坂本サトル『天使達の歌』&ソロデビュー24周年/『天使達の歌』から『Hometown Music Life』へ
2月20日は、坂本サトルさんのソロ1stシングル『天使達の歌』が発売された日。
同時に、シンガーソングライター「坂本サトル」のソロデビュー日でもあります。
今年は、『天使達の歌』の発売、そしてソロデビュー24周年。
昨年から積極的なライブ活動を再開し、今年はさらに飛躍的な活動を予定されているサトルさん。
24周年をお祝いするとともに、
『天使達の歌』に込められた、サトルさんの思いを考察してみようと思います。
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故郷・青森の原風景に立ち返って生まれた『天使達の歌』
『天使達の歌』が生まれた経緯は、以前、自分のnoteに記載したことがありますが、サトルさんがそれまでの人生で最も深く落ち込んだときに、「自分を励ますための詩を書こう」と制作された楽曲だったとのこと。
サトルさんが詩を書くときに思い浮かべたのは、
「まだ子供だった頃、両親のこと、ギターを初めて買ってもらった日、バンドを始めた頃、デビューが決まってバンドのメンバーだけで引っ越ししたこと、ソロを選んでからその日までのこと、今、隣りの部屋で寝てる家族のこと…」。(坂本サトル著『終わらない歌。』より)
もともと、ソロ・ワークを始めるにあたり、デザイナーの駿東宏さんから「ソロでやっていくということは自分をどんどんさらしていくことなんですよ。だから坂本さんの実家で(ソロ・ワーク用の)写真を撮りたい」との提案を受け、青森で写真撮影を行うなど、地元との関わりを見つめ直す機会があったサトルさん。
「青森を客観的に見直し認めることで、気持ちが楽になって、すっと道が開けた」と、自分の気持ちが自然と青森、東北へ向かっていったと、ご自身の著書やインタビューで述べています。
青森県のりんご農家に生まれ、ご実家のリンゴ畑や、延々と続く田園風景に抱かれながら、子ども時代を過ごしたサトルさん。
「西の空にまだ星が残る冬の朝
凛として乾いた空気を深く吸い込んで
さあ行くんだ 旅は始まったばかり」
「春を待つ道端の草や花 氷の下で流れる川
そしてやがて広がる街明かりでさえもが
疲れた君を癒してくれるだろう」
清々しい東北の空気感を閉じ込めたような、雄大さと優しさが滲む、サトルさんしか生み出せない素晴らしいリリックが、リスナーの心を癒し、深い共感と共鳴を呼びました。
『天使達の歌』は、青森・東北への気持ちの回帰がなければ、生まれなかった歌でした。
『天使達の歌』に潜ませた決意と覚悟
『天使達の歌』が抱く共感と問いかけ
「今まで生きてきた人生すべてを肯定した上で、音楽を作ろうと思った」という、サトルさんの想いから生まれた『天使達の歌』。
その歌詞は、強く優しく、揺るぎなく、夢に向かって進む人々の戸惑いと不安を打ち消し、励まします。
しかし歌の中には、実はそれとはまったく逆ともとれる、厳しいまなざしも潜んでいます。
雑誌『RollingStone日本版』のシニアライター・ジョー横溝氏は、とある音楽記事で、「優れた音楽には、”お前はこれでいいんだ”という肯定と、”お前はこれでいいのか?”という問いかけの両方がある」と述べていたことがあります。
『天使達の歌』は、
「歩いても 走っても 休んでも ときどき戻ってもいいから」
「遠回りしても 迷っても けがれても 汚してしまってもいいから
どうかその旅をやめないで」
「君が決めた事 誇りに思って」
と、自分が決めた道を信じて「そのまま進んでいいんだよ」と、励まして、肯定して、背中を押してくれます。
しかし同時に、自分の決めた道を進むということは、
「けがれても 汚してしまっても」、
「激励の歓声も 心ない言葉も 上手く聞き流して」、
「笑われても 涙こぼれても 大切な人が君の元を去っても」
それでも諦めずに続けるということである、とも伝えています。
「その覚悟がお前にはあるのか?」と、自分に、あるいはリスナーに問いかけている様でもあります。
旅の終わり=夢の終焉を歌った歌詞
『天使達の歌』は、「誰もいないゴールでその旅を静かに終える日」、
つまりはっきりと、夢の終焉を歌っています。
頑張ったことが報われないかもしれない。
だけど、夢を諦めなかった者だけに聞こえてくる祝福の福音がある。
