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結果を出すために何をするか?

おはようございます(^O^)/。

高知のまめさんでーす♪

今日も、日本を変える為に目が覚めましたー(^0^)/

『まめまめーる』は、心のサプリメント。。。(^_-)-☆

今日から、明美さんは孫のいる東京に出発!!

まめさんは、一人でお留守番(T . T)

今日も、絶好調で楽しそうに笑顔で過ごしましょう。

今日はいい日だ( ^^)Y☆Y(^^ )。
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西鉄ライオンズの黄金時代を支えた大エースの稲尾和久氏。

1958年の巨人との日本シリーズで3連敗から4連投・4連勝して日本一に輝いて「神様、仏様、稲尾様」と言われたり、1961年には東北楽天ゴールデンイーグルスが2005年に挙げた勝ち星(38勝)よりも多い42勝を1人で挙げるなど数々の伝説を作ってきた。

【※以下は稲尾氏の言葉】

(高校時代、稲尾氏が球団からスカウトされた時の)
契約金は50万円。月給が3万5000円。

当時の高卒の初任給がだいたい6000円でしたから、約6倍です。

卓袱(ちゃぶ)台に積まれた50万円の現金、そのころはまだ1万円札がなかったので、1000円札の分厚い札束でしたが、それを見て、おふくろは失神したんです。

自分では大分県ではまあまあ速い球だとは思ってましたが、甲子園も出られなかったから、このレベルでは、と思ってました。

でもその金を見て、わしはすごい選手や、と思いましたね。

何しろおふくろが失神するような大金なんだから。

でも、キャンプに入ってみるとバッティングピッチャーです。

当時はいまのようにマシンがないですから、バッターが練習するために投げる手動練習機といわれました。

1週間ぐらいたって、頭に来ましたね。

なんで俺は毎日毎日バッティングピッチャーばっかりなんだ、と。

ノルマは1時間なんですが、それを終えてブルペンに行っても、誰もピッチングを見てくれないんですよ。

それで僕を引っ張ってきたスカウトに、こんな大金を払った選手をこんなにおろそかにしやがって、と言おうかと思った。

でもその前に、ちょっと待てよと考えた。

同期に入ったやつがいるんです。

小倉高校の畑というピッチャー。

これは甲子園では準決勝まで行って、ハワイ遠征に選抜された選手です。

同じく群馬県の桐生高校出身の田辺というキャッチャー。

こいつも甲子園へ行ってハワイに行ってる。

少なくとも俺よりは契約金も給料も多いだろうとは思ってた。

どれくらい多いのかを聞いてから、スカウトに文句を言おうと思って聞き出したんです。

なかなか言いませんでしたけどね。

畑は契約金800万で、月給は15万。

田辺が契約金500万で、月給10万でした。

うそかと思ったんです。

自分の4、5倍くらいかなとは思ってましたけど。

そのとき、ああ、プロ野球の世界は、50万、3万5000円の選手は練習機なんだ、と思った。

畑はちゃんとブルペンで練習できるんです。

田辺もちゃんとバッティング練習できるんですよ。

私だけはバッティングピッチャーで、それで終わりなんです。

ブルペンへ行っても誰もいないんです。

受けてくれる人がおらんから、投げようがないんですよ。

それでふと気がついたことがあるんです。

わしはプロに入って頑張って、1軍で投げるピッチャーになろうと思って意気込んで入った。

それなのに練習ができない。

当時、強打者の豊田泰光さんなんか「おい、練習機」と言って、名前も覚えてくれない。

誰も私のことなんか眼中にないわけですよ。

しかし、ここで練習できることがないだろうかと考えたんです。

そうしたら、ある、コントロールの練習ができると思った。

バッターというのは贅沢なもので、2球もボールが続くと「ストライク投げてこんかい」と怒る。

ところが5球もストライクだと「バカたれ、たまにはボールを投げろ」と言う。

なんでかというと「打ち疲れるじゃねえか」というわけです。

一番喜ばれるパターンは、3つストライク、1つボールなんです。

つまり、四球に1球、俺の練習ができる。

真ん中に3球投げたら、1球はアウトコース低め。

次の3球の後はインコース低め。

次はアウトコース高めで、その次はインコース高め。

1時間に480球投げて、そのうちの4分の1だから、120球、コントロールの練習ができるということに気がついたんです。

しかも当時の強打者相手に練習できるんですから、こんな贅沢なことはない。

僕は高校のときは、球威はあったけれども、ノーコンピッチャーだった。

それがプロへ入って1年目から、当時、解説でおられた小西得郎さんあたりから、針の穴をも通すコントロールの持ち主とかいわれた。

その土台が、2月のあのキャンプにあったんです。

それからもう一つは畑というピッチャーの存在です。

畑がブルペンで投げているところを見に行ったら、速い。

何年たってもこいつより速い球は投げられんと思った。

だけどこいつを追い越さないと俺は一軍になれないという思いがあって、それで畑に勝つものは何か、と考えた。

よし、じゃあコントロールで勝とうというのがあったんです。

いいライバルの存在が、バッティングピッチャーでもできる練習という発想につながっていったんだと思うんですよ。

そういうふうに発想の転換ができたのは、子どものころの体験からだと思います。

漁師という世界で、環境に順応する能力を植え付けられたと思うんです。

漁師というのは自然に逆らったら命を落とすんです。

自然が与えてくれた環境に則って、順応して生計を立てさせてもらう、これが漁師の基本なんですね。

要するに、その場その場の環境のなかで最大の結果を出すために何をするか、ということですね。
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それでは、今日の言葉です。

人生の最初から最後まで、とことん付き合ってくれるのは、自分自身だけだよ。

大切な相棒を大好きになろう!
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