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逆境でも光は差し込んでくる
おはようございます(^O^)/。
高知のまめさんでーす♪
今日も、日本を変える為に目が覚めましたー(^0^)/
『まめまめーる』は、心のサプリメント。。。(^_-)-☆
今夜は「36会(サブロク会)」!
昭和36年生まれの同い年の飲み会でーすp(*^-^*)q
今日も、絶好調で楽しそうに笑顔で過ごしましょう。
今日はいい日だ( ^^)Y☆Y(^^ )。
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「逆境でも光は差し込んでくる」
1997年9月。
四方健二さんの朗読・講演会に金沢へ出掛けました。
泉鏡花記念金沢市民文学賞を受賞している詩人です。
彼の詩からは、あちこちを旅して気ままに吟行するような印象を受けます。
ところがです。
実は彼は30年以上、家からほとんど外に出たことがないのです。
7歳で進行性筋ジストロフィー症を発症。
今も病棟での生活を送っているのです。
手足の指先1本動かせません。
まったく寝たきりの状態です。
講演はステージの上の移動式ベッドから、本人が語りました。
でも、彼は言葉を発することができません。
どうやって皆に伝えたのか。
額に信号を伝えるためのコードを貼り付け、瞼を開いたり閉じたりして、パソコンに文字を書くのです。
それをパソコンの言語変換ソフトで、再び音声に換えて講演をするわけです。
もちろん、時間がかかるので、その場ですぐにというわけにはいきません。
おそらく、何時間いや何日もかかって完成したものでしょう。
その四方君の講演の一部を要約して披露させていただきます。
きっと皆さんの心に、優しさと元気をもたらしてくれることでしょう。
生きるとは、どういう事なのでしょうか。
人は、身体だけで生きているのではありません。
人には、心があります。
身体と精神ともに息づいてこそ、人は生きていると言えるのではないかと、私は思っています。
私は、進行性筋ジストロフィーという難病を背負っています。
全身の筋肉が萎縮し、破壊され、徐々にその機能を失っていく病気です。
今の私は、身体どころか、指ひとつ動かせません。
寝たきりの状態にあり、人工呼吸器がなくては生きていられません。
進行性の病気とは、本当にやるせないものです。
病気の進行には抗えず。
歩けなくなり、車椅子へ。
そして、ついには寝たきりの生活を送る事になってしまいました。
この病気の本当に恐ろしいところは、その短命さにあるのです。
かつてこの病気は、二十歳までの命とされていました。
実際に、二十歳を迎える前に力尽き、亡くなっていく仲間たちを、数多く見送ってきました。
その中でも、最も辛かったのは、親友の死でした。
それは、高等部二年生の初秋の事でした。
もう持たないと聞いてからの毎日の病室通い。
見舞うたびに、彼からの反応は鈍くなり、目からは光が失われていきました。
そんな親友を目の当たりにしておきながら、私は彼に、何ひとつしてやれませんでした。
あまりにも、自分が情けなく思え。
無力感に苛まれたものでした。
また、この彼の死は、私に拭い去れない恐怖を植えつける事になりました。
「次は自分かもしれない」という、重苦しい思いが。
現実として、リアルに圧し掛かってきたのです。
今でも、それは重い影となって、私にまとわりついています。
私自身も、十九歳の時に、重い呼吸不全に陥ってしまいました。
それは、命の危機を連想するまでに、深刻なものだったのです。
そんな私を救ってくれたのは、当時導入されたばかりの体外式といわれる呼吸器でした。
この呼吸器によって、私は命を永らえることが出来たのです。
あの時、ひとつでも時の歯車が狂っていたら。
おそらく、十九歳の冬に私は死んでいた事でしょう。
今、こうして四十歳になるまで生きてこられたことに、大きな意味と、大きな喜びを感じています。
思い起こせば、よく仲間たちと話していたものでした。
「四十歳まで生きていられたら最高だ」と。
その夢であった年齢を、今年、私は迎えるわけですから、なんとも不思議なものを感じます。
私は自発呼吸が出来ません。
気管を切開して、人工呼吸器を使用しています。
気管を切開したことで、私は声を失いました。
そのために、思うに任せない事も沢山あります。
ですが、これは生きていくため、仕方がありません。
