竜と点灯夫
真偽は定かではないが、人間が最初に祈りを奉げた相手は太陽あるいは炎だったという。
真っ暗な地獄のような夜から解放し、氷のように冷え切った大地に温かさを授ける太陽を人間は神と崇め、感謝と畏怖と共に祈りを奉げた。
偏に進化とは、神々しい炎を自らの掌中に収めようとする旅のようなもので、焚き火に始まり松明、蝋燭、油燈、火薬と数々の炎を手に入れてきた。そして人間の枠から外れた神と称する上位種族、神人たちは太陽に似せたものを創り出し、世界から夜を消して真の意味で神と並ぼうとしたのだ。
しかし火災や噴火と同じように、炎は人間の手には余る代物でもある。
炎を従えようとする不遜な行為に神が怒りを覚えたのか、神人たちは大陸奥深くで眠る超常の存在、ドラゴン種族の怒りを買い、山脈を巨大な窪地に変えるほどの熾烈な戦いの末に敗れ、追いやられ、やがてそんな神に似た者がいることさえ忘れ去られた。
我が名はバスコミアナ・ヴィドニメウ。この世界で現存する唯一の、そして最後の神人種族の魔道士だ。
今は硫黄の臭いが鼻に突く、大陸と呼ぶにはあまりに小さく、島と呼ぶにはあまりに大きすぎる休火山の連なる大地で、どうしてこうなったのか、かれこれ数百年以上もの間、朝の7時から朝の7時まで延々とパン焼き窯の番をさせられている。
私もかつては神と並んだ神人だ。それがこんな有り様になっているのには、当然だが理由がある。
それにはまず、かの邪悪なる魔竜との戦いから語らねばならない。
我が故郷、現在ではバスコミアナの大鍋と呼ばれる大陸は当時、我らが眷属たる人間と醜き半獣半人の亜人種族共が、数百年もの長きに渡って争いを繰り広げていた。
亜人種族共は大陸のおよそ半分を占める深く暗き密林を根城として、踏み込む人間の兵士たちを闇夜に乗じて襲うという卑劣極まりない手段を用いて、人間の文明的で必要不可欠な開拓に抵抗を続けてきた。奴らの戦法は稚拙で野蛮で泥臭いながらも効果的で、家ひとつ分の距離を進むにも、何百人という殉死者を出すに至った。
ある時、人間の指揮官はこう言った。
「大いなる神々よ、闇に蠢く邪悪なるものを聖なる光で退けたまえ」
これは神官が魔法を行使する際に唱える詠唱だが、同時に我ら神人への縋りつきたくなるような願いでもあった。人間たちが直接言わなくてもわかる、愚かな私共を助けてくださいと祈っていたのだ。
そこで我らは月の見えない夜空でも煌々と輝く、擬似的な太陽に似た光球を作り出し、密林の真上に掲げた。
するとどうだろうか、黒く無限に広がる底なしの地獄に見えた密林が、緑色に染まる草原の如き見晴らしの良い世界へと変貌した。その光に乗じて一気に歩みを進める人間の軍勢を見て、我らも中々に良いものを作ったと自慢したくなったものだが、ここでひとつ、大いなる誤算があった。
ドラゴン種族、私がこの世に生を受けるよりも遥か昔に、すでに滅びを迎えていた哀れな生き物だ。かつて世界にまだ海に沈む前の大大陸が存在した頃、ドラゴン種族は愚かにも同族同士で殺し合い、絶滅こそ免れたものの全てに等しい数の命を失い、もはや尾ひれのついた物語のような存在と化していた。
私もドラゴンの実在には半信半疑だった。神や悪魔と同じように、誇大妄想狂の吟遊詩人が作り出した存在に過ぎないのではないかと。
まさか実在して、しかも自分の前に立ちはだかるとは思わなかった。
ドラゴンは王都よりも巨大な体で、邪悪で禍々しい何本もの首を蠢かせながら、人間たちにこう問うたのだ。
「あれ作ったの、どこの誰だよ?」
