
エジソン
おはようございます(^O^)/。
高知のまめさんでーす♪
今日も、日本を変える為に目が覚めましたー(^0^)/
『まめまめーる』は、心のサプリメント。。。(^_-)-☆
今日も、絶好調で楽しそうに笑顔で過ごしましょう。
今日はいい日だ( ^^)Y☆Y(^^ )。
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発明王トーマス・エジソンは1847年2月11日にミラン(オハイオ州)で父サミュエル・オグデンJr.(1804年 - 1896年)と母ナンシー・エリオット(1810年 - 1871年)の間に生まれました。
エジソンは7番目の子供で、7歳の時に家族はポートヒューロン(ミシガン州)に移住。
小学校に入学するも、教師と馬が合わず中退。
当時の逸話としては、算数の授業中には「1+1=2」と教えられても鵜呑みにする事が出来ず「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら、大きな1個の粘土なのになぜ2個なの?」と質問したり、国語の授業中にも「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?」と質問するといった具合で、授業中には事あるごとに「なぜ?」を連発していたという。
その様な好奇心は学校内に止まらず「なぜ物は燃えるのか」という事を知りたいと思い立ち、藁を燃やしていたところ、自宅の納屋を全焼させてしまった事もあった。
これらの事が重なった挙句、最終的には担任の先生から「君の頭は腐っている」とまで吐き捨てられ、校長からも入学から僅か3ヶ月で退学を勧められたという。
背景としてエジソンがLD(学習障害)、ADHD(注意欠陥・多動性障害)を併せ持っていた事が考えられる。
学校だけではなく、父親からも見放されたエジソンは、勉強は小学校の教師であった母親に教わった。
母親のナンシーが熱心にエジソンの話を聞き素質を伸ばした事で、旺盛な好奇心と最後まであきらめない信念を開花させ、学校では学ぶことのできないことを多く教えた。
母親の温かい愛情に見守られたおかげで、32歳(1879年)の時に白熱電球を発明し、一躍その名を世界に轟かせました。
大原です♪
成幸者って大人になっても、子供頃のままの好奇心を持ってるね。
あきらめないって、すごい。
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それでは、今日の言葉です。
天才は
1%のひらめきと
99%の努力
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