それでも、時には、たまらない思いに囚われることがあります。
割り切っているはずなのですが、複雑な思いもそこにはあるのです。
夢の中での私は、いつも当たり前のように喋っています。
この夢こそが、私の複雑な心を物語っていると言えるのではないでしょうか。
さらに、私にはものを飲み込む力がありません。
必要な栄養や水分は、全て鼻から入っているチューブを通して胃へと流し込んでいます。
身体を動かせない、声は出せない、飲めない、食べら
れない。
人によっては、これを絶望だと言うのかもしれません。
それでも、失うことばかりではありませんでした。
筋ジストロフィーである事により、得られたものもあるのです。
これまでの私の人生には、身体的にも精神的にも辛い事が数多くありました。
不安と恐怖に押し潰されそうになった事も、幾度となくありました。
苦しい経験ではありましたが、逆にその苦境の時にこそ、私は大切なものを得られたように思います。
その日も、澱んだ薄暗い病室の中で闇に沈んでいました。
ふと何かに呼ばれたような気がして、視線を向けると、そこには、忘れられた一輪挿しに、萎れた桔梗が残されていました。
私は「自分と同じ運命か」と、悲観の眼差しで桔梗を眺めていました。
ところがです、朽ち果てるばかりだと思っていたその花が。
私の目の前で力強く蕾を開き、生きいきと花を咲かせたのです。
諦めることを知らず、与えられた命を誠実に全うしようとする姿勢に、私の心は震えました。
私の中で熱い力が湧き上がってくるのを感じたのです。
生きたいと、強く思いました。
すると、どうでしょう。
それまではくすんでいた世界が、たちまち鮮やかさを取り戻していくでは、ありませんか。
苦しいばかりの毎日が続いて。
私は、気づかないうちに、私自身の作った殻に閉じこもってしまっていたようです。
自分だけの世界しか見えなくなってしまい。
自分は孤独だと思い込 んでしまっていたようです。
しかし、広い視野で周りがよく見えるようになると、それは大きな間違いであったと気がつきました。
多くの人の力が、その真心が、苦しみに喘ぐ私を、私の命を支えてくれていたのです。
深く感謝しました。
それからというもの、呼吸不全との暗く孤独な戦いは、家族や看護師さんたち、先生方との、共同戦線となりました。
体調の良い時は、共に喜び。苦しい時には、共に歯を食いしばり。
身体的には厳しい毎日でしたが、心は満たされていました。
幸せにさえ、思えていたものです。
私は支えてくださる皆さんの真心を追い風に、心ある人たちと力を合わせる事で、この窮地を乗り切る事ができました。
私は、これまでの人生を通して、生かされている自分というものを、強く意識するようになりました。
私は毎日、多くの人々に支えられて生きています。
生かされています。
また、私は、自然と対峙するたびに、自然の大きな懐に包まれている事を感じるのです。
生かされている安心感を覚えるのです。
私は、生きている事の喜びを、生かされていることの幸せを。
この身の全てで、この心の全てで受け止めて生きています。
だからこそ、何気ない毎日が嬉しいのです。
愛おしいのです。
今ある事に、感謝して。与えられた日々を、精一杯生きる。
不平不満が無いとは言いません。
嫉妬もすれば、妬みもします。
しかし、私は生きているのです。生かされているのです。
生かされている事に感謝しつつ、自らも生きる姿勢を持って生きています。
そうしてこそ、豊かな人生を得られるのではないでしょうか。
私は詩作という生きがいを咲かせ、心豊かに、満たされた日々を送っています。
私は生きています。
今は、自信を持ってそう言えます。
自分の確固たる意識を基に、私らしく、あるがままに生きています。
私が私であることに、感謝せずにはいられません。
私は幸せです。
私は恵まれています。
この人生を与えてくれた全てのものに、全ての人々に、心から感謝しています。
私にも、明日がやってくるのです。
私は、幸せです。
いかがでしたか。
興味を抱かれた方は、詩集「羅針盤」の 発行元・郁朋社
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それでは、今日の言葉です。
本当に大切なものは、それがあるときには気がつかない
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