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黄金髑髏は飯代にもならない~森ノ黒百舌鳥怪奇収集録~

この町には、この世のありとあらゆるものが流れ着く。
大魚の左半分を上から圧し砕いたような形の大陸の最南端、割れた顎から飛び出た牙列の末端の食み出しの隅っこの余韻のおまけのついで……罵詈雑言を並べたらキリがないが、とにかくこの世界の果てといえば聞こえが良過ぎて、地の果てと呼ぶには希望が無さ過ぎて、寂れてるというには余りにも人も物も多すぎるこの町は、2本の大河と海に挟まれていることもあって、上流から海から、どんなものでも流れ着く。
人、金、武器、麻薬、赤ん坊、死体、この世に存在するありとあらゆるものが綯い交ぜに。
流れ着いたものは使い道がなければ海岸沿いの焼却場で燃やされ、有用であれば町の中に流れて、再利用されるか誰かの所有物となるか、或いは姿を変えて命を奪う道具に変わる。
人の手に余るものは、町のあらゆる場所をたらい回しにされて、然るべき場所、然るべき持ち主の下へと流れていく。

そんなこの世の終わり、最後の最後に行き着く場所と呼ばれているこの町は、本来の名前である杯海漁港をもじって【廃界】と呼ばれている。


「さて、そろそろ行くか……」
湯桶を引っ繰り返したような大雨が何日も続いて、もういい加減に大河も器から毀れるんじゃないかってくらい雨が降り続けて、ようやく雨粒が小さくなってきた頃、その荒天と曇天の合間の時間こそが商人の仕事の時間だ。水が海まで流れ切ってしまうと、上流からのお恵みを逃してしまうし、そんなぼんやりしているのは河川敷で鳶の群れを見上げながら油揚げを箸で突くようなもので、要するに他の商売人共に値打ちある物を掻っ攫われてしまう。残り物に福は無い、もし何かしら有るとすれば後悔と怒りと、あとは無駄な徒労くらいだ。
そういうわけで雨が本格的に弱まる前に、店の物置から熊手だの火ばさみだの鉤付き棒だのといったどぶさらいに必要な道具を運び出す。正直、こういうものを抱えていると、自分が商人なんだか泥棒なんだかわからなくなるが、物を盗むのが泥棒で、物を売るのが商人だ。そしてボクは商人なので、もちろん物を売る側だ。売る物は拾ったり盗んだり買い取ったり色々だが、その辺はあまり拘ることでもない。とにかく価値あるものを手に入れてしまえばいいのだ。
そもそも売ることにも拘りなど無いのだが、それを言い出すと働く気が失せてしまうので口には出さない。例え頭の中で、どれだけめんどくさいと思っていてもだ。

「雨とか、くっそめんどくせえですね」
「おい、貴様、それだけは言わないでおこうとずっと我慢してるのに」
「あ、そうなんっすか。すんませ……いってぇ!」
まったく誠意の伝わらない謝罪を繰り出してくる嘴男の尻を蹴り上げて、その手に鍬を握らせる。
この鳥の嘴のような仮面を被った、解る者が目にすれば感性の良さに唸り声を上げずにいられない恰好の男は、新顔として働くボクの部下で、名を鴉爪という。本名は忘れた、なにやら威勢の良い名前もあったように思うが、ボクの趣味でないから鴉爪という名前にした。普段はボクの店の掃除係兼雑用兼店番兼接客係をさせている。簡単にいえば立ち仕事の接客業だ。見ての通り頭と礼儀と言葉遣いが少々足りないが、この廃界では文字の読み書きと数の足し引きが出来れば上出来なので、あまり贅沢は言えない。拉麺屋で最高級フカヒレを出せというようなものだ。
よし、もしも結構良い値の付く商品が手に入ったら、その暁にはフカヒレ、そうだな、天九翅でも食べようじゃないか。ボクは店主でありながら、ほぼ毎日休みなく働いているのだから、自分にご褒美をあげても構わないはずだ。
「いいか、鴉爪。明日の飯が大根飯になるか天九翅になるか、そいつは今日のお前の仕事如何によるからな」
「ってことは、俺もすっげえ高いフカヒレが食えるってことですか?」
「お前が食えるわけないだろ、なめてるのか?」
一瞬、嘴面の内側の顔が引き攣ったような気配がしたが、そんなものは外から見えないのでボクの知ったことではない。見えないものは起きていないのと一緒だ。仮に不満や苦情があっても却下だ。