人間たちはすぐに私たちを指差した。それに関しては恨みも不満もない。正直なところ、すぐに売りやがったなこいつら、とも思わなくはないが、あんな巨大な生き物に凄まれたら親や恋人でも売ってしまっても仕方ないだろう。所詮は弱くて矮小な人間のやることだ、寛大な心で許してやろうではないか。
「お前か! 眩しくて寝れないだろうが!」
「我が名は神人バスコミアナ・ヴィ……!」
ドラゴンの力は強大だった。それぞれの首から衝撃波と炎熱の混ざり合ったよくわからない光線を吐き出して、それが地上で一点に集束したと思った時には、私たちが作った光球も、密林を根付かせていた山脈も、密林に潜んでいた亜人種族も、当然人間の軍勢も、ありとあらゆるものが地上から消え去り、地の底まで繋がるのではないかと思わせる巨大な窪地と、灰が混じった黒い雨だけが世界に残った。
戦いは惜しくも神人の敗北、生き残った私は何故か怒り狂った人間の王とその兵たちに追われてしまい、やがて大陸を離れて、その辺の猟師から拝借した小舟で外洋へと漕ぎ出した。
外洋は海竜と呼ばれる巨大な海蛇の巣窟だ。生半可な帆船や航海士では瞬く間に藻屑とされてしまう、そのため私たちの大陸では外洋航海術が発達していなかったが、ドラゴンに敗れたとはいえ私は神人だ。姿こそ人間と同じだが、奴らとは比べ物にならないほどの長い寿命を持ち、使える魔法の種類も回数も段違い。優秀な魔法使いでも片手の指で数えられる種類と回数の魔法しか使えないものだが、神人種族は両手足の指の数ほどの魔法を使えるのだ。
当然、でかいだけの海蛇などに後れを取るはずがない。
私は海面から顔を出した大蛇に向けて、水を刃のように噴き出す魔法を放った。
ちなみに現在では混同されがちだが、名前の通りに自然の法則に従って行使するのが魔法、想像力を基にして世界に現出させるのが魔術という違いがあるが、今はその話はしていない。我が武勇の話をしている。
私の強力な魔法で大海蛇の脅威こそ逃れたものの、船は木っ端微塵に破壊されてしまい、私はこの島とも大陸とも呼べぬ大地へと流されてしまったのだ。
そして……
「いや、パンをとっとと焼けよ、ジジイ!」
「サボってんじゃねえぞ、ボケコラァ!」
海辺近くの町にそびえ立つ竜の巣闘技場の食堂で、朝も早くから、四六時中体を鍛えることしかしていない脳みそまで筋肉で出来ている連中に足蹴にされているのだ。
まったく、これだから脳筋の愚物共は。せっかく私が未来ある子供たちにありがたい話を語ってやっているというのに、こいつらはそんなことよりも早くパンを焼けと喚くのだ。
「ふざけるな、馬鹿共が! 私を誰だと思っているのだ! 神人バスコミアナ・ヴィドミネウであるぞ!」
「知らねーよ! 俺たちはパンを焼けっつってんだよ!」
これだから無知蒙昧な田舎者は困るのだ。知識を増やすよりも、腹を満たすことしか考えていない。
そもそもこいつらの生活はなんだ。朝の5時に起きて体力向上訓練をして、7時になったら朝食を食べて、8時から基礎体術訓練、
正午に昼飯を食べて、そのあとは数時間の昼寝、起きたら各々の得意分野での格闘訓練、夕方7時に夕食を食べて、寝る前での時間は追加の訓練か休息、あるいは生殖行為に宛てる。
それを飽きもせずに年がら年中やっているのだ。
もちろん中には文明的な生活をする連中もいる。
この島とも大陸とも呼べぬ大地には、大きく分けて3種類の種族がいる。
ひとつはこいつら、火の部族。体術向上と格闘訓練が脳みその大部分を占める脳筋ゴリラ人間共だ、種族的には人間だが祖先がドラゴンの血を浴びたことで子々孫々、どいつもこいつも無駄に身体能力が高い。
