クソシェアハウスが火事で全焼した話
お疲れ様です。豆鉄砲佐藤です。
今日も遊びに来ていただいてありがとうございます。
ご報告があります。
3月の某日、僕らの住んでいたクソシェアハウスが火災に遭い、全焼しました。
黙っていてすみませんでした。
喋って大丈夫なのかなというのもありしばらく控えていたのですが、コモダさんが昨夜某番組にて、まさに炎上覚悟で本当の炎上の話をしてくれたので、今日より解禁することにしました。
そこに気付いてる人なんているわけありませんが、僕はこのnoteにおいて一度も「今住んでいる」と書いたことはありません。
正直、今までのnoteはすべて家が燃えた後に書いていたもので、ここまでの伏線みたいなつもりで書いていました。
この噂は、芸人界隈にはまるで火のように急速に広がっていたので、楽屋では喋っていたけどお客さんの前では喋らないようにするというもどかしさがありました。今日やっと話せることを嬉しく思います。
それでは、件の一部始終を書いていきます。
先に言っときますが長くなります。
それと一部、有料にすることをお許しください。
【登場人物】
🔥🏚️🐉🐙🐴
「家が燃えとる」
コモダさんから電話で、僕は知ることになりました。
とても風の強い日でした。
その日、東京だけでも何軒も火事があったそうです。
僕はその日後輩のYouTube生放送に出る予定があり、昼過ぎから外に出ていました。
生放送の準備などをしてもう始まるという時、コモダさんから電話がかかってきました。
コモダさんから電話がかかってくるなんて普段は滅多になかったので、恐る恐る出ました。
「もしもし、どうかしましたか?」
「い、家が…!家が燃えとる…!」
「はい?どういうことですか?」
最初僕は意味が分からず、少し笑いながら聞き返してしまいました。すると、
「いや、これ笑えへんレベルや、あかんわこれ、燃えとる、あかん」
なんとなくこの"あかんわこれ"という言葉選びとか、そのトーンの深刻さ、そして背後に聞こえるあわただしい音などで、僕は徐々に事態がただ事ではないことに気づいていきました。
コモダさんはかなりうろたえているようで、気になる質問を何個ぶつけても「あかん」しか言葉を返せない豚型ロボになってしまっていました。
「とりあえずちょっと待ってくださいね、終わったらすぐ帰りますから」
僕はそうコモダさんをなだめて、もう来てしまっていたためとりあえず生放送に出ることにしました。
この時、コモダさんも普通に家の様子をよくわかってなかったし、ブタえもん状態にもなっているため、電話での説明だけでは僕に深刻さが全て伝わるはずがなく、僕はそういう選択を取ってしまいました。
いま、家が燃えている。
それがずっと脳裏にあるため、僕はずっとうわの空でYouTube生放送に出ていました。
内容はポケモンのゲームの対戦企画。
ポケモンには「ゆびをふる」という技があって、この技は"全ての技の中からランダムになにかの技が出る"という運要素しかない技です。
それのみを使って対戦するという企画だったのですが、その対戦中に僕のポケモンが炎タイプの技を出すたび、眩暈がする思いをしていました。
放送が終わってすぐ、急いで帰りました。
家が近付いてくると明らかな異変に気づきます。
街の人の流れや景色がいつもと違うし、音も妙です。
僕は足を速めました。
家の前の路地に着くと、消防車が何台も止まっていました。なんだこの規模は、まずそう思いました。あまり見たことがないレベルでした。
そこらじゅうにホースが張りめぐされてマンホールと繋がってたり、サスペンスで見るような黄色いテープが貼ってあったり、辺りは騒然としていました。
そして消防隊員や、警察と思われる方々が慌しく走り回っていたりもしましたが、どうやらもう消火は終え、火事は収まったようではありました。
クソシェアハウスは、路地からまた路地に少し入ったところにあります。その一個手前の路地にある広めのスペースに特設のテーブルなどが置いてあり、消防らが会議みたいなことをしているのが見えました。
家につながる路地の入り口には黄色いテープが張られて封鎖されており、正直一般人が近付けるのかすらわからないくらいの雰囲気でした。
ですが行くしかありません。、
「すみません、ここの住人なんですけども…」
「あ!〇〇号室の?コモダさんの同居人の方ですか?お待ちしてました!」
聞くとコモダさんは、家が燃えたとき少し煙を吸ってしまったらしく、別にそれで体調がどうとかにはなってないけど、一応検査のために病院に行ったので今ここにはいないようでした。
トミサットさんもその日テレビの収録で僕よりも早く出て、夜まで帰ってこない。
そしてアパートの他の住人さんたちも全員出かけていて、今まで現場に関係者が誰もいなかったそう。
でもそれが幸いして火災による怪我人は出なかったと聞き、まず少し安心しました。
さっきの電話でわかるようにコモダさんは混乱してロボになっていたし、他の住人もいないため、やっとまともに話せるやつが来たといった感じで、僕は歓迎されるように中に通されました。
「すみません、家はどうなってしまっているんですか?」
すると消防隊員はバツの悪そうな顔をし答えました。
「もう…全焼って感じでして…」
全焼…?正直、ボヤくらいのことだと思っていました。全焼っていうのは、どういうことなのだろう。よく状況が飲み込めませんでした。
というより、全焼の意味なんてわかっているけど、信じたくないという気持ちだったと思います。
すこし遅れて不安が襲いました。何がどのくらい燃えてしまったのだろう。服や、ゲームや、趣味で集めていたコレクション類は?すべてなんてことは…
「家を見れたりしますか?」