廃界の河川敷や海岸には、水と共にどこかから流れてきた流民たちの舟屋が並び、洪水で吹き飛ばされてもまた何処かから木や釘を集めてきて立て直しているわけだが、使えるものは朽ち木でも再利用するのがこの町の流儀だ。そのため河口に巨大な鉄製の網を張って、外れた床板や柱を引っ掛けて海まで運ばれないようにしている。当然、網は無差別になんでも引き留めるので、たまに上手いことお宝が掛かることがあるのだ。そしてこっそりと網を漁るのがボクたち商人の仕入れのひとつなのだ。
本来は漁業権とか採取権とか、そういった法的な区分けもあるのだが、金に目のくらんだ商人や明日の飯にも困った貧民、そもそも法の外にある流れ者の流民、戸籍も住民登録もない法的には存在していない扱いの黒子たちに、そんなお利口な理屈は通用しない。止めたければ金か腕力を持ってこいって話だ。
とはいえ非合法に生きざるをえない流民や黒子はもちろん、こんな果てで働く商人も少なからず犯罪組織と繋がりがあり、当たり前だがそんなものを相手にしなければならない漁業従事者は公的な役人や軍の後ろ盾があり、あまり細かく五月蠅くやっていると表と裏との戦争にしかならないので、ある程度は黙認せざるを得ない。むしろ黙認をいいことに漁師たちも堂々と宝探しに精を出しているのだから、なんというか、どいつもこいつも意地汚さに余念がない。
上から下まで表も裏もごちゃ混ぜに真っ黒、それが廃界という町の色だ。
「うわぁ、死体に集る糞虫みたいっすね」
「ボクらも今からその糞虫になるんだが、希望なら糞虫の餌にしてやらんでもないぞ」
そんな真っ黒な町の、更にその果てで我先にと網に寄り集まる有象無象の集団を見ながら、鴉爪が道端に落ちた犬の糞見たいに不快な例えを出してきたので、不快感を隠さずに返しておく。しかし巨大な網にしがみついて、水の中へと鍬や鋤を伸ばす姿は、例え通りの姿に見えなくもない。こいつ、意外と観察眼があるじゃないか。商人に向いてる。