ひとつはこの竜の巣闘技場を修理したり、建築から裁縫まで幅広く町全体を維持する土の部族。種族的にはドワーフやその類に近く、小柄で大人でも人間の子ども並みの体格で、手先が器用で体は岩より硬い。
そして最後に火竜というドラゴン種族。ドラゴン特有の巨体と力を術具や石に封じているため、見た目は人間と大差なく、馬鹿みたいに頭から角と、腰の辺りから尻尾を生やしている。ドラゴン種族は知恵と魔術に長けた種族でもあるはずだが、この火竜という生物は例外のようで、火の部族と同程度の身体能力で誰かを殴り倒すことしか能がない愚物だ。
「おっさん、遊んでねーで手を動かせよ」
「これだから人間は使えねーんだよ、誰だよ、こんなおっさん働かせてるの」
「しょーがねーだろ。俺たちみたいに手先が器用なわけでもねー、火の部族みたいにつえーわけでもねー、えらそーなだけの雑魚いおっさんなんて、パン焼かせるか皿洗いくらいしか出来ねーんだから」
土の部族たちが溜息混じりに蔑んでくる。
こいつらはこいつらで、火の部族のように乱暴ではないが、馬鹿のくせに口が悪くて態度も横柄だ。こいつら風にいえば、おーへーだ。
要するにこの島とも大陸とも呼べぬ大地は、知恵や賢さよりも力や器用さに価値を置いているのだ。
それは仕方ないことなのだ。発展途上な連中は、目先のわかりやすい価値観に捉われがちだ。しかし本当に価値のあるものは知恵であり、その知恵を有する賢人だ。時間こそかかるが、いずれは私を神とする一大国家にまで育ててやろう、そう思っている。なぜなら愚物に知恵を与えてやるのが、我ら神人種族の高位で高潔たる種族的使命だからだ。
「いや、パン焼けよ! 訓練に遅れるだろ!」
「早くパンを焼けよ! 俺たちは肉焼くので忙しーんだよ!」
仕方ない、郷に入っては郷に従えという諺もある。そんなに焼いてほしいのなら、パンくらい焼いてやろうではないか。
神人種族にパンを焼いていただけることに感謝しろ。まあ、そのありがたみは今はまだ伝わらないだろうが。
「おい、バスコミアナ。いいからパンを焼け」
食堂の扉が開き、尋常ならざる気配を纏ったモジャモジャな鳥の巣のような髪型の男が入ってくる。その男は頭のモジャモジャの中から溶岩のように赤黒い角を突き出して、決して高くはない身長に対して肩幅も胸板も不相応に分厚い。全身に岩のような筋肉を搭載した男、この大地に生きる野蛮人共の頂点に立つ火竜のひとり。
「あっ、マールさん! おはようございます!」
「マールの旦那! おはよーございます!」
火の部族と土の部族が姿勢を正して頭を下げる。こいつら脳筋族共にも最低限の礼節と敬意はあるのか、火竜に対しては行儀よく対峙するのだ。その経緯と礼儀を私にも向けて欲しいものだが、今はそれはどうでもいい。問題は火竜が来てしまったことだ。
この大地に流れ着いて以降、余所者である私の処遇は火竜が決めている。火竜が働けと言えばこうやって働かされるし、火竜が出て行けと言えば追い出される。極端な話、火竜が死ねと言えば火の部族共に叩き殺されかねないのだ。
もちろん神人種族であり、かつて魔竜王とも渡り合った私は、脳筋共にも火竜にも後れを取らない自信があるが、この大地に住む火竜はこいつだけではない。
竜の巣闘技場で最も優れた格闘技者に与えられる竜王位を持つ4人、さらに竜王位への挑戦権のある上級闘士15名の大半も火竜なのだ。
ちなみに竜の巣闘技場には、その下に中級上位闘士30名、中級下位闘士80名、下級闘士150名、さらには15歳未満の体が出来上がっていない訓練生が大勢存在するが、この中にも若干名ではあるが、運悪く試合に敗れて格落ちしてしまった火竜もいるという。
