神から隠れし大悪党~森ノ黒百舌鳥怪奇収集録~
善行は鼻に突くので隠れてやるべきだし、悪事は褒められたことではないので堂々とやるべきだ。
というのがフェイレンの龍頭であり、暗殺組織の育て上げた十二人の技能保有者、四獣四凶四罪のひとりであり、町の胡散臭い骨董品店の店主でもあるボクの主義なのだが、世の中の悪党共は揃いも揃ってこそこそと、夜中の黒貂の如く陰に隠れて悪事に手を染めているのだ。どうせ誰も見てなかったら、真っ昼間の往来でも全然人を殴れるような精神性の持ち主なのに、何故か賄賂を渡したり人目を避けたりと、鼠盗のような悪事を積み重ねるのだ。
そういう臆病な小物ばかりだから、ボクみたいな歴とした悪党に面倒な依頼が舞い込んでくるのだ。
「うちの孫娘が帰ってこないんだよ! 助けに行ってくれよ!」
朝っぱらから突然やってきて唐突に訳の分からない頼み事を喚いているのは、昼間は住宅街に無許可で屋台を出して堂々と菓子を売り、夜は歓楽街に当然無許可で屋台を出して、鼈なる一度噛みついたら離さない精力剤同然の亀を煮こんだ拉麺を高額で売っている、実に商魂逞しい老婆こと羌婆。若い頃は鉄鍋公主だなんて呼ばれたそうだが、今では銭食欲婆という名前の方が圧倒的に似合う、そんな婆さんだ。
その羌婆とは廃界に来た頃からの顔見知りなのだが、瞼の裏に捻じ込んでも痛くない可愛い孫が何人かいて、最も溺愛している末の孫娘が勤め先から帰ってこないのだという。
「どこで働いてるんだっけ?」
「警備局の黄牛王の屋敷だよ! 三日前から帰ってこないんだよ!」
警備局の黄泰然。確か帝都から派遣された帝国の武官で、数年前にフェイレンと一悶着遭って以来、敵対関係にある。ボクらは匪賊なので役人だの軍人だのといった権力者は敵で、帝国は許し難い宿敵でもあるので、そこから派遣された武官なんてものは当然、襲ったり奪ったり燃やしたり叩きのめしたりする対象なのだが、四獣のひとりが顔に馬鹿でかい刃傷を刻み付けてしまった。以来、人前に出る時は牛を模した革の面を被り、名前も面に合わせて黄牛王と変えた。負け犬が王を名乗るとか脳に致命傷を負ったのかと思ったが、数年経っても死ぬ気配がない為、脳が損傷しているわけではなさそうだ。
「あたしゃ屋敷の前で待ってたんだ! だけど何時まで待っても出てこないから、守衛に賄賂握らせて呼びに行かせたんだよ! でも、その守衛、屋敷の何処にも居ないってそれきりさね! 出入りの業者にも聞いて回ったけど、屋敷の中でそんな女は見てないって答えばかり! こうなったら火付け強盗でもやるしかないんだよ!」
「まあ落ち着けよ、婆さん」
「落ち着いてられるかい! あたしゃね、孫に手を出す奴は絶対に晒し首にするって決めてんだよ!」
興奮する羌婆に茶を出しながら情報を纏めると、羌婆の孫は黄牛王の屋敷で掃除や洗濯といった下働きの女中をしていて、その日は何時まで経っても出てこず、買収した守衛に調べさせたところ、真偽は不明だが屋敷の中に居ないという。出入りの業者や他の女中にも話を聞いたが、三日前、つまり帰ってこなくなった日から屋敷の中にも居ないらしい。
まるで神隠しにでも遭ったような話だ。ボクは骨董品店の店主なので怪異の類は嫌いではないし、金になる怪異であれば望むところだ。それこそ価値の高い、皇帝への献上を許されるような怪異や異形、呪い、そういった類であれば有り難い。神隠しにどの程度の値を付けるかはそいつ次第だが、神懸かり的な力はそれだけでも相応の価値がある。決して無駄にはならない話だ。
「いいよ、婆さん。ボクが調べてきてやるよ」
