自分のボカロと歌ってみたに対する思想

この度は熱異常の動画にてセカイバージョンを侮辱して多くの人を不快にしてしまったことをここに謝罪します。大変申し訳ございませんでした。具体的には「セカイバージョンなんてなかった、いいね?」といった発言をしてしまいました。

ここまではYouTubeのコミュニティ通りです。そしてなぜ今までTwitterの方では何の謝罪もなかったのかというと、「偏った情報による誤解されたイメージの拡散」が怖かったからです。この期に及んでまだ自分の体裁を気にしているのは最低だと自覚しております。しかし自分のボカロ、セカイバージョン、そして歌ってみたに対する思想はYouTubeのコミュニティでもXでも説明しきれないからどう足掻いても認識の齟齬が生じる、ならばもう黙り込んでしまおうと思ってしまいました。ですがXやYouTubeのコメントで様々な意見が飛び交っており、このまま放置するのは駄目だと思いこのnoteを書くことにしました。かなりの長文ですが最後まで読んでくれると幸いです。

熱異常のセカイバージョンについて

まずYouTubeのコミュニティでも触れましたが、なぜ自分が熱異常のセカイバージョンを受け入れられなかったのかの説明をします。自分は熱異常の世界観をアポカリプスが起きた後の崩壊世界でレイが遺されたレコーダーを聞いているものだと「勝手」に解釈していました。この世界観とニーゴのストーリーの世界観が乖離しすぎていて違和感を覚えました。それでもセカイバージョンが追加されているということは何かしらの意図があると思い何度もセカイバージョンの熱異常をカバーを聴きました。しかしどうしても歌詞とニーゴの世界観の共通集合が分からない。コメント欄の考察を見てもしっくりくるものはない。自分はその程度の稚拙な感性だったいう訳です。

「バーチャルシンガーバージョンとセカイバージョン分けられてるんだから垣根を越えて文句言う意味がわからん」本当にごもっともな意見だと思います。しかしこの後話すセカイバージョンそのものについての話で詳しく触れますが、自分は「逆にプロセカではセカイバージョンを収録しないという選択肢があるのになぜ収録したのか」と考えてしまいました。

セカイバージョンについて

今回の騒動で「豆カカオはそもそもセカイバージョン自体嫌いなのではないか」といった意見が見られたのでここでハッキリと断言しておきます。絶対にそんなことはありません。そもそも自分の性格上もしセカイバージョンが嫌いならここまでプロセカをプレイし続けられないです。なのでここでまず、なぜひねくれた自分がプロセカというコンテンツを受け入れられ、楽しんでプレイ出来ているのかを話します。

結論からいうと世界観の棲み分けを出来ているからです。ODDS&ENDS、グリーンライツ・セレナーデ、ヒビカセ、難聴系男子が倒せない、etc……といった曲は自分の中では「ボカロが歌うからこそ解釈一致する」曲です。これらの曲は決まってバージョンシンガーバージョンonlyでした。逆に「これは人が歌おうがボカロが歌おうが解釈一致するな」という曲はセカイバージョンも収録されていました。この丁寧な配慮のおかげで自分のような厄介オタクでも心からプロセカを楽しむことが出来た訳です。なので熱異常は自分の中では特例中の特例でした。今までプロセカ側の配慮と自分の思想が一致していたのがいきなりズレて、そのショックもあって言葉が強くなってしまった節はあると思います。

じゃあセカイバージョン自体は嫌いじゃないけど要らないとは思ってるのか。要ります。こんな自分でも「セカイバージョンいいな〜!」って思う曲、何曲もあります。我儘姫、ミラクルペイント、ビターチョコデコレーション、ジェヘナ、夜もすがら君想ふ、幾望の月、マシュマリー、気まぐれメルシィ、夜咄ディセイブ、トラフィック・ジャム、オルターエゴ…数えてたらキリがありません。特にジェヘナはかなりのお気に入りで「原曲とは違った解釈ができる」の究極系だと思っています。またこれも勘違いしてほしくないのが「歌が下手だから嫌い」「キャラが好きじゃないから無理」といった理由での批判は自分の信条的にも絶対に、何があってもしません。東方コラボの動画を見てもらった人なら分かると思いますが、自分は何かを語る時相手の方へのリスペクトも必要だと考えています。こういう偏った思想を持ってるが故、ボカロほどでは無いけどもセカイバージョンに対しても人一倍のリスペクトを払っているつもりです。しかし熱異常の動画ではこれを忘れてただ単にセカイバージョンを批判しただけになってしまいました。思い返せば思い返すほどいかに下劣な行為だったかが身に染みます。重ねて言います、本当に申し訳ありませんでした。

歌ってみたについて

ボカロ曲を人が歌うのはどうなのか。根本的な話です。あまり歌ってみたに対して直接的に語ったことはないので今回ははっきりとさせます。歌ってみたは「ごく一部の曲」を除いたら基本的には素晴らしい創作だと思います。というか普通に自分も聴きます。好きな歌い手さんだってたくさんいます(そらまふうらさかの皆さん、メガテラ・ゼロさん、ななひらさん、adoさん、星街すいせいさん、96猫さん、etc…)

小学6年生の頃にまふまふさんの命に嫌わせている。やSNOBBISM、ロキの歌ってみたにどハマりしましたし、今でもななひらさんのLovely Kitchen、スターダストメドレー、最近でいうとメズマライザーを聴いて「良すぎ〜」っなっています。話が少し脱線しましたが要は歌ってみたも好きだということです。

ただ、自分がまだ正面から受け入れられることが出来ないものは「自分がボカロが歌うからこそ意味があると勝手に解釈している曲の歌ってみた」です。これに該当する曲は本当にごくわずかです。いつも自分はこのごくわずかな部分にフォーカスして意見を述べていたので歌ってみた全体に嫌悪感があると勘違いされがちですがそんなことは無いとキッパリ否定しておきます。ボカロは歌ってみたと共に発展してきた文化ですので歌ってみたを否定することはボカロを否定することにも繋がりかねません。

最後に

改めまして今回は本当に申し訳ありませんでした。普段からファンに甘やかされ、何を言っても怒られない、尖った俺カッケー状態になっていました。今回の炎上でごもっともな批判をたくさん頂いて、自分を見つめ直すことが出来ました。中でも自分に1番響いたコメントが「カバーを原曲と同じ世界観で捉えるからいけない。カバーの方をまた別の世界観で捉え直して違う見方や考察をするべき」という意見です。本当に刺さりました。返す言葉もございません。今後はこの考え方を取り入れて、偏った思想を正すことが出来たらと思います。

そして最近はこの発言以外にも色々不適切な発言をしていることに気づきました。でいどりーむが伸びる前まで自分はたくさんの人に見られているという自覚がありませんでした。普段から自分は色んなボカロPの方々を応援していて、自分は他人を応援する側の人間だと思っていましたが、自分自身も応援される側だという事実がありました。それなのに多方面を敵に回すような発言を重ねてしまい情けないです。表現がどうたら語る身としてダサすぎる。最低です。

今後は今回の件を重く受け止めて、プロセカが好きな人も合成音声が好きな人も楽しめる実況、そして曲を作るという根底の目的を見つめ直して、それを第一線で行っている当事者であるということを自覚した行動をできるよう努めます。

ここまで読んで自分のことが嫌いになった人がいても構いません。責任は全て自分の行動、発言にあります。それでも自分が改心すると信じて応援してくれる人がいるなら、裏切らないように尽力したいと思います。ここまで読んで頂きありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?