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奇跡の青空
おはようございます(^O^)/。
高知のまめさんでーす♪
今日も、日本を変える為に高知市の自宅で目が覚めましたー(^0^)/
『まめまめーる』は、心のサプリメント。。。(^_-)-☆
昨日までの雨も上がり、今日からピーカンp(*^-^*)q
ミツバチたちも蜜集めに大忙しです♪
久しぶりに、日本ミツバチたちの巣箱の内検に行って来まーす♪
今日も、絶好調で楽しそうに笑顔で過ごしましょう。
今日はいい日だ( ^^)Y☆Y(^^ )。
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ウェディングプランナー有賀明美さんの奇跡の青空から、ご紹介します。
今から10年前のお話です。
「1ヵ月後に結婚式を挙げたいんです」
通常の結婚式は準備に半年から1年ほどお時間をかけるものですが、そんなお電話をいただいたことがありました。
急がれている理由をお伺いすると、新婦のお父さまは末期ガンに冒され、余命はあと1ヵ月だと宣告されたというのです。
新婦にはお母さまがおらず、お父さまは男手ひとつで新婦を育ててこられました。
お父さまはいつか見られる娘の花嫁姿を幼い頃から楽しみにされてきました。
だから、どうしてもお父さまに花嫁姿を見せてあげたいと思われたそうです。
「絶対にお父さまに見ていただきましょう」
私はそう申し上げ、早速準備に取りかかりました。
お電話をいただいたのは9月半ば、1ヵ月後の10月18日に結婚式を予定しました。
ですが、その翌日に突然キャンセルのお電話が入ったのです。
あんなに急いでいらっしゃったのにどうされたのだろうと思い、ご事情を伺いました。
「今日お医者さまから『余命はあと2週間くらいでしょう』と言われました。
10月18日だともう間に合わないので、結婚式を諦めようと思います」
そう、悲しそうにおっしゃる新婦。
何とかできないものかと歯がゆい気持ちでしたが、私はその時、まだ入社2年目。
どこまでお客さまの人生に踏み込んでいいのかわかりませんでした。
それで「かしこまりました」と申し上げるしかありませんでした。
「落ち着いたらまた電話しますね」
新婦は静かにそうおっしゃいました。
電話を切った後、もやもやとした気持ちが胸に残りました。
「『落ち着いたら』とはどういう意味なんだろう」
それはお父さまがお亡くなりになり、お葬式を終え、四十九日があけてからのことをおっしゃっているんだろうと思い至った時、私は居ても立ってもいられなくなりました。
落ち着いてからだと間に合わない──。
2週間という短い期間であっても、何かできることはないのだろうか。
披露宴は難しいにしても、車いすを使ってお父さまが外出できるのであれば、挙式だけ行って花嫁姿を見ていただくこともできます。
私は新婦にご提案させていただきました。
「披露宴はできなくても、小さな挙式だけでも無理でしょうか」
「ご提案くださる気持ちはすごく嬉しいです。ですが、父はもはやベッドから起き上がって移動することもできないんです。最近は意識さえ混濁してきてい
るので……」
そんなご体調なら挙式どころではないことはわかります。
いったんは電話を切ったものの、それでも何かお役に立てないだろうかと焦る気持ちを拭いきれませんでした。
病室から動けないなら、病室で結婚式を挙げることもできるのではないか。
豪華な挙式でなくても、お父さまは花嫁姿の娘さんがベッド脇にいてくれるだけでどれほど嬉しく思われることでしょう。
そんな思いが脳裏に浮かびましたが、当時、私は結婚式会場となるレストランに所属しているプランナーでした。
ですから、その会場で行われる結婚式を手伝うことが会社から任された仕事です。
会場の外で挙げる結婚式は業務外です。
けれども、会場を飛び出せばお父さまに花嫁姿をお見せできる……。
その思いに駆られ、社長に相談に行きました。
「料金はいただけないと思います。ですが、仕事としてではなく、人としてこのお客さまのために何かしてあげたいんです」
会社員として逸脱した行為。
反対されるかもしれないと思っていましたが、その時の社長の言葉は今も忘れません。