脳裏に硬貨の転がる甲高い音色を響かせながら、ボクは僅かな笑みを浮かべた顔を向けた。
「というわけで、久しぶりに森ノ黒百舌鳥の本領発揮だ」
「店主、本領発揮ってなんすか?」
折角ボクが先陣切って気合いを入れたというのに、新入りの鴉爪が余計な横槍を入れてくる。とはいえこいつはまだボクの部下になって日が浅い、ボクの本領発揮を知らないのも仕方ない。いや、部下なんだから嘴細や嘴太に細かく仕事内容を聞いておけ、と思わないでもないが、ボクは黒社会にしては珍しいくらい優しい人格者なので、尻を蹴り飛ばした後で丁寧に説明してやることにした。
「いってぇ!」
「ボクの本懐は皇帝の暗殺だ。これまで他の四獣や四凶四罪までもが何度も目論んでは失敗してきた皇帝の暗殺、これを成し遂げるには目の前に、手を伸ばせば直接届く位置まで近づかなければならない。その為にフェイレンは価値あるものを探している」
その価値が手に入った暁には、この世の中を引っ繰り返せるのだ。大陸全土の凡そ半分を支配する帝国の主、血筋と軍才と頭脳で成り上がった独りの大馬鹿者が作った世界、それを滅ぼすのは途轍もなく愉快だろう。それこそ地上に比肩する物などない程、ボクの胸の内に残る怒りや恨みを消してくれるに違いない。
ボクらは匪賊だ。匪賊であるからには、役人でも領主でも王でも、上から抑えつけようとする者は全て滅ぼす。師匠から朱雀の名を受け継いで、フェイレンという独自の組織を築くと決めた時に誓ったのだ。
「神隠しに何処までの価値があるかわからないが、可能であれば正体を捕獲する。鴉爪、お前の仕事はボクの護衛だ、人間の相手は任せるからな」
「へーい」
「それにな、鴉爪。婆さんの孫娘は、廃界でも評判の美人らしいぞ。知ってるか? 泥沼に咲いた一輪の蓮こと羌花蓮。こんな町には不釣り合いな人間で、誰にでも分け隔てなく心優しく、飢えてる子供に食事を与えたり、身寄りのない年寄りの様子を頻繁に伺ったり、是非うちの嫁にと引く手数多だそうだ。お礼に一晩、なんて起こり得るかもしれないぞ?」
評判はその通りで、だからこそ役人の屋敷にも出入り出来るのだろうが、ボク個人としてはそういう女はどうにも薄気味悪い。善人というのは心根が見え無さ過ぎて信用出来ないのだが、世の人間たちは耳心地良い言葉を吐き出し、手触りの良い善行を渡す善人を好む傾向にある。
「うっす、頑張ります!」
鴉爪の嘴状の面の中で瞳が光る。実際は面のせいで何も見えないわけだが、ボクの部下であるからには、動機はどうであれ気合いのひとつでも入れてくれないと困る。だが、実際に気を引き締めてくれたようで、腰に提げた鉄杖を触る指先に力が籠り、姿勢が僅かに前傾している。その調子だ、せめて足止め程度の役に立て。
羌婆が買収した守衛や出入りの業者からの情報で、屋敷の図面は頭に入っている。横幅の広い三階建てで、一階に客室と応接室、風呂、便所、それと十人は同時に組手が出来そうな訓練場。二階に調理場と食堂、時折帝都の武官や文官を招くためか二十人は座れる馬鹿でかい円卓がある。それと女中や奴隷の休憩室が複数。三階は主に私室で、黄牛王個人が使う書斎に寝室、権力者らしく調度品を集めた倉庫、阿片や麻薬を隠した物置代わりの個室、娼婦を抱くための歓楽室、普段は使われていない空き部屋。階段は中に入って廊下を伝って左右の端、建物の外には門の裏にある守衛室と小さめの離れが一棟。機能的な造りだが、これが黄牛王個人の性格を表しているのか、単に前任の武官からそのまま引き継いだだけなのかは不明だ。