能力の差はあれど10人以上の火竜に、身体能力だけを取れば人間形態の火竜に劣らない闘士たちが200人以上いるわけだ。
さすがに神人種族の私といえど、多数相手では分が悪い。
ゆえにここで取るべき態度はひとつしかないのだ。
「はいっ! 今から焼きまぁーす!」
情けない奴だと笑いたくば笑え、しかしそう遠くない未来、私は火竜共も従える神となるのだ。
(ノ・△・ノ▂▃▅▆▇█▓▒
「お嬢! 久々に挑戦者が決まったぜー!」
「喜べ、お嬢! 今回の相手は火竜だぞ!」
頭を剃り上げた背の高い火竜の男と、鳥の巣みたいな髪型の火竜の男が対戦表を掲げながら飛び込んでくる。
剃ってる方が打撃巧者のストライカーで名前はヴァルカン、鳥の巣のほうが寝技を主体とするグラップラーで名前はマール。ふたりとも火竜の戦士で、竜の巣闘技場の竜王位、竜皇と竜帝をかれこれ随分長い間保持している。
正直なところ、こいつらがよく保持していられるなあって思わなくもないけど、彼らは彼らで試合となれば普段のだらしなさや弱味を打ち消すくらいに奮闘するので、その頑張りに勝利の女神が微笑んでくれるのかもしれない。
待ちのヴァルカン、塩漬けのマールという不名誉感の漂う二つ名は、彼らの戦い方を揶揄して付けられたものだが、待ち戦法も塩漬けにも出来ない雑魚の遠吠えの証ともいえるので、本人たちは気にしていない。
ちなみに竜長は一撃必殺の異名を持ち、大胆な殴り合いに興じるあまり、勝てる勝負をうっかり落とす負け癖があるくせに、位を賭けた試合では地味で堅実な戦い方をするので、こっちはこっちで下から嫌われている。
そして竜王位の中でも最強の竜王の座にいるのが私、火竜王の娘でもあり火竜の中でも最も、或いはその次くらいに強いと言われている、このボルカノ様なのだ。
どっちかというとストライカー寄りだけど、しっかりグラップリングも出来るオールラウンダー。
そしてこの地に闘技場が出来てから約1000年、未だに無敗。竜王位の4人の中で最も難攻不落なためか、近年ではさっぱり挑戦者が現れてくれないのが不満。
この地で私と勝負できるのは父である火竜王くらいだったけど、その親父殿もある日突然、俺より強い奴に会いにいく、と書き置きを残して旅に出てしまった。親父殿より強い生き物なんて私以外にいない、そもそもの話、世界中を探しても火竜とまともに勝負できるドラゴン種族なんてほとんどいないのだ。
火竜は強きにすべての価値を置く戦闘種族だ。
それゆえに他のドラゴン種族と比べても強い個体が多く、それゆえに世界の覇者たるドラゴン種族がほとんど滅びてしまった今では戦う相手にすら難儀してしまう、それゆえに毎日が割と退屈なのだ。
かといって弱い者いじめなんて暇潰しに手を染めるなんて生き恥以外の何物でもないし、体を動かしている間は楽しいので体術の訓練は続けている。もしかしたら私より弱い火竜が、私を打ち負かせるくらいに強くなってくれる可能性も、限りなく少なくても無ではないし。
それに私が知らない技が生まれたりすると、その瞬間は胸の奥に火が点ったような気持ちになれるし。
そういうわけで今日も、ドラゴン本来の体と力を術具である大振りな斧に封印して、火の部族たちに混じって格闘技漬けの毎日を送っている。
歴代の火竜の王と比べても強すぎる親父殿が、自分を超えるような存在を作ろうと、私を徹底的に鍛えた気持ちが少しわかる。火竜の本能はいつだって、王者ではなく挑戦者でありたいと、心を燃やしたいと叫んでいるのだ。