「やってみなさい。最高の結婚式をお父さんに見せてあげるように」
すでにお父さまが余命2週間を宣告されてから1週間が経っていました。
残された時間はあと1週間しかありません。
私は大急ぎで新婦にご連絡をしました。
「病室で小さな結婚式を挙げませんか?」
「え……病室で?」
「お父さまが動くことができないなら、お父さまのベッドのそばで結婚式を挙げましょう。そして、お父さまに花嫁姿を見ていただき、感謝のお気持ちを伝えましょう」
「そんなこと、できるんですか?」
予想もしていなかった提案に最初は戸惑っていらっしゃるご様子の新婦でしたが、私の説明をお聞きになるとその可能性に賭けてみたいと目を輝かされました。
ただひとつ気がかりがありました。
以前、キャンセルのご連絡をいただいた時のことです。
「結婚式をキャンセルされたということをお父さまはご存じなのですか?」
「いえ……父には言っていません。父は結婚式をとても楽しみにしていて、病室にモーニングをかけて、それを毎日眺めているんです。あのモーニングを着る
ことを生きがいに頑張っています。もし結婚式をキャンセルしたことを知ったら、生きがいを失ってしまうかもしれません」
けれども、病室で結婚式をすることをお父さまにお話しすれば、10月18日に予定していた結婚式をキャンセルしたこともお伝えしなければなりません。
「お伝えしても大丈夫なんでしょうか……」
「父も自分があと1ヵ月も命が持たないことを本当はわかっているはずです。
結婚式には出られないだろうと思いながら日々を過ごしていると思います。
だから……もう伝えても大丈夫です」
お父さまは意識がときどき戻るものの、昏睡状態とのこと。
「父に意思確認できるかもわからないので、また連絡します」
新婦がそう言って電話を切った10分後にお電話がありました。
お父さまは幾日間も昏睡状態だったにもかかわらず、その時だけ目をはっきりと開けられたそうです。
「お父さん、病室で結婚式を挙げられるんだって……やる?」
新婦がそう訊ねると、はっきりとした口調でお答えになられたそうです。
「やりたい」
新婦は電話口で声を詰まらせています。
「父もぜひにとのことなので、よろしくお願いします」
病室での結婚式は、3日後の夕方4時から行うことになりました。
お父さまのお部屋からは病院の中庭が見えるのですが、毎日夕方になると花壇に光が差し込むそうです。
柔らかい夕日に包まれる花々。
お父さまはその光景が大好きだということで、その時間に挙式をしたいと新婦がご希望されたのです。
式はご家族と牧師と1名の聖歌隊だけの小さなもの。
そして、外国人牧師による英語での式を行うことにしました。
というのは、お父さまは昔、パイロットをされており、外国を飛び回って英語でお仕事をされていたことを誇りに思っていらっしゃると伺っていたからです。
ドレスの手配もあまりに急でしたが、事情を話すと
「ぜひ協力させてください」
そう言って、ドレスショップは新婦に似合うドレスを用意してくれました。
入院先の病院のお医者さまも「喜んで協力します」と快諾してくださり、看護師さんがお部屋を手作りのお花で飾りつけ、オルガンは病院のものをお借りして、看護師さんが聖歌の伴奏をしてくださることになりました。
10分ほどで終わるような小さな小さな結婚式。
それでもみんなの想いがぎゅっと詰まった温かいものにしたい。
聖書の代わりにお父さまの手の上にお二人の手を重ねて、その温もりの上で結婚の誓いをしていただこう。
お父さまも新婦も、とても楽しみにしてくださっていました。
いよいよ挙式を翌日に控えた朝のことです。
新郎から私のところにお電話がありました。
「先ほど義父が……天国に逝きました」
私は全身の力が抜けていくような感覚に陥りました。
「この世に神様なんていない……」
お父さまと新婦の小さな夢が叶うはずだったのに。
どうして後1日くらいお迎えを待ってくれなかったのか……。
悔しくて悔しくて仕方がないのと同時に、自分を責めました。
「なんていうことをしてしまったのだろう」
結婚式を諦めていらっしゃった新婦ですが、私の一言でお父さまに花嫁姿を見せることができるという希望をお持ちになられました。