情報によると、この時間帯に中に居るのは食事洗濯係の女中と奴隷あわせて三人。仕事関係の業者や同僚が早朝から居る可能性は低く、戦力的には正面突破も容易。単純に攻め入るだけなら火を放てばいいが、今回は怪異とついでに羌婆の孫娘を探さねばならんので、慎重かつ丁寧に調べていく必要がある。そのためにも最初の一手をしくじらない様に注意が必要だ。
「おい、そこの小娘と変な面の奴! 用が無ければ……ぐあっ!」
「おい、勝手に入るんじゃ……がぁっ!」
「あのぅ、どちら様でしょ……ぐえっ!」
「御主人様は留守……ぎゃあっ!」
最初の一手は当然、先手必勝だ。出会い頭にその場で跳躍して足を振り回し、顎や側頭部を正確に打ち抜き、意識が残っていたら鴉爪が追撃して昏倒させる。その後は手足を縛って猿ぐつわでも噛ませておけば、外から増援を呼ばれる心配もない。女中まで倒す必要は無いのかもしれないが、羌婆の孫娘の味方とは限らない。黄牛王と手を組んでいる可能性も無きにしも非ずだ。
後は孫娘を探すだけだが、ボクの中では目星は付いている。出入りの業者からも守衛や女中からも目を逸らせる場所は、三階の倉庫か歓楽室か空き部屋だ。この中で高価な調度品を収めた倉庫は暴れられたら困るので除外、歓楽室は二日前にも娼婦の出入りがあったそうだから可能性は低い。そうなると空き部屋に閉じ込められている確率が一番高そうだ。
「……で、ここがその空き部屋だが」
空き部屋は三階の角にあり、両開きの扉は不自然に頑丈な錠前で封じられている。それだけでは無い。扉と扉の間に、上下左右を囲む木枠との間の僅かな隙間に、綿と膠の様な物質を詰め込んで、ぴったりと隙間が出来ないように作ってある。まるで中に何か厄介な生き物を閉じ込めているように。
「鴉爪、鍵を壊したら即横に跳べ」
「……っす」
鴉爪が鉄杖を大上段に振り上げて、全体重を乗せて錠前を叩き落とし、その瞬間に床を転がるように離れた。ボクも同時に扉が開く範囲の影になる部分に身を潜め、中からの攻撃に備える。
だが、鍵の壊れた扉はいつまでも開く気配はせず、中から声や物音が漏れてはこない。つまり何も起きないのだ。
「となると、隠し通路でもあるのか?」
「だといいんですけど」
肩透かしを食らわされたボクらが、それでも警戒心は解かずに扉を開けてみると、中に居たのは窓ひとつない部屋の壁に蜘蛛のように、いやもっと平坦に染みのように張りついた真っ黒い墨汁のような不気味な怪異だった。時には理解の埒外にある物も流れてくる廃界でも滅多に見ることのない生物だが、こいつには見覚えがある。あるというか、何年か前に遭遇したことがある。
【神隠し】
人間が忽然と消え失せる現象を起こす生物。神隠しとは名ばかりの、実際には真っ黒い口だけの姿をした平面世界の怪異で、重力や風や振動の影響を受けることなく壁や天井や床を自在に移動可能で、繋がっている空間の中であれば空中にも静止出来る。
平面の世界の生き物であるため本来は立体の世界には干渉出来ず、立体の世界からも干渉出来ないので、切り裂くことも燃やすことも、その他ありとあらゆる攻撃を受け付けないが、向こうからの害も無い。ごく稀に立体世界に干渉できる突然変異が発生することがあり、そいつが人間の体や足元と重なり合った時に起こる現象が、世間一般では神隠しと呼ばれている。
忽然と姿を消すのは平面獣の口の飲み込まれたからで、さほど遠くない場所を徘徊している出口へと瞬時に飛ばされる。瞬時に飛ばされる理由は、平面の世界は絵に描いた餅のように変わらないから、時間という概念が存在していないと推察される。
「厄介だな!」