自分が頑張ったことは、誰でもない、自分が一番よく知っている。
サトルさんが『天使達の歌』の詩を書いたとき、
自分の旅が「誰もいないゴールで静かに終える」結果になるかもしれないと、夢の終焉を想像していたのかと思うと、身悶える様な不安や葛藤、苦しみが垣間見えます。
しかしそれでも、バンドのために、自身のために諦めるわけにはいかないと、「どうかその旅をやめないで」と自分に言い聞かせ、自身を奮い立たせていることもまた伝わってきます。
以前書いたnoteの記事で、私は、この歌の「天使」とは何のメタファーなんだろう?と考えた事があります。
きっとサトルさんの中には明確な答えがあると思うのですが、私の中でも、とある一つの可能性を見つけました。
あくまで個人的な私の想像ですが、
「『天使』とは何か」ということはいったん脇に置いておいて、
歌の主人公がその旅を終えるときに聞こえてくるのは、
「”天使達”の歌う”歌”」なのではなく、今まさに自分が歌っているこの『天使達の歌』そのものなのではないか、ということです。
つまり、自分の最後、言うなればお葬式に歌うような歌を作ってしまった、という可能性。
自身のソロデビュー曲が、自身の音楽の旅の終焉のことを歌った歌になろうとは。
それこそ命を懸けたような相当な覚悟と、音楽への情熱がなければ、生まれなかったのではないかと想像してしまいます。
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『天使達の歌』を聞くと、癒され、励まされ、それと同時に、背筋が伸びるような、身が引き締まるような思いがするのは、
「音楽を続けていくということは、自分が決めた道を進むということは、こんなに厳しいことなんだ」「それでも進んでいくんだ」と腹を括った、サトルさんの全身全霊をかけた「決意」と「覚悟」が感じられるからなのかもしれない、と思いました。
そして『Hometown Music Life』へ
24年前、故郷・青森の原風景に立ち戻って生まれた『天使達の歌』は、
東北・北海道限定のインディーズ発売からスタートし、路上でライブを行いその場でCDを手売り販売するという手法も注目を集め、1万枚以上を売り上げ、メジャー全国盤の発売を果たしました。
数百回にも及ぶストリートライブは、サトルさんの発声方法を変え、歌声を変え、音楽に向き合う姿勢を根底から変え、サトルさんの音楽活動の新しい扉を開きました。
’14年に、活動拠点を青森市に移したサトルさん。
地元・青森から全国へ音楽を届け、また青森や宮城のラジオ番組のパーソナリティや、配信動画のドキュメンタリーのナビゲーターを務めるなど、多方面にわたりクリエイティビティを発揮されています。
青森での生活が9年目を迎える今年、
サトルさんは青森で、自身のライフワークになるであろう新しいイベント、青森の音楽文化を盛り上げる『Hometown Music Life』の開催に挑戦するとのこと。
青森に原点回帰して生まれた『天使達の歌』は、
サトルさんの新しい音楽の道を切り拓き、
今なお、サトルさんの音楽活動の礎として存在しています。
今年はついに、サトルさんが青森の音楽文化を盛り上げる大きな役割を担うということに、
『天使達の歌』とともに歩んできた24年の偉大さと重みを感じます。
きっと、今年のイベント『Hometown Music Life』も、大きな決意と覚悟、そして大きな夢をもって、挑まれるのだろうと思います。
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もしもいつか、サトルさんが音楽の旅を終えるときがきたらーー。
その時に「空から降り注ぐ祝福の喝采」が聞こえるとするならば、
もしかしたらそれは、サトルさんがそれまでの音楽人生で浴びてきた歓声や拍手の渦なのかもしれません。
そうだとしたら、自分がいつかのライブで送った拍手も、その大きな喝采を構成する小さな一つになっていたら嬉しい。
そしてその拍手を、サトルさんの音楽活動が続く限り、自分のできる限り、これからもたくさん届けたい。
サトルさんの25年目も、応援しています。
昨年5月に書いた、『天使達の歌』の記事です。
個人的な『天使達の歌』おすすめ音源3選なども記載しています。
よろしければご覧ください。
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