「おや、あなたも宝探しに?」
「あぁん? 誰だ、てめえ! ここにいる御方を誰だかわかって……ぐぁっ!」
話しかけてきた声の主に向かって、脊髄反射的に厳つい返しをする鴉爪の尻を蹴り上げて、今すぐ網の方に向かうように指差した。
「堅気の人を脅してないで、さっさと行け」
「えぇー、ほんとにっすか? 俺、泳ぎはあんまりなんですけど」
「この流れだったら金槌でも人魚でも一緒だ。骨は拾ってやるから、さっさと行ってこい」
熊手を握り締めて網へと向かう鴉爪の背中を見送って、改めて声の主に向き直る。運動神経の悪そうな縦にも横にも大きい男で、普段何を食ってるのか四十も近いはずの顔の表面には、でっかい面皰が赤みを帯びて自生している。この男は中央通りに面する冥門市場の、いわゆる一等地で【白金ノ鵞鳥】という宝飾店を営んでいる。名前は九鳥。見ての通り腕はさっぱりだが、腕利きで強面の共同経営者や警備員のおかげで強盗に殺されずに済んでいる。それが証拠に、今も少し遠巻きに、少し離れた路地や物陰に懐や腰に短剣を忍ばせた男衆がこっそりと視線を向けてくる。
一方、ボクは中央通りから外れた裏路地にひっそりと佇む骨董品店【森ノ黒百舌鳥】の店主。連れは嘴面ではあるが馬鹿で、背丈と肉付きはそれなりだが、身を隠すことを知らない木偶の坊だ。商いの種類が違うので卑屈になる必要もないが、羽振りや店構えでいえば月とスッポン、提灯に釣り鐘、鰻と鯰、まさに天地の開きがある。
「で、宝石商もどぶさらいの真似事か? 商売ってのは、どこまでも大変だな」
「いえいえ、私は仕入れですな。良い掘り出し物があれば、他の連中に売られる前に買い叩く! 多少色を付けてでも他の連中には渡さない! 結果、私だけが儲かる! それが私のやり口ですので」
なるほど、そういうのも確かに有りだ。ボクの趣味ではないが、他人のやり口にとやかく言うつもりもない。むしろボクが良い具合のものを見つけたら、色を付けてもらおうじゃないか。その色が無色透明でないことを祈るばかりだ。
ボクはボクで網は鴉爪に任せて、籠の方を引き受ける。籠というのは、その名の通り水中に沈めた巨大な蟹籠だ。人間のふたりや三人は入りそうな大きさの金属製の籠で、蟹を捕まえる為というよりは流れてきたものを掬う為に仕掛けている。一応、この籠は正規の手続きを踏んで、漁業権を獲得した上で設置しているので、誰かからとやかく言われることはない。大きさに関しては文句が出ないわけでもないが、こっちは申請した数はきちんと守っている。
過去に少々一悶着あったのと、人力で上げるには重すぎるというふたつの理由で、籠は鍵式の巻き取り型で錠前と栓を外すと勝手に地上まで引き上げられる仕組みになっている。反対に降ろす時は、籠の中にでかい石を山ほど放り込んで沈めて、水中で底を開いて中身を捨てる。どちらも危険な重労働だが、やらないわけにはいかないので仕方ない。
轟々とした音を立てながら巻き取られた籠が、殊更大きな悲鳴を響かせて巻き上げられる。木片や残骸、硝子片や欠けた陶器の中に、黄色の鈍い輝きを帯びた異形の物体があるのを捉えて、網に向かって大声を出す。

「鴉爪! そっちはいい、こっちに来い!」
「おや? なにか良い物でも……?」
背後から覗き込んでくる商人に、若干胡散臭さを含んだ笑みを返し、鉤付き棒で木片や泥を掻き分けて黄金を引っ張り出す。
「ほほーう、黄色の……髑髏ですか?」
九鳥という商人は驚いたり昂ったり、とにかく気分が乗ると、山鳩の鳴き声のような裏返った声色で妙な口癖を発する。その辺の癖も含めて、妙に居座り感があるので、もしかしたら鳩が化けているのかもしれないが、狐や狸じゃあるまいし鳩が化けるという話は聞いたことが無い。鳩にしてはどうにも可愛げが足りないが、かといって光り物が好きな鴉にしては邪魔感が強すぎる。せいぜい牛か豚が関の山だ。
「ほほーう、鍍金では無いですね……本物の人骨? それとも精巧に作られた造形? どちらにしろ興味深い」
「だろう? 宝飾店の奥の方にでも飾っておくといいと思わないか? どうだ、欲しくなってきただろ?」
ボクが革手袋越しに黄金色の頭蓋骨を掴んで、こびりついた腐肉や髪の毛をずるりと剥いでいると、網から戻ってきた鴉爪が嘴面の上半分を覆って目を背けている。まったく気の小さい奴だ。屍なんぞにいちいち怯んでたら、この商売やっていけないぞ。
「いや、なんで平気で掴めるんっすか」
「慣れだ。お前も早く慣れろ」
「嫌ですよ! 近づけないでください、気持ち悪い!」
まったく、ボクの部下にしては失礼な奴だ。これはただの屍ではなく、将来お金に換わってくださる商品様だぞ。これのおかげで明日の飯が、人間様の食い物になるか、瓶底にこびりついた塩になるかというのに、この嘴は。
「それで、これは一体……?」
どこぞの嘴と違って、興味深そうにまじまじと髑髏を眺める九鳥の商人魂のようなものに、少なからず関心を抱いたので、面をずらして吐瀉物を撒き散らしている嘴は放っておいて、このまま店に戻って商談の準備を進めることにする。