ボクは即座に扉を閉めながら鴉爪に簡単に説明して、今すぐ外に出てフェイレンの全構成員に近隣を探すように頼めと命令した。入り口がこの屋敷にあるということは、出口もそう遠くない場所に居る。それがすぐ傍なのか、思ったよりも離れているのかは判らないが、広くとも廃界を囲む二本の大河の内側の何処かなのは確かだ。その上で羌婆の孫娘が平面獣に飲まれたのだとして、今も戻ってきていないということは、飛ばされた先が牢屋や密室のような逃げられない場所か、或いは死体処理場のような隔離された上に秘匿性の高い場所か、もしくは人身売買を生業とする連中に捕まっているか。その辺りだと予想してみる。
「いいか、港を中心に探せ。人を売り飛ばすなら港が基本だからな」
「店主はどうするんです?」
「ボクか? まあ、死にはしないだろうからな」
そう言って扉を開けて中に飛び込み、すぐに閉めさせて、ついでに取っ手を雁字搦めにして簡単に開けられないようにさせる。これで二次被害は起こらない。あとは行き先が鬼が出るか蛇が出るか、鬼が出れば角を圧し折ればいいし、蛇が出れば蒲焼きにでもすればいい。静かに息を吸い込んで、行き先のなるべく最悪な状況を予想しながら、ぬらっと近づいてくる平面獣の口に身を任せた……
▶ ▶ ▶ ▶ ▶ ▶
一瞬だけ瞬きのように視界が暗くなったと思ったら、すぐに明るさを取り戻し、視野の明度が屋敷の中よりも少ないのを察した。
屋内、光源の乏しい窓の小さい建物、或いは窓から遠い場所。壁の素材は石、床も石、天井は木で石壁との間に隙間があるが硝子が埋め込まれていて、逃げ場のない平面獣が張りついている。放り出された位置は中二階程度の高さ、ボクの背丈の倍くらい。落下しながら手を慣らす。音の返りからして広くもないが狭過ぎることもない。着地の直前に身を翻して壁に背を向ける。待ち伏せは無し、ただし安心出来る保証も無し。
少なくとも塔のような高さから放り出されるよりは安全なので、最悪の想定は免れたらしい。左右を見渡して人の気配がしないのを改めて確かめて、湿気の満ちた石畳の上を進んでみる。床の上には引き摺ったような跡があるので、普段はここに飛ばして戸惑っている間に捕まえて、別の場所に運んでいるのだろう。
用意周到というか面倒というか、黄牛王というのは不自然なまでに手の込んだことを好む輩のようだ。
「そして予想通り、外には建物が複数」
高い塀に囲まれた土地には倉庫程度の大きさの平屋建てが三棟ある。塀は外部からの侵入を阻むと同時に、中の様子を見せない為だと思われ、平屋建てが複数建てられているのは、おそらく用途別に分けているのだろう。例えば強引に抱く用とか、痛めつけて楽しむ用とか、なるべく良好な状態で保存して売り渡す用とか。他人の美醜など知ったことではないし、他人の嗜好などもっと知ったことではないし、羌婆の孫娘が何処の基準に当てはまるのか判断出来ないが、仮に売られるのであれば今のところ大丈夫、誰か来るまでは後回しで構わない。暴力の対象に選ばれたのなら探すだけ無駄だ、とっくに死んでる。であるならば、ボクが探すべき建物は交尾用の精液臭い建物だ。
血と性の悪臭を嗅ぎ分けながら一番可能性の高い建物に近づき、中から漏れ聞こえてくる悲鳴と喘ぎ声に神経を尖らせながら扉に手を掛ける。扉に触れた瞬間に殺気が飛んできて、数秒遅れで板ごと粉砕するような凶悪な破壊力が襲い掛かってきた。扉を突き破ったのは金剛杵という武器で、柄の両端に鉾のような刃を備え、更に刃の周囲を複数の太い爪状の刃で覆った凶悪な形をしている。持ち主は更に凶悪な姿をしていて、頭は革製の牛の面を被って荒々しい二本の角を携え、半裸の上半身は醜く太っているが隅々まで魑魅魍魎の刺青が跋扈し、褌一丁の下半身は極彩色の毒蛇が彫られている。