それなのに 結局は結婚式を挙げられなかった。
希望を持った分だけ悲しみを増大させてしまったのではないかと。
後悔の念と申し訳ない気持ちがわきあがってきました。
数日後。
新婦からお電話がありました。
「なんてお声をかけよう……なんてお詫びしよう……」
言葉を探しながら電話に出ると、思いがけず明るい声が聞こえてきました。
「父のお葬式は無事に終わりました。そして今日、入籍してきたんです。そのことを有賀さんに報告したくてお電話しました」
「この度は本当に……申し訳ありませんでした」
私は受話器を持ったまま頭を下げました。
「何を言っているんですか。私たちには感謝の気持ちしかないんですよ。父に隠れて結婚式をキャンセルしたために、そのことを父に悟られたくなくて、みんな病室から遠ざかっていたんです。そして気がつけば、父のベッドのそばには誰も行かなくなっていました」
そして新婦は続けておっしゃいました。
「でもそんな時に有賀さんが『結婚式を病室で挙げましょう』とおっしゃってくれたことで、もう何も隠す必要がなくなり『あと何日だね。楽しみだね』と父の周りにみんなが集まるようになりました。
彼の両親も結婚式に向けて神戸から上京したことで、最期に父と顔を合わせることもできました。
だから父はみんなの笑顔に囲まれて天国に逝くことができたんです。
有賀さんの一言がなかったら、きっとみんながベッドから遠ざかったままで、父は寂しい思いをしながら
亡くなったと思います。
私たち両家の家族にとっては、有賀さんは恩人だと思っているんですよ」
あまりにありがたいお言葉に私は涙が止まりませんでした。
年が明けた1月。
「私たちの結婚式をお願いします。プランナーは有賀さんしかいません」
二人は再び会場を訪れてくださいました。
挙式は、天国のお父さまからよく見えるようにガーデンで執り行うことに。
こうして、結婚式の準備が再びスタートしました。
結婚式当日。
朝から冷たい針のような雨が降っていました。
挙式の1時間前になってもやむ気配がありません。
このままでは、ガーデンで挙式をすることはできず、やむをえず室内で行うしかありません。
ですが、それでは天国のお父さまに花嫁姿を見せたいという新婦の願いは叶いません。
会場のスタッフもこのガーデン挙式がどれだけ大事な意味を持つか、みんなが知っていました。
だから、キッチンスタッフもフラワーコーディネーターもサービススタッフも司会者もカメラマンも「どうか、雨がやみますように」と、祈りながら空を見上げていました。
私も、天国のお父さまへ心の中でお願いしました。
そして挙式の15分前。
そのみんなの祈りが届いたかのようにさっきまであんなに降っていた雨がぴたりとやんだのです。
「やんだ!」
スタッフは一斉にガーデンに飛び出しました。
そして、雨に濡れた地面をみんなで懸命に掃きました。
私は新婦のところに駆け寄りました。
「雨がやみました!ガーデンで挙式できますよ!」
ガーデンで挙式ができないのではないかとずっと悲しそうなお顔をされていた新婦でしたが、その言葉に嬉しそうに満面に笑みを浮かべられると、お父さまのご遺影に向かって話しかけられました。
「お父さん、良かったね」
雨のあがったガーデンには日差しが降り注ぎ始めました。
まるでバージンロードを一緒に歩くかのように、新婦はお父さまのお写真を胸に抱えて入場されました。
そして、静かにお父さまにお手紙を読まれたのです。
空を見上げながら……。
それまで新婦は一度も私の前で涙を見せませんでした。
お父さまが亡くなられた後の電話も明るく、その後の打合せでお父さまのお話が出た時も、結婚式当日もそれまでずっと笑顔でした。
ですが、お手紙を読みながら新婦は、堰を切ったように初めて大粒の涙を流されました。
会場に飾られたお父さまのモーニングが優しく風に揺れていました。
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それでは、今日の言葉です。
泣くほど嬉しいのは、泣くほど辛かったから。
感謝で、いっぱいだね。
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