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御天道様は見てる、いつでもどこでもどんな時でも~森ノ黒百舌鳥怪奇収集録~

俺の名前は李天頼。帝国の武官でこの度、大陸南端の港湾都市、杯海漁港へと赴任することとなった。
杯海漁港は廃界とも呼ばれていて、恐ろしく治安が悪くて、とてつもなく物騒な町だ。正規の登録住民は十万人、戸籍の無い黒子や勝手に住み着いた流民の数はその四倍以上、町中に浮浪者や物乞いが溢れ返り、悪党共が汚職と麻薬と人身売買に手を染める地の果ての魔都だ。そんな場所に配属されるのだから、実質出世は諦めろと宣告されたも同然だ。左遷の心当たりは遠めの親族の失態で、帝都の官僚の汚職を告発しようとして処刑され、俺も含めて身内全員が辺境へと飛ばされる処罰が下された。そして先日、黄泰然という警備局の武官が、天道という大規模犯罪組織の所有する敷地内で、片目と股間を矢で貫かれた状態で発見され、調査の結果、人身売買と大量の死体遺棄に関わっていたことが判明したことで投獄、後任として俺が選ばれてしまった。
ここ最近の踏んだり蹴ったりな状況にふざけるなと怒鳴りたくもなったが、決まってしまったことは仕方ない。せめて自分の居場所を地上の楽園くらい清廉潔白で過ごし易い場所にしようと決意したのである。
「よう、新人殿。そんなに肩肘張らずに気楽に適当にやろうぜ」
「そうだぜ、真面目に働くことねえよ。ここは地の果てだからな」
先輩連中は概ね例外なくこんな様子で、どいつもこいつもやる気も無く勤務態度は不真面目、町の往来で堂々と賄賂を受け取り、強盗や喧嘩が起きても見て見ぬふりは当たり前。悪質な場合は荒らされた店に捜査と称して踏み込んで、証拠品として金品を押収という形で奪い取るのだ。もちろん押収された金品は戻されることはなく、不良役人の懐を温めるだけで終わる。
俺は絶対にこんな奴らには染まらない、正義を愛した一族の誇りに掛けて。

「では、巡回に行ってきます」
比較的治安が良いとされる冥門市場は港から伸びる中央通りを挟むように並び、住民たちが食堂や職場として利用する場所で、外からの観光客も少なくない。その安全な市場であっても道端には浮浪者や物乞いが座り、些細なことで掴み合って転がり回るような揉め事を起こし、日に数件の殺人が起きることも珍しくない。被害者は観光客でも無い限りは捜査されないので、事件の件数としては年に数件だが、実際の被害者数は桁違いだ。
「お、あんた新入りか? これから御贔屓に頼むよ!」
商人たちはそんなことを言いながら、体をぐいっと押し付けてきて、無理矢理に紙幣を握らせようとしてくる。新人の振りをして市場を歩いたら来年の今頃は大金持ちだぜ、と言いたいところだが、ここの人間は役人の顔に対しての記憶力が異常発達していて、散髪や変装を駆使して賄賂で私腹を肥やそうとした先輩が大失敗したらしい。
当然、俺は断固として固辞だ。この最初の一歩で道を間違えたら、ずるずると先輩連中のように汚職に塗れた道を進んでしまうのだ。
「新人さん、悪党共には気を付けろよー。天道の連中は賄賂の通じない堅物は、どんな手段を使ってでも排除しようとする。冤罪、証拠の偽装、美人局、脅迫、なんでも有りだ」
天道とは大規模勢力を確立している黒社会の重鎮で、構成員は廃界だけでも五千人から一万人。廃界の百人にひとりは天道と繋がっているため、御天道様が見てる、なんて格言が出来るくらい情報収集が上手い。
「禁門にも気をつけなきゃなあ。あいつらと揉めると不審死が続くからな」
禁門は老舗の暗殺集団で、実態はよくわかっていない部分が多い。警備局の記録にも呪術を用いる以外の情報が無い。対立相手が不審な突然死を起こすという噂で、都市伝説的に恐れられていて、名前を口にするのも憚られるのだとか。
「あとはフェイレンだな。悪党にしては比較的気の良い連中が多いが、色んな勢力の寄せ集めだ。どんな火薬が眠ってるかわからねえ」
フェイレンは廃界発祥の新興勢力で、帝都でも活動する老舗の暗殺組織が後見にいる。そこから派遣された四獣とかいう武術の達人が仕切っていて、個人の武力が突出しているらしい。
「どんな奴らが相手だろうと、俺は正義を曲げないからな!」
握らせようと差し出された紙幣を突き返して宣言する。俺は治安を守る側でありたいし、家族とか先祖とかに恥じない生き方をしたい。それに俺も帝国の武官だ、腕っ節には自信がある。四獣だかなんだか知らないが、絶対に俺の方が強いに決まってる。
「おっ、新入りさん。早速お仕事みたいだよ」
「なにぃ!?」
鼻息荒く往来に顔を向けた俺の目の前で、突如として殴り合いの喧嘩が始まっていた。