しかし私は私で強くなり過ぎてしまい、成体に育ち切る前に地竜の王や飛竜の王を倒せる力を持ってしまったことで、親父殿以上に心が冷え切ってしまった。それでも1対100とかの無茶苦茶な戦いや、私ほどではないけど相応に強い竜の王たちのおかげで退屈は凌げたけれど、ドラゴン同士の戦争が終わったことで再び退屈な日常へと突き落とされてしまった。以後1000年、私は強すぎる余り、ずっと退屈を持て余している。
そんな私が弱くなる努力もせずに、一縷の希望に賭けて他のどのドラゴンよりも勤勉に、強さの向上に時間を費やしているのだから、運命というやつはどうしようもない皮肉屋だ。
「よし、久しぶりに血沸き肉躍る戦いをしてみようかな!」
おい、運命よ。私の心に火を点すくらいの喜びを与えてみせろ。
≪開始8秒、竜王ボルカノが右フックの一閃で勝利! 圧倒的な強さ! もはや誰もこの暴君を止められないのか!≫
闘技場内では勝利のアナウンスが虚しく響く。
まずは実力を確かめてみようと、様子見で出してみた右拳は身を屈めて組み付こうとする相手のこめかみに突き刺さり、そのまま意識を彼岸の彼方まで飛ばしてしまい、私は私でうっかり狩猟本能を炸裂させて倒れた相手に左右の拳を何発も叩き込み、ションベンみたいな泣き言も奏でられないくらい完膚なきまでに倒してしまった。
一応両手を掲げて勝利のポーズを取ってみせるけど、私の心は嵐のような大歓声とは対照的に凪、隙間風も吹かないくらいに無風。
もうこの地からは、私に勝てる者は未来永劫出てこないのかもしれない。
火山のように盛り上がる会場とは裏腹に、薄暗い悲しみで冷え切っていたりするのだ。
そんな中で生きた人間が流れ着いてきた、と聞いた時は多少の期待も抱いた。
私たちの餌でしかないけれど、されどドラゴンであることに変わりない海竜が跋扈する海を越えてきた人間、もしかしたらと思っても仕方ない。もしかしたら身体能力に長けた怪物かもしれないし、もしかしたら秀でた魔術の使い手かもしれないし、もしかしたら竜殺しの伝説の武器を帯びているのかもしれない。その全部だったら最高だ。
「ヴァルカン、マール、見に行くよー!」
期待を膨らませる私に反して、ふたりの顔は暗いけど、そんなことは関係ない。私が見に行くといったら見に行くのだ。
「申し訳ねえな、お嬢。俺たちがもうちょっと強かったらよ」
「いや、俺はお前よりは強いからな。お嬢に及ばないのは否定しないが」
「うるせえ、塩漬け野郎が! 今度は俺が勝つんだよ!」
ふたりは闘士としても、もちろん火竜としても決して弱くない。ふたりがかりなら私ともいい勝負が出来ると思う、火竜の意地と尊厳でそんなことしないけど。
「よう、我が娘よ! 元気だったか!?」
「なんだ、親父殿か……外海の人間が流れ着いたって聞いたけど」
「ああ、こいつのことか?」
親父殿が屈強な腕を掲げると、だらりとした姿勢のずぶ濡れの中年男が姿を現した。
残念ながら、人間は海竜を倒してやってきたわけではなかった。
釣り舟に乗っていて襲われたところを、たまたま帰ってきた親父殿に助けられて、そのまま海に放置するのもなんだからと連れてこられたのだ。当の本人は白目を剥いて気絶しているから、どこまで覚えているかわからないし、もしかしたら海竜に勝ったとか思ってるかもしれないけど。
「で、そいつはどうするの?」
「んー? そうだなあ……見たところ体力もそんなになさそうだし、食堂で皿洗いでもさせてみるか。ヴァルカン、控え室にでも放り込んどいてくれ。マール、お前はこいつを運んでくれ」
親父殿が自慢気に、浜辺に打ち上げられた海竜を指差した。