【黄金髑髏】
文字通り黄金色をした髑髏。人工的に作れなくもないが相当な危険を伴うため、自然発生的に誕生するのを待つのが基本。
黄金の比率は、骨の変質の元となる黄土病の進行具合によってまちまちで、表面的にわずかに変色したものから骨髄まで変色したものまで様々。元々が人体であるため正規の取引で出回ることは決してなく、取引先は悪趣味な人体収集家か熱心な病理研究者になる場合がほとんど。
黄土病は上流のごく限られた地域でのみ確認できる一種の風土病で、皮膚から骨に掛けて文字通り黄色く変色し、体組織が水気を失って土や石のように変質する。発症部位の切断以外の治療法は無く、闇市場に出回る髑髏の大半が手足の骨であることから、頭蓋骨や背骨などは非常に高価で取引されていると噂される。
美術品としての価値も高いが、その真価は持ち主に祝福を与える天啓にあり、今に飾っておくだけで開運招福、商売繁盛、家内安全、無病息災、千客万来、五穀豊穣、交通安全、恋愛成就、とにかくありとあらゆる幸運が舞い込んでくるのだ。聞くところによると、醜男として嫌われていた貧乏男が黄金の小指骨を懐に忍ばせていただけで、不思議なことに道を歩くだけで美女が吸い込まれるように次々と擦り寄り、洗い過ぎて逆に肌が荒れてしまうくらい枕を交わしたのだとか。他にも黄金の肋骨のおかげで官僚試験に合格したとか、黄金の咽仏で家が建ったとか、例を挙げると日が暮れるどころか夜明けが来てしまうほどで、これを手に入れないは馬鹿以下の人生を全力で棒に振る類の愚物。生きる価値が無い、犬の糞を踏んで転んで頭でも割ってしまえ。さあ君も今すぐ黄金髑髏を飾って、幸せな毎日を送るがいい。
ちなみに病気の発症条件は未だ不明だが、勇気ある先人たちによって粘膜か血液を通してしか感染しないことが解明されており、また死者から感染することもない。もちろん黄土病患者の肉を食う、といった自殺行為に及べば話は別だ。
ちなみにこの解説には多分にボクの嘘が含まれるが、そこはまあご愛嬌というやつだ。

