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アンブレラ理論
おはようございます(^O^)/。
高知のまめさんでーす♪
今日も、日本を変える為に目が覚めましたー(^0^)/
『まめまめーる』は、心のサプリメント。。。(^_-)-☆
昨日の高知観光!
朝8時から、夜10時までめっちゃ楽しみましたーヾ(〃^∇^)ノわぁい♪
今日は、廃屋から出た薪をもらいに行って来まーす♪
今日も、絶好調で楽しそうに笑顔で過ごしましょう。
今日はいい日だ( ^^)Y☆Y(^^ )。
私の実兄が亡くなったのが2020年11月12日。
つまり4年前の今日。。。
兄は、私より5歳歳上だった。。。
私は子供の頃、兄のようになりたくて一生懸命真似をしてた記憶がある。
しかし、兄は何をやっても、とても器用で川漁山猟は、とても敵わなかった。。。
そんな兄は、中学校を卒業するとすぐに愛媛県新居浜市の工務店に大工の修行に出て行った。
それから、10年以上経って一人前になって帰ってきた兄は、高知県内の工務店の仕事に就いてバリバリと働いていた。
その後、手先の器用さを武器に、森林組合に転職し、伴侶を迎えることも出来たが、数年後離婚、それからは一人生活になり仕事もせず酒に溺れるようになって身体を壊し何度となく病院に担ぎ込まれるようになってしまった。。。
それでも、お酒を止めることができない兄に対して私は情けないヤツだと思い込んでいたが、アルコール依存症は病気なので本人の意思ではどうする事もできない事を学ぶきっかけとなった。
しかしながら、アルコール依存若年性認知症は進行が早く自宅での一人暮らしはとてもさせられないと、当時の施設にお世話になる事になったのが8年前でした。。。
お酒は一切縁を切ることが出来ましたが、唯一の楽しみのタバコは継続して吸っていた。
しかし、肺に水が溜まってしまう症状から余命宣告をされたのがその年の8月だった。。。
その後、自分の身の回りのことが出来るうちは施設で生活し、いよいよ11月1日より緩和ケアの病院に入院していましたが、残念ながら帰らぬ人となってしまいました。
享年64歳。
どんなに苦しくても、痛くても、しんどくても、愚痴を言ったことのない兄、最後の会話でも痛く無いか?と聞いても首を横に振る兄。
呼吸が出来ずさぞ苦しかっただろうに。。。
今、楽になった兄の安堵な顔を見て安心したことを覚えています。
今ごろは天国で、お袋の手料理を肴に、親父と酌を交わしてるんだろうなぁー(^_^)/
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致知から
「人生はあなたに絶望していない」をご紹介します。
永田勝太郎(財団法人 国際全人医療研究所理事長)
特集「人生は心一つの置きどころ」より
これは23年前のことですが、ある時大病を患って、突然歩けなくなってしまったんです。
何だろうと思っているうちに立つこともできなくなって寝たきりになり、ベッドのそばにあるトイレにすら自分の力では行くことができなくなりました。
薬の副作用のため、末梢から筋肉が萎縮し、力が抜けていくという病気でした。
そういう状況の中で、頭の中では何を考えていたかというと、人間は死を受容できるのかということでした。
自分がまもなく確実に死ぬと思っていましたから、毎日毎日天井を見ながらそのことばかりを考え続けました。
ただその時に、あの世はあるかということは思わなかった。
自分がもし万が一生きられたらって、いつも思っていましたね。
つまり、死んだらどうなるかということよりも、生き延びることができたら、自分の人生を何に使おうかと考えたわけです。
だから僕も楽観的だったと思うんですが、散々悶々と考えた挙げ句に出た結論は、俺は死を受容できないということでした。
受け入れられないから、もし死んだら化けて出るだろうと(笑)。
だったら生きるしかないだろうと思うようになったんですね。
ところが病状は日に日に悪化し、ペン一本すら重たくて持てない。
眠るたびに酷い悪夢に襲われ、全身汗だくになって目が覚める。
僕が倒れたのはフランクル先生が亡くなった翌年の1998年だったんですが、僕はとうとう彼の奥さんにこんな手紙を書きました。
「エリーさん、さようなら。
僕はいま死ぬような大病を患っているんだ。
もう二度とウィーンの街を歩き回ることもないだろう。
これから先生の元へ行きますよ」。
そしたらエリーさん、慌てて返事をくれましてね。
「あなたがそんな病気でいるなんて、とても信じられない。
私は医者ではないから、あなたに何もしてあげることはできない。
けれども生前、ヴィクトールが私にいつも言っていた言葉をあなたに贈ろう」。
この言葉が僕を蘇らせてくれたんですね。
「人間誰しもアウシュビッツ(苦悩)を持っている。
しかしあなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない。
あなたを待っている誰かや何かがある限り、あなたは生き延びることができるし、自己実現できる」。
この手紙を僕は何百回も読み返しました。
そうして考えたのは、いまの自分にとっての生きる意味とは何だろうということでした。
そして考え続けた結果、
「あなたを待っている誰かや何か」の焦点は
私にとっては医学教育であり、生きる意味は探せばちゃんとあるのだと感じたんです。
それから私はよし、と気合いを入れ直してリハビリに専心し、毎日鍼治療も受けました。
さらに漢方薬や温泉療法なども行って、二年後には奇跡的に職場復帰まで果たすことができたんです。
(エリーさんの)あの言葉がなかったら僕はいまここにいませんよ。
医療もまさに心一つの置きどころで、患者の側が自ら治ろうという気概を持たなければ何も起こらない。
僕はこれを傘に例えているんですが、傘には布と芯の部分がある。
布の部分は医療者や家族であり、芯の部分が患者さん本人ですよ。
これがなければ、傘の用をなさないですよね。
僕はこれをアンブレラ理論と呼んでいますが、治療には絶対に必要なものと考えています。
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それでは、今日の言葉です。
言葉を変えれば人生が変わる。
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