さっきも言ったけど海竜は私たちの餌だ。餌ではあるけれど、それでもドラゴンの中型種、術具に封印したドラゴンの力を使わない限りは、まず勝てない。
しかし親父殿は人間に似せて作った仮の体のまま、海竜を素手で仕留めることが出来る。その証拠に海竜の顔には、親父殿の炎を帯びた拳の痕が幾つも残されていて、更には体表がところどころ火傷のように爛れている。
私も同じことが出来るけど、親父殿は若干娘に対して調子に乗りたがるところがあるので、すごいすごいと褒めておく。いや、実際に凄いんだけど、私も出来るってだけで。
「親父殿、強い敵には出会えた?」
「いやー、さすがにそう簡単にはいかんなー。でもあいつ、お前の友達は強そうだったぞ」
親父殿がいう友達とは、別の大陸で暮らしている魔竜王だ。年は私より何百年か上だけどドラゴンの中では若く、実力も1000年前の時点でヴァルカンやマールと同程度に強かった。魔竜は身体能力よりも魔術に長けた種族なので、私もかつて苦渋を舐めさせられたことがある。
そういう意味では私の好敵手、になりえる可能性がある存在だ。でも会いたいとは思わない、もしあいつがドラゴンの力に胡坐をかいて研鑽していなかったら、私の世界はいよいよ闇だ。実際のところがどうであれ、私にとっての希望であり続けて欲しいのだ。
「そういえば魔竜王が山を吹き飛ばした時にいたな、こいつ」
「じゃあ強いの?」
親父殿は少しの間、顎に指を添えて考え込み、
「例えば魔竜王の力をゾウとすると、こいつは……干からびたナメクジくらいだな」
適切な例えを口にして、私の期待を木っ端微塵に打ち砕いたのだった。
あとでバスコミアナ自身から、自分が獅子とすれば魔竜王はゾウだ、と聞かされた時には、黙れくそ雑魚ナメクジなんて素直に思ったけど、それはどうでもいい話で。
どうやらこのバスコミアナ、つまり神人種族というのは、人間よりも長寿で魔法の扱いに優れているらしいけど、肝心のその魔法も多少は役立つものは無くもないけど、大半は自動で針穴に糸を通す魔法だとか冷めた鍋を倍の速さで温めるだとか、他にも椅子の座る部分を適度に柔らかくするといった、おおよそ戦いに縁のないものばかりで、取り立てて優れている点は寿命と運の良さくらい。
親父殿が旅先で耳にした話だと、人間を下位種族だと見下しているせいでゴブリンよりも嫌われていて、おまけに闇夜を照らす光球を作って魔竜王の眠りを妨げた結果、人間に甚大な被害を出してしまい、大陸からも追放されてしまったらしい。
そして月日は流れて、今では闘技場の食堂で嫌われ者となっている。
まったく、どうしようもないろくでなしだ。
私の期待を裏切った分、もはや重罪だともいえる。しかし弱い者いじめは火竜の恥、こんな奴でも生きていけるように仕事のひとつも奪わずにおいてやろうというわけなのだ。
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「っていうこともあったけど、いよいよあの野郎には呆れ果てた!」
バスコミアナが流れ着いてからおおよそ1000年、その間に奴は弱者という立場を最大限に利用して、山奥に変な宗教施設を立てて、保護されている身の上でありながらも勝手に神を自称して、夜な夜な変な歌を口ずさみながら町中を奇妙な格好で歩き回ったり、燃やすと激臭を発する草を発見して松明として使ったり、下水道からうんこを盗み出して糞神様という泥とうんこを混ぜ合わせた像を闘技場の目の前に飾ったりしたのだ。
さすがに糞神様はすぐに撤去されたが、最近では男性器を模した生命様とかいう変な像を担いで、若い女たちの前を徘徊する厄介老人を始め出したりして、火竜の間でも、もう恥でもいいからあいつをぶっ殺してしまおう、という意見が支持されるようになってきている。