「ほほーう、なんとなく聞いたような覚えがあるような気はしましたが」
「要するに知らなかったってことだな。まあ表に出るのは稀だからな、知らぬは恥でもないぞ。ほら、綺麗になった」
説明を聞いて関心の鳴き声を発する九鳥に、余計な肉を削ぎ落して丁寧に磨き上げた黄金髑髏を見せつける。黄金なんて名前はついているが、色で言えば黄金よりは硫黄に近く、僅かな赤みを含んでいるため更に言えば琥珀に近い。そのため美術品としては好き嫌いが別れるだろうが、裏に流せば屋敷のひとつは建ち、表に出しても金細工の時計よりも手堅い値が付くに違いない。
もちろんボクもこれでも一国一城の、とまではいかずとも1軒の店の主だ。もっと値の張るものも当然ある。例えばボクの後ろの棚の偽書三部作と名高い『土着伝承奇譚』『西治部袋三郡誌』『竜人島探訪録』、その上に無造作に置いてある『深海獣の大肝』、天井からぶら下がる『一角の捻じり骨』、机の上の『古代フンヌグンヌ語辞典』、床に転がる『護摩法師の琵琶』、そこら辺に確か眠っている『沃花亭香炉』、『奥若洛木の杭打標本』は何処いったか覚えてないが、『火鼠の乾皮』なら硝子戸の中にあるに違いない、あと天井に貼り付けた『太白曼荼羅』、つっかえ棒代わりにしてる『異教聖母像』、壁に刺さって抜けなくなった『大姦婦の血錆包丁』、その他諸々。まあ並べれば日が暮れてしまう程にあるのだが、骨董品を宝石商に安く卸しても仕方ない。むしろ損でしかない。
しかし黄金髑髏に関しては、人体収集家なんぞの厄介事の種を探すよりは、少々悪趣味な光り物好きに渡った方が良いので、卸してしまうべきなのだ。餅は餅屋、宝飾は宝飾店だ。これを宝飾と取るか人骨と取るかは、それこそ客次第だが。
「店主、先お風呂頂きましたー」
「なんでお前がボクより先に風呂入ってんだよ? ボクが臭いの我慢して髑髏の腐肉を引っぺがしてる間に、部下のお前が湯船で鼻歌歌ってるのは、一体全体どういう理屈だ?」
「しょうがないじゃないっすか、こっちは水に浸かって風邪引き……だぁっ!」
腰布と嘴面のみの斬新な湯上り姿の馬鹿の脛を蹴飛ばしながら、やれやれと呆れた声と共に溜息を吐き出して、商談途中ではあるがひとっ風呂浴びることにする。どのみち髑髏を売るにも九鳥の共同経営者の許可も必要だし、一括で払えるほどの大金を持ち歩くような馬鹿でもない。それに部下に先に風呂になんぞ入られたら、さしものボクの労働意欲も真っ直ぐ立っていられなくなる。足伸ばしてぐでんと引っ繰り返りたい、そういうわけだ。
「じゃあ、後でまた来てくれ。なるべく色付きでよろしくな」
そう言い残して、床で悶絶する無礼者の腰をついでに踏みつけて、店の奥の従業員用風呂場へと歩みを進めたのだが、すぐにくるりと踵を返して店の中へと戻り、
「おい、九鳥。金持ちは大変だな」
状況をまだ飲み込めていない九鳥の頭をぐっと抑え込んで、床を小刻みに数回蹴って合図を出す。その音と同時に店の前へと鴉面を被ったふたつの影が躍り出て、路地の向こうから投げ込まれる石や金槌、手斧といった投擲を棒を振り回して叩き落し、床に転がっていた半裸の馬鹿も軒先へと駆け出して加勢に加わった。

