あおいくま
おはようございます(^O^)/。
高知のまめさんでーす♪
今日も、日本を変える為に目が覚めましたー(^0^)/
『まめまめーる』は、心のサプリメント。。。(^_-)-☆
今日3月3日はひな祭り♪
雛飾りこそしなくなったけど、押し入れにしまってあるなぁ。。。σ(^_^;)
まめさんと明美さんは、今から仁淀川町の別荘に向かい日本ミツバチの世話と、祝蕾を収穫してきまーす♪
明日の朝には「とさのさと」に出荷しまーす(^。^)
今日も、絶好調で楽しそうに笑顔で過ごしましょう。
今日はいい日だ( ^^)Y☆Y(^^ )。
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『あおいくま』
右耳は聞こえなくても…
滝川広志さん(63)
13歳の夏、右耳を激痛が襲った。
耳の奥からは異臭を放つ膿(うみ)があふれ出ていた。
診断結果は「真珠腫性中耳炎」、中耳炎を繰り返すうちに組織の一部が真珠のように増殖し、耳の周りの骨を破壊する病気だ。
手術で患部を除去。
足の皮膚を移植して鼓膜の形成手術もしたが、聴力は戻らなかった。
滝川広志さん(63)の右耳は、今もほとんど聞こえない。
周囲に打ち明けると、誰もが「うそでしょう?」と驚く。
難聴のハンディを全く感じさせないからだ。
「広志君、右耳がだめでも左耳がある。何とかなるよ」
そう笑い飛ばした母の強さと優しさに支えられた。
熊本市で生まれた。
幼いころに両親が離婚。
病院の看護助手をしていた母と1歳上の姉の3人家族。
生活は苦しかった。
普段の食事はご飯とおかず1品。
月に1度、80円のラーメンを姉と分けて食べるのがごちそうだった。
「貧しかったけど、それが普通だと思っていたし、不幸だとも思わなかった」
ただ、子どもなりに家にお金がないことは分かった。
小学生のころから自覚症状があった中耳炎を放置したのも、母にお金のことで心配をかけたくなかったからだ。
右耳の手術後、新聞配達を始めた。
母を助けることができるし、欲しいものを買うこともできる。
初めは夕刊を配り、やがて朝3時に家を出て朝刊も配った。
幼いころから中古の白黒テレビが姉弟の宝物だった。
声が筒抜けの2軒長屋。
音量を絞り、テレビにかじりついた。
「サインはV」「柔道一直線」「8時だョ!全員集合」…。
歌番組では振り付きで歌手をまねし、姉と批評し合った。
ドラマでは動きに合わせて勝手にせりふを重ねる「当てレコ」に興じた。
はまったときは2人で笑い転げた。
そんなテレビ遊びから生まれた「ものまね」が、目立たない存在だった姉弟を変えた。
中学校の教室。
人前でものまねをする快感を知った。
姉がまず人気者になり、広志さんも続いた。
「滝ちゃん、よか」「よかばい」教室で、近所のスナックで喝采を浴びた。
歌を覚えるにも、不自由さは感じなかった。
右耳が聞こえない分、左耳に意識を集中し、目で観察した。
「難聴がものまねには良かったのかもしれないですね」
母譲りの楽天的な性格が、その後の人生も切り開いてゆく。
芸名は「コロッケ」。
「長年の夢だった」という博多座(福岡市)の舞台に立つ。
人情喜劇とものまね歌謡ショーの1カ月座長公演。
「あきらめなかったからここまで来れた。
ようやく九州出身の芸人として故郷に認めてもらったような気がします」
滝川家の家訓は
「あおいくま」
焦るな。
おこるな。
威張るな。
腐るな。
負けるな
の頭文字だ。
幼いころ母が部屋に張り出した教えを胸に、謙虚に芸を磨く。
下記はコロッケさんからの文章です。
僕には母と姉がいる。
物心ついたときから、父親はいない。
母子家庭である。
当然、生活は楽ではなかった。
おかずが三食、もやしだったことがある。
そのうち、もやしも出なくなって、ごはんだけになり、やがてごはんもなくなり、米のかわりにあられが食卓に出たこともある。
そんなとき、母は
「今日のごはんは、あられたい!」
と明るく言い、僕と姉も喜んで食べた。
貧乏だなぁ……とか、惨めだなぁ……と思ったことはない。
当時の近所の人たちも、僕ら家族がそれほど貧乏だとは思っていなかったという。
なぜか?
母が無類のきれい好きで、僕たちを毎日、必ず銭湯に行かせたからだ。
お金がないときは
「持ってくっとば忘れました」
と言わせて入らせた。
たとえ着ている服がボロボロでも、清潔にしていれば大丈夫──母の知恵だ。
人の悪口は言わない。
別れた夫(僕の父)への文句や愚痴も言わない。
たとえ身内でも金の無心はしない。
そして、あいさつや片付け、食事のマナーなど、しつけにもうるさかった。
幼少の頃は、とにかくよく怒られていた。
でも、僕がいじめにあっていると知ると、小さい体で相手の家や学校に、何度も乗り込んでいってくれた。
僕と姉のためには、文字通り、体を張ってくれていたと思う。
こう書くと、行い正しき理想の母のように思えてくるのだが、僕が今やっているものまね。
そのルーツも、実は母にあるといってもいい。
とにかく「笑い」のツボがズレているというか、独特なのだ。
なんでそういう発想をするのだろう、と思うことばかり。
おかげで僕の家にはいつも、笑いがあった。
笑い声がしない日なんてなかった。
反抗期もなかった僕が、人生で一度だけ、母の言うことに逆らったのは
「芸能人になる」
といって東京へ出て行ったとき。
母が言ったように、芸能界は決して楽な世界ではなかった。
楽しいこともあるけれど、つらいことやいやなこともたくさんあった。
そんなとき、僕にはいつも思い出す言葉があった。
『あおいくま』
母に教えられ、小さい頃からつねに僕の胸の中にある言葉だ。
あせるな
おこるな
いばるな
くさるな
まけるな
この五つの言葉の頭の文字をとって
『あおいくま』
母はいつも言っていた。
「人生は、この五つの言葉たい」
いったいどんな母親だったのか、それは「お母さんの『あおいくま』」を読んで知ってもらいたい。
とにかく、いろいろな意味で「すごい」人だ。
おかげさまで僕も、2020年に芸能生活40周年を迎えることができた。
デビューこそ順調だったが、決して順風満帆な日々だったわけではない。
特に人間関係ではいろんなことがあった。
そんなとき、何度も思い出したのが『あおいくま』だった。
そしてそのつど『あおいくま』に助けられてきた。
東日本大震災や長引く不況も重なり、新聞やテレビのニュースでは何かと暗い話題ばかりが先行している。
仕事場の人間関係で悩んでいる人。
親子や家族の関係で悩んでいる人。
友だちとうまくいかなくて悩んでいる人。
こんな時代だからこそ、ポジティブに、そして明るく前を向いて進めるように、ひとりでも多くの人に、この『あおいくま』を知ってもらえたらうれしい。
コロッケ
お母さんの「あおいくま」の紹介映像です。
ご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=OLZihh5ICuc
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それでは、今日の言葉です。
何事も、評価する人よりも、
やっている人の方が感動する
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