そう聞くと住人は特別ということで、通してもらえることになりました。
家の中にはまだ危ないので入れないが、近付けるだけ近付けるということでした。
そして消防の方に連られ家の方に向かいました。
家の前に着いたとき、僕はその家があったはずの場所に、もう家ではない何かがあるのを見ました。
思った以上の全焼でした。丸こげです。
全てが真っ黒になっていました。僕は最初見たとき、黒すぎて空間に穴が空いてるのかと思いました。
これは、何がどのくらい燃えたとか、そういうレベルじゃない。全てが、灰と化してしまっている。
残っているものはなにもない、一目見ただけでそれがわかりました。
アパートがもうすべて住めない状態になってしまったと聞きました。
ただのボヤ騒ぎなんてものじゃなく、まさに大火事でした。
聞いたところによると、火災が発生している最中は下北沢全体が煙で覆われ少し暗くなるくらいの、とても大きな火事だったそうです。
消防車は全部で18台も出動し、東京にも数台しかない日本で一番強い救急車も来ていたと聞きました。
日本で一番強い救急車ってなんだと思いました。
そして僕はこの日、持って行っていた衣装バッグと、財布などを入れる小さなポーチ、そしてその日来ていた衣服、それ以外の全てを失いました。
それは、他の2人も同じことです。
その日は少し時間も遅いということで、軽い説明と事情聴取だけで終わり、出火原因も今はわからず、明日以降にまた捜査を再開するとだけ聞いて帰らされました。帰るところなんてないのに。
何を失ったのかもわからないくらい失いすぎて、何もすることがなかったのと、居れる場所もないし、他のことを考えてないと涙が出てきそうだったので、今考えると意味がわからないですがその後元々出演予定だった新ネタライブで新ネタを卸しました。
家を含めて全てを失い、寝る場所すら無くなった僕たちはその夜に集まり肩を抱き合いました。
まずはお互いの安否を喜び、安心しました。
なんかもう、会えない気もしちゃってたから。
いろんな思い出があった。
クソだと思っていたけど、無くなった今身に染みる、楽しかったあの家での生活。
次にその悲しみを分かち合いました。
そして不安も。僕たちはどうなってしまうのか。
聞くとトミサットさんとコモダさんにも警察から電話があり色々聞かれたらしく、事情聴取の際に僕も少し思ったことと同じことを、3人とも感じていました。
僕らは、ひどく疑われている。
でもそりゃそうだとも思いました。見た目もだらしなそうな売れない若手芸人が3人で、しかも火災発生時唯一現場いた住人は、火を吐く生き物を名前に冠している。
元同居人の名前がボルケーノ炎のあっちっち上野だということも言ったほうがいいのか、真剣に悩んだりしました。
そして次の日の朝、改めて現場で本格的な立ち会いをすることになっていたので、その日はぱぴよんぼういずの柴田のうちに3人で泊まらせてもらいました。
いろんな気持ちが混ざり合い、うまく眠れない夜を過ごして朝を迎えました。
僕らは3人で現場に向かいました。燃えてからは初めて3人で、この家に集まりました。
まだなにかが燃えたあとの燻製のような煙の匂いがあたりに立ち込め、異様な雰囲気でした。
時間的に僕が見た時よりも明るかったので、より鮮明に見えた、クソシェアハウスだったそれ。
トミサットさんはそれが初めてだったので、しばらく言葉を失ってしまっていました。
そして僕らは1人ずつ個別で呼ばれ、色々聞かれました。家のどこになにがあったかとか、当日は何をしてたとか、心当たりはないかとか。
僕らは真摯に受け応えるしかありませんでした。
僕らも、この家が燃えた原因が知りたい。
個別に聞かれたあと僕らは近くで待機させられ、僕らの証言を元に科捜研みたいな部隊が本腰いれて調査を始めました。特殊なレーザーや薬品を使って、かなりじっくり調べていました。
始まってから3時間くらいたったころ、僕らはまた現場前に呼び出されました。
僕たちが聞かされた結果としては、『原因不明』ということでした。すこし、びっくりしました。
ここまでしてわからないものなのかと。
出火元が外のベランダに干してあった洗濯物であること以外、なにもわからず、決定的な出火原因となるものはなにも出てこなかったといいます。
いずれわかる日は来るのかと尋ねると、消防と警察としては捜査もこれっきりで終わりで、これ以上はもうなにもしないとのことでした。
そういうものなのか…
少し唖然としていると、突然トミサットさんが口を開きました。
「ここのエアコンに繋がる配線が少し焦げすぎてはいませんか…?」
いや、拍子抜けだったのはわかるんですが、プロがわからないと言っているのに、急にバカ探偵が推理し始めたので、すっごい変な空気になってました。
「それは関係ありません」と言われていました。
釈然としない幕引きでしたが、その日、他の住人さんたちとも話をすることができました。
ご近所付き合いはほとんどありませんでしたが、その日僕たちはお互いの心労を労いました。
僕らが芸人だとわかると、ぜひネタにしてほしいと言ってくれたり、本当にいい人たちでした。
その日はもう保全作業が終わり、中にも入れるようになったということで、僕らは初めて、燃えた後のクソシェアハウスに足を踏み入れました。
ここからはそのときの家の様子を、実際に撮った写真も交えながら書いていきます。
玄関から入ると、ザク、ザク、と、もう家のそれではない音がしました。
燃える前は全然家だったんだとわかりました。
結局この家でスリッパを脱ぐことはなく、もう今は靴で歩くことになってしまいました。
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