ボクの店も含めて裏路地での商いは、いつだって万引きと泥棒と盗賊と強盗と商売敵との戦いだ。だから表通りの連中よりは外から向けられる視線に敏感で、込められた敵意や悪意には過敏なまでに警戒心を抱いている。それこそ今日は表通りの宝石商が商談に来てるからか、いつもよりも店に向けられる敵意に遠慮がなく、普段の視線が腹を空かせた猫だとしたら、今日の視線はそれこそ獲物を狙う猛禽のそれだったのだ。
要するに明確でばればれな襲撃者が現れ、攻撃に移る前に察したというわけだ。
店の外には小汚い身形の三十人程の小悪党が武器を手に押しかけていて、鴉爪と古株の部下の嘴細と嘴太、さらに店の外で待機していた九鳥の護衛数人と交差している。
「まったく風呂に入る暇もないじゃないか」
ボクも壁に掛けてあるト字型の杖を掴み、そのまま店の外へと駆け出して手近なところにいた輩の眼を狙って杖先を繰り出す。輩はいきなり眼前に突きを繰り出されて、反射的に頭を遠ざけて避けようとするが、避ける方向は予め予想済みだ。屈むか、横に飛ぶか、上体を反らせるか、或いは被弾覚悟で腕を間に割り込ませるか。どう動いても対応できるように速度を加減しておいたので、一旦杖を幾らか引き戻し、伸びきった腹に狙いを定めて一呼吸で突き出す。杖は木製だが先端を金属で加工してあり、さらに返しのついた銛のような仕掛けを施してあるので、平然と腹の肉を抉り、腸を引っ張り出し、噴水のように血を撒き散らせた。
その一方で、嘴細と嘴太は釣り針のような突起をつけた袖搦や先端の左右に棘状の棒をつけた突棒を力任せに振り回し、腰布と嘴面のみの変質者風味の新入りは狼牙棒という一層凶悪度を増したもので敵の頭を腕ごと叩いている。溜息が出そうなくらい効率の悪い戦い方だが、こいつらに華麗に一撃で仕留める、なんてことは期待してない。そもそも握っている得物も一撃必殺の凶器ではない。どちらかというと動きを封じて、どこの誰だか吐かせるための捕物道具だ。
なので、こちらは遠慮は無用。部下と戦っている相手は何人かは生き残るだろうから、ボクまで手加減する必要はない。腹を抉られた輩を目隠しに、他の輩へと素早く近づいて、死角から首へと爪先を蹴り上げ、当たる瞬間に足の指を伸ばして靴底に仕込んでおいた刃を押し出す。刃は静かに男の首に突き刺さり、足首をくるりと四半回転させると、肉ごと太い血管を切り裂きながら即座に命を奪う。
さらに膝をついた血噴水を踏み台代わりにして跳躍し、宙を舞いながら杖を投げつけて背中を突き、また別の輩の肩や頭を踏みつけて跳び続ける。人間は訓練でも詰んでいない限り、自分の目線より下方向への対処しか出来ない。空中から襲いかかる鳥に対して、銃や弓矢でも持たなければ戦えないように、空中を跳び続ける相手に対して無力なのだ。
「くそっ、俺たちを泣く子も黙る万盗だと知らねえのか!」
次々に踏み台にされて、同時に頭蓋に刃を突き立てられて手駒を減らされているからか、おそらく首領らしき男が勝手に名前を吐き出し始めた。曰く、泣く子も黙るのだそうだが、泣きたい状況にあるのはむしろこいつらだろう。数人は鴉爪たちに叩きのめされて地面を転がり、ボクが踏み台にした連中は例外なく肩や首から大量の血を流して、今にも気を失いそうだ。失うのは命かもしれないが、この廃界では命の価値は路傍の石みたいなものだ。安心してくたばるといい。