しかし、これは火竜としてはやはり恥なのだ。取るに足らない弱者を力で追い出すことがではない、取るに足らない雑魚によって火竜の価値観が変えられてしまいそうなことが恥なのだ。
そういうわけで、奴の始末には待ったを掛けている。ただし部族の民の要望を叶えるという形で、地下深くの牢獄の中に放り込んでいる。
「飢え死にさせるのも不本意だからパンを持っていってやったの、私が! そしたらあの野郎、こんなパサパサのパンが食えるか、海竜のステーキを持ってこい! だなんて言うわけ! もう火竜の誇りとかどうでもいい、あの野郎をこの世から消そう!」
「まあまあ、落ち着きなよ。しかし未だに迷惑を掛け続けてるとか、あの時念入りに仕留めておくべきだったかもね」
私の前では、魔竜王が果実酒を飲みながら呆れている。
そう、私は今、オルム・ドラカとかいう魔竜王を王とする半獣種族たちの町に来ている。理由は簡単だ、竜の巣闘技場が何度目かの壊滅的な損傷を負ってしまったため、訓練場も食堂も使えないからだ。火竜同士が戦うと稀にあることだけど、ついうっかりドラゴンの力を使ってしまう奴が出てきてしまう。
それだけ負けたくないということだけど、火竜がドラゴンとして戦うと工夫がなくなってしまう。火の部族では逆立ちしたって太刀打ちできないし、火竜同士でも単純な噛みつき合いに終わってしまう。
すると技術はこれ以上の発展をしないし、結局でかくて火力の高い奴が強い、という身も蓋もない結論に至ってしまうので、格闘技的な面白さが損なわれてしまう。
そうなると再びドラゴン戦争時代に逆戻りして、今度こそ滅びてしまうかもしれないのだ。だって他に面白いことがないんだから。
だからそうならないように、ドラゴンの力を使うことは重大な反則として処罰される。具体的には100年の試合出場と訓練場への出入りを禁止される。
100年も遠ざかると体も衰えるし、技術でも置いてけぼりを食らう。それは火竜としてなにより嫌なので、極力ドラゴンの力を使わないでみんな頑張っている。
でも起きてしまったことはしょうがないので、修理している間、暇を持て余した私はオルム・ドラカへと赴いて、魔竜王と酒を飲んだりして、ついでに愚痴を聞いてもらっているのだ。
「あーあ、なんか面白いことないかなー」
「相変わらず闘争オタクだねー。変わりなくて安心してる」
「それ、馬鹿にしてない?」
「してないしてない」
ちなみに魔竜王と久しぶりに勝負してみたけど、人に似せた姿で挑んだ勝負は、奴の魔術で場外へと飛ばされてリングアウト負け、という拍子抜けした結果に終わったのだけど、これは私の中では無い話なので、決着は未だについてないのだ。
(また別の竜の話へ)
ドラゴンのお話です。
今回は火竜の話ですが、火竜の性質は説明できたけど、ドラゴンの姿は説明しきれなかったので、ここで捕捉的に。
火竜は他のドラゴン種族と違って、その個体が幼体から生体へと育つ際に、自身が最も強いと思える理想的な姿に進化します。
そのため火竜王こと親父殿は溶岩と炎が集まった巨大な心臓の姿をしていますが、ヴァルカンは炎を帯びて中空を自在に舞う巨大な剣、マールは溶岩で形成された巨大な恐竜の髑髏、ボルカノは燃え盛る羽と体毛に覆われた鳥のような竜の姿をしています。
6行で終わるんだから捻じ込めないのか、って思わないでもないですが、なんかリズムが狂うので捻じ込めない。お弁当の隅っこにフルーツ入れようとしたら入らない、みたいな感じです。
はい、違いましたね。