黄牛王というよりは豚悪魔といった風貌だが、かつて素顔を晒していた頃は無駄な脂肪の無い屈強な体躯であったし、こんな黒社会の煮凝りのような町に派遣されるに相応しい武力を誇っていた。
「誰だ、貴……貴様貴様貴様ぁ!」
ボクの姿を一瞥した牛頭豚躯は、眼前に居るのが憎きフェイレンの龍頭だと気付いた瞬間に怒りに身を打ち震わせ、呼吸を荒げて激昂し始めた。こいつの顔に傷を負わせたのはボクではないが、フェイレンはそもそもボクの作った組織なので怒りの矛先としては間違いではない。どうぞご自由に恨むがいいってところだ、その代わりこちらも全力で弾き返すだけで。
「ぶおぉぉぉっ!」
牛と豚の中間のような鳴き声を発しながら金剛杵を振り回し、怒りに満ちているにも関わらず案外器用に上下巧みに打ち分けてくるが、距離と軌道さえ見誤らなければ当たるものではない。それよりも問題なのは羌婆の孫娘の居場所を聞き出さねばならず、生かさず殺さず程度の絶妙な手加減をする必要があるのだ。素手で叩きのめすには面倒な体型と武器、会話不能なまでに怒り狂った豚の化け物、怒らせるともっと面倒そうな婆さん……頭の中で状況を整理して選んだ最善の一手は、
「ぶぐぁぁぁぁっ!」
袖口に仕込んでおいた袖箭から矢を放つ。袖箭は小型の筒に発条と閂を仕込んだ暗器で、予め装填しておいた矢を自在に放つことが出来る。扱いやすく、隠しやすく、矢に毒でも塗っておけば一撃必殺の武器にもなる。こういう頭が沸騰して茹で上がった相手には特に効果的だ。狙い通りに振り下ろしの直後に合わせて、牛面の唯一無防備な眼の部分に矢が突き刺さり、片手を得物から放して顔へと運んだ瞬間、がら空きになった急所に二の矢三の矢を容赦なく撃ち込む。
最も狙いやすい急所が、目印のように褌に覆われているのだ。竿と玉を貫くのは容易い。そして経験上、竿と玉を潰されてもなお立っていられる男は、まだ今のところ御目に掛かっていない。
「さて、無力化には成功したわけだが……」
念のため両手両足を鎖で縛り、更に平屋建ての柱に括りつけておいたので、もう襲われる心配は無いのだが、それでも室内に目を向けると背中に怖気が這い回るものがある。なにせ悪趣味にも程があるのだ。野郎の竿を模した棒を棘だらけにした姦具だの、全面に釘が逆さに打ち付けられた拷問椅子だの、取っ手付きの頭蓋骨粉砕機だの、隅々まで残虐性に満ち満ちているのだ。考えてみれば、この男の牛の面も大陸北部でかつて流行った、罪人を晒すために被らせる恥辱の面に似てなくもないので、持ち主の趣味をそのまま形にした結果ともいえる。
最も血の臭いの漂う別の平屋建てが残虐性を発奮するための建物だと思ったが、あの建物は単なる一時的な死体置き場で、残虐性そのものはここで晴らしていたようだ。うっかり或いは目論見通りに死んだ者を運ぶのだろう。一応簡単に調べたが中に新鮮な遺体は無く、遺体に新鮮もへったくれもないが、強いて表現するなら新鮮な、死後数日しか経っていないような新鮮なものは転がっていなかった。
ならば、この部屋の隅で震えている女がそうかとも考えたが、こいつは別件の口封じで連れてこられたらしく今回の神隠しとは無関係なのだとか。ちなみに別件とは、簡潔に纏めたら麻薬の密売と美人局と冤罪被せの併せ技のようなもので、生かしておく価値もないがわざわざ手を下す必要もない。この町の住人なら、大なり小なり十や二十は悪事に手を染めているものだ。
