高まりを表現しているようです。

また個人的に、「失くした片方の靴」という歌詞の持つ意味合いとして、「運命の人に出会えた」ということのほかに、2つ揃って初めて本来の姿になるという、「自分の欠けた部分をやっと見つけられた」「不足していたものを埋められた」という喜びも含まれているように感じました。
サトルさんの楽曲では、ソロ1stアルバムに収録の「Yellow」に出てくる以下のフレーズに近いのかな?、と思いました。
サトルさんの理想とする恋愛観やパートナーシップは、お互いを補い合うような、相補性を大事にした関係なのかな、と考えました。

僕に足りないものを全部
君が持って生まれてきた

坂本サトル「Yellow」(1999)


「素敵な日々」の切なさと愛おしさ

シンガーソングライターで作詞家・作曲家の多田慎也さんは、以前「坂本サトルミリオンレディオ」(エフエム青森)で、ジガーズサンのシングル曲の中で「この曲だけ陽キャ」と、評していらっしゃいました。
そのくらい、「素敵な日々」のポジティブな歌詞はインパクトがあり、従来のジガーズサンの楽曲とは一線を画す魅力を放っているのだと思います。

上述したように、この曲はサトルさんが初めて「最初から最後までハッピーを持続できた歌」であり、その歌詞は、徹頭徹尾すべてがハッピーでありながら、なぜか泣きたくなるような切なさを内包しているようでもあります。

「素敵な日々」は、人生の本当にすばらしい幸福な時間を4分30秒に閉じ込めた、すてきな楽曲だなと思います。
突き抜けた幸せの歌のはずなのに、胸をきゅっと締め付けるような何かがあるのは、人生を重ねるうちに、「幸せな時間は永遠に続かない」と気がついているからなのかな、と思いました。
だからこそ、有頂天な瞬間こそが人生の尊さであり、「幸せな瞬間」「素敵な日々」がとても愛おしく、この歌がリスナーに寄り添い、力をくれる一因なのかなと思いました。

昨年のジガーズサンのライブは、渡辺洋一さんがご病気で欠席となり、漠然とずっと続く、ずっとできると思っていたものが、実はそうではなかったのだな、という状況と、少し重なりました。

「素敵な日々」をいつまでもいつまでもライブで楽しめることを祈りながら、今年こそ、バンドのフルメンバー4人が揃った2024のジガーズサンライブを楽しみに待ちたいと思います。

*参照インタビュー
・「ARENA37℃」(1997年4月号)インタビュー(テキスト・小野緑)
・「R&R NEWS MAKER」(1997年4月号)インタビュー(テキスト・枡野浩一)
・「ROCK'N ON JAPAN」(1997年4月号)インタビュー(テキスト・兵庫慎司)
・「GB」(1997年5月号)インタビュー(テキスト・岡本明)
・「B-PASS」(1997年4月号)インタビュー(テキスト・赤木まみ)
・角野恵津子さんブログ 最近の主なMY WORK PAGE VOL36 JIGGER'S SONインタビュー


JIGGER'S SON LIVE2024 「ローリング&タンブリング2」開催!

1年に1度のIGGER'S SONライブ。
2024年も、バンド結成の地・仙台で開催されます。
今年はなんと、開催1カ月前にチケット完売!
昨年は渡辺さんがご病気のため残念ながら不在となりましたが、
今年は、メンバー全員+佐藤達哉さんのフルメンバーが揃ったライブを見られること、楽しみにしています!!

★2024年07月27日(土) 仙台市
JIGGER'S SON Live 2024
「ローリング&タンブリング 2」
今年こそ4人が揃うのか!?
*会場:仙台 darwin
*時間:open 17:00 / start 17:30
*料金:全席自由前売¥7,000(1drink別) 完売しました。
当日券の販売予定はありません。


JIGGER'S SON LIVE2023「ローリング&タンブリング」

2023年のライブ配信アーカイブ。「素敵な日々」も歌っています。(2024/07/18現在は非公開)


■JIGGER'S SON LIVE2023のライブレポです。

■JIGGER'S SON LIVE2022のライブレポです。


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