ところで万盗なんて聞いたこともないが、廃界含めて黒社会は悪党が畑で穫れると揶揄される程に多い。大陸最大勢力の天道なんて末端の四次五次団体まで含めたら大半は名前も聞いたことが無い連中だし、老舗の暗殺集団である禁門は謎に包まれ過ぎて実態がよく判っていない。堂々と活動しているのは目立ちたがりの猿猴って傭兵集団くらいで、そもそも悪党は名を売るよりは隠す傾向にある。
「たちの悪い盗賊の集団ですよ。強盗、放火、詐欺、人攫い、金になるなら何でもやるような嫌われ者共です。私たち商人はもちろん、住民たちからも蛇蝎の如く嫌われている糞共です」
「黙れ、暴利を貪る悪徳商人が! 黙って金目のもの全部と、さっき手に入れた黄金の髑髏を渡せ!」
いや、黄金髑髏の所有はまだボクにあるのだが。それにしても悪党は足も速いが耳も早い。ついさっき手に入れたものを、もう聞きつけているのだ。
「店主が帰る道中、熱烈に売り込んでたせいっすね」
「なんだ? ボクのせいだって言いたいのか?」
「そりゃあ往来であんな大声で売り込んでたら……つあぁっ!」
どうにも忠誠心が足りない鴉爪の腰に踵を繰り出す。これでも爪先の刃が刺さらないように気を遣ってるのだから、ボクの優しさとか慈悲とか存在そのものとかに感謝してほしいくらいだ。
「いいか、俺たちは大金を得る。それを上納金として、かの大逆の極悪盗賊団フェイレンの傘下に加わるのだ! おい、そこの小娘! 俺たちに敵対するということは、あのフェイレンを敵に回すということ! こんな小さい店、跡形もなく消し炭にして、お前も他の連中も変態御用達の娼館に売り飛ばして、最後は血の一滴まで金に換えてやるからな!」
聞けばフェイレンという連中は、嫌がらせで店を跡形もなく消し炭にしたり、小娘と罵られるような二十代半ばの小娘を変態御用達の娼館に売り飛ばしたり、臓器から皮膚から骨、血の一滴まで金に換えるような極悪非道の大悪党なのだそうだ。ボクもここに店を構えてそれなりに経つし、そういう噂は耳にしたこともないが、どうやら黒社会の一部では相当な悪名が轟き響き渡っているらしい。
「特に四獣の名を冠した四人の龍頭、奴らはそれはそれは恐ろしい鬼のような形相と、悪魔が腰を抜かして糞尿を垂れ流してしまうような性格をしていてだなあ。目を合わせるどころか同じ空間で息を吸っただけで気に入らないと首を刎ね、四肢をばらばらに引き裂いて野良犬の餌にし、親兄弟はおろか一族郎党片っ端から奴隷として売り払い、本棚の裏に隠した小銭から土地の権利まで金目の物はすべて奪い、しかもその罪をその辺の善良な一般市民に擦り付けるのだ! どうだ、おそろしいだろう!」
さらにその中でも、特に玄武・青龍・白虎・朱雀の四獣の名を持つ幹部は、まさに絵に描いたような、それどころか逆に現実味が無さ過ぎて嘘八百にしか聞こえないような悪党中の悪党なのだそうだ。なんという悪党だ、一度その悪人顔を見てやりたいところだ。
「特に朱雀というのは恐ろしい御方で、標的を殺すために町の貯水池に猛毒を流し、一夜にしてその町を壊滅させたそうだ! おまけに恐ろしいのは平気で毒を流す残忍さだけでなく、空中を鳥のように飛び回り、猛禽のように襲い掛かる驚異の軽業を使い……」
「毒を流そうとしたのは本当だが、他の三人に止められたんでな。あくまで未遂だぞ」
「はえ?」
間抜けな鳴き声を発する万盗の首領に、一応の訂正を告げておく。訂正することが多過ぎて何処から直していいか悩むところだが、他の龍頭はともかくとして、ボク個人の悪名は出来るだけ正しておきたい。

「お前、自分で言ってて気づかなかったのか? ボクがフェイレンの朱雀(ジューシェ)だ」

フェイレン、文字にすると飛人あるいは非人とも記す。
近年、それこそこの十年程の間に生まれた新鋭の盗賊団であり匪賊集団。後見人に四獣四凶四罪の十二人を含む老舗の暗殺組織があり、四獣は直接的にフェイレンの運営に関与しているから、四獣の私設軍隊がフェイレンと言えるし、フェイレン本体が四獣を借りているとも言える。その辺りはどっちでもいいので、各々で好きに捉えてもらって構わない。
表向きは合法的な商売で資金を集め、気が向けば慈善活動も行うし、必要とあらば非合法的な悪事も行う。首領格である龍頭を含めて主要幹部はなにかしらの商売を営み、酒場や武道場、骨董品屋、薬師、娼館、煙館、霊園管理まで多岐に渡る。当然、匪賊であるので反体制的な活動にも手を染め、あまり大きな声では言えないが大陸の大部分を掌中に治める現皇帝の暗殺も目論んでいる。
そういう点ではどんな悪党よりも余程大逆であり悪と断言出来るし、実際はボクも含めて平和主義者が多いので、せいぜい小悪党が関の山ともいえる。