「なあ、あんた。ここは廃界のどの辺なんだ?」
「……わからない」
「使えないなあ」
思わず本音を溢すと、女は何を恐れてか両腕で全身を庇うように身構えたが、まったく失礼な態度だ。ボクの何処が暴力的に見えるのか、ちょっと目の前で牛頭豚躯の眼と玉を打ち抜いただけだというのに。
「じゃあ別の質問するけど、羌婆の孫娘は見てないか? この牛豚の屋敷で女中として働いてる若い女で、名前は羌花蓮」
「そいつなら知ってる! 善人気取りの偽善女だろ!? 天女と見せかけて正体は糞見たいな奴隷商人で、あいつと取り分で揉めてるって聞いたよ! ここに連れてきたけど逃げられたって!」
成程、話が少し読めてきた。
孫娘は黄牛王の屋敷で働いていると見せかけながら、裏では人身売買に手を染めていた。黄牛王は警備局の武官だ、適当な理由をでっち上げて好き勝手に連行出来るし、行き先が屋敷であっても特に不思議ではない。拘置所が満杯だとか取調室が空いてないとか、言い訳もどうにでもなる。
羌花蓮の評判の良さは更に拍車を掛けてくれる。身寄りのない可哀想な子供や浮浪者に施しと騙して接し、役人の家で仕事を斡旋する風に見せかければ、尻尾を振って付いてきてくれる。そして人が消えても気に留める者はいないし、仕事を斡旋したことにすれば、誰もがそういうものかと納得する。廃界は戸籍の無い黒子や流民が本来の住人の四倍は暮らしている、それこそひとりやふたり消えたところで誰も気づかない。
屋敷に連行して平面獣に食わせてここまで飛ばせば、道中怪しまれる危険を省ける上に効率的に人を運べて、三つ目の建物に押し込んで後日纏めて売り飛ばす。商品価値の低い醜女や労働力にならない貧相な男、老人や病人なんぞは、黄牛王の趣味に付き合わされ、その辺で燃やされて土の中へ。そうやって奴隷商人は金を稼ぎ、役人は残虐性を発奮していたが、よくある話で取り分で揉めた。その結果、奴隷商人はここで消されるはずだったのだが、他にも裏切り者がいたのか第三者の助けが入ったのか、予め秘密の抜け道でも作っておいたのか、まんまと逃げられてしまった。
「……参ったな、婆さんになんて説明しようか」
おそらく孫娘はすでに廃界から逃げ出しているか、どこかに潜伏して顔と名前を変えて別人として生きるか、どちらにせよ再会は不可能で安否の確認もやりようが無い。事実を告げるには少々酷だし、それこそ神隠しにでも遭ったということにしておくべきかもしれない。
「というわけで八方手を尽くしたが、何処にも居なかった。おそらく神隠しにでも遭ったんだろう。こんな辺鄙な町だと、たまにそういう奇妙な事件も起きるってものだ」
「まったく、フェイレンだかなんだか知らないけど、尻拭き紙にも劣る役立たずだねえ、この小娘は! くぉあーっ、ぺぇぇいっ!」
数日後、ボクはなるべく事実を伏せて穏便な形で羌婆に伝えたのだが、罵声を浴びせられた上に怨念の塊のような粘度と臭気の高い痰まで吐かれてしまった。当然報酬も無ければ労いの言葉すら無く、八方走り回ったフェイレンの部下たちには小遣い程度でも礼をせねばならず、なんていうか威厳も財布の中身も忽然と消えてしまったわけだ、まるで神隠しのように。
「店主、とりあえず顔拭いてください。こっちまで臭ってるっすから」
「うるさい! お前も婆の唾吐かれてこい!」
ボクは人目も憚らず目に涙を浮かべ、異常に悪臭を発するねばっとした婆の憎しみを拭い取ったのだった。
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