で、森ノ黒百舌鳥はボクこと四獣・朱雀の趣味と実益を兼ねた店であり、翻せば森ノ黒百舌鳥の商談に首を突っ込むということは、さっき万盗の首領が言っていた「俺に敵対することはフェイレンを敵に回すこと」に変わりないわけだ。
当の本人は創造と随分と違う現実に半ば呆けた顔を首に乗せているが、呆けている間に部下は半数が捕縛、残り半数は怪我と出血で動きを制する必要もなく、組織としては壊滅同然の状態。このまま仕留めようと逃がそうとボク個人としてはどっちでも構わないし、仮にこいつが一から出直して新たに盗賊団を結成しようと、反対に改心して堅気に戻ろうとそれこそどっちでも関係ないのだが、ここはひとつ、こいつの憧れだか敬意だか美味しいとこ取りな下心を抱いた、こいつの思うフェイレンらしい処罰を下してやるというのが最良の落としどころなのかもしれない。
「嘴細、嘴太、捕らえろ」
命じるや否や古参の鴉面ふたりは素早く万盗の首領を両側から捕物道具で挟み、ボクはボクで身の丈に不釣り合いな長くて太くて厚みのある曲刀を持ち出して構える。
「なあ、待ってくれよ! あんたがフェイレンだって知らなかったんだよ! な、わかるだろ? あんたと敵対するつもりはねえんだ!」
自身の生殺与奪が完全にボクの手に握られていると理解したのか、猛烈な剣幕と燕のような速さで捲し立て始めた。在り来たりな言い訳から始まり、自分が如何にフェイレンに憧れているか、部下にしたらどれだけ役に立つか、どれほどの利益をもたらすか、更には部下は好きにしてもいいから自分だけは見逃してくれと懇願し、仮に紙に書き写したら重ねて屋根までそびえ立つのではという分量の命乞いを繰り出してきたのだ。
当然、そんなことでボクの答えは変わらないのだが、まあこれだけ必死に喋ったし、せめてもの安心感だけでも与えてやろうと静かに微笑み返し、くるっと体を半回転させて数歩足を店の方へと運ぶ。
「鴉爪、斬れ」
「……!」
ギィンと甲高い音を立てて刃が振り下ろされた。これだけ暴れたのだから片付けも大変だろうが、それは部下の仕事でボクの仕事ではない。
ボクの仕事は店の中で一部始終を眺めている黄金髑髏を、幸運にも危機を脱した宝石商に出来るだけ高値で売ることなのだ。


数日後、森ノ黒百舌鳥の棚の上に不気味に輝く黄金色の髑髏が加わり、店の外では顔全体に丸の字の入墨を彫られた男たちが、懸賞金目当ての住民や流民たちに地の果てまで追いかけられ続ける新しい仕事が流行り始めたのだが、今日も廃界の町は元気そうでなによりだ。
「店主、近隣への迷惑料と清掃代、死体の処分代、あと壁の修理費の請求が届いてますよ」
「見てみろ、鴉爪。入墨男が犬をけしかけられてるぞ。お、尻に噛みついたぞ、これは勝負あったな」
目の前では万盗の残党が尻を齧られながら、地面を転がりのた打ち回っている。その暴れる物体を犬は頑張って噛み続けているし、犬の飼い主は棒切れを精一杯振り下ろしている。あれを捕まえて引き渡しても、せいぜい老鶏一羽分くらいの金にしかならないが、それでも人間は金を求めるし、金が無ければ飯も食えないのは古今東西変わらぬ話だ。こんな世界の果てのような場所では、誰しも生きていくのに必死なのだ、犯罪者も無職も犬も。
「店主、請求書置いておきますよ」
あと今月も赤字まっしぐらな骨董品店も。
「店主、あと俺たちの給料なんですけど」
「うるさい! ボクに飢え死にしろって言うのか!」
「瓶底にこびりついた塩があるじゃないっすか!」
そんなもの残ってるわけないだろうが。昨晩、腹を空かせたボクが全部拭い取ったというのに、そんなことにも気づかないとは呑気な奴だ。呑気ついでに魚でも釣ってきてくれないだろうか。
「よし、ボクはちょっと出かけてくるから、店番は頼んだぞ」
「もしかして逃げるんすか?」
「魚の餌にでもしてやろうか。さぞ、たくさん釣れるだろうよ」
壁に立て掛けてあった釣り竿と網を握って、ボクは明日を切り拓くために再び河口へと向かったのだった。

ちなみに釣果はさっぱりだったが、引き上げた蟹籠にずぶ濡れの財布が入っていて、地べたに濡れ札を並べて必死に乾かす姿は、流石に部下には見せられないから秘密の話だ。


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