争っているのは上半身裸の柳葉刀を手にした刺青男と、金属製の棍棒を振り回している鯉の滝登り柄の鯉口の男だ。双方、概ね互角の実力のようで、互いに切り傷や痣を作っている。破落戸にしては基本の動きは出来ていて武術の嗜みがあり、一対一では後れを取らないが、ふたり同時に制圧するのは骨が折れる。
それでも他に怪我人が出ないように近づこうとした刹那、上空から一羽の猛禽のように若い女が舞い降りてきて、落下中に刺青男の顔を二度三度と蹴り上げ、着地と同時に跳躍して鯉口の男の顔面に膝を突き刺した。その身のこなしは羽根のようにふわりと軽く、されど一撃は刃のように鋭く、緩急自在の確固とした技術を見せつけてくる。
その女は小柄で年は十代後半くらいにしか見えず、赤を主体にした道士服を纏い、腰まで伸ばしたて三つ編みにした黒い艶やかな髪を尾のように揺らし、線は細く引き締まっていて、猫科の動物のしなやかさや猛禽の素早さに似た雰囲気を身に帯びていた。要するに若くて小柄で細身の美人で武術の達人だ。
「お嬢、今日もありがとうよ。肉饅食うかい?」
「腹減ってるだろ、拉麺食っていきな」
「ほら、豚串だよ。土産に持って帰りよ」
女は市場の店主たちから好感を抱かれているのか、それとも市場の吉祥物のような存在なのか、飼い猫に餌でもあげるように次々と食べ物を渡され、満面の笑みを浮かべて帰っていった。それにしてもすごい人気だ、市場の人間が急に田舎の、あれも食べなさいこれも食べなさいと次々と飯を盛る、実家のおじさんおばさん顔になっていた。
「あれがフェイレンの朱雀だ、あの子は良い子なんだけどなあ」
フェイレンの朱雀、確かに只者ではない。後ろ姿まで眩しくて、なんだか目がちかちかする。

「あー、砂埃でも入ったんだろ。この時期は上流から赤砂が飛んでくるからな」
その日の夕方、俺の左目は瞼がぼってりと腫れ上がり、ごろごろと違和感があり、靄に覆われたように見えづらい。この時期は廃界を挟む二本の大河の上流の、広大な紅土地帯から赤土混じりの砂が飛来して、それが煙や塵と混ざり合って眼病を発症させる。毎年恒例の流行病みたいなもので、目医者が儲けるために砂を撒いてるんじゃないかって陰謀論も蔓延っている。
「ちょっと医者に診てもらってきます」
「だったら医者通りがいいぞ。理由はそうだな、行けば解る」
医者通りとは、その名の通り診療所や薬屋が集まった路地で、どういうわけか同じ種類の医者が同じ区画に集まっている。教育を受けていない黒子や流民にも判りやすいように、それぞれの診察箇所毎の看板が並んでいるのが特徴だ。歯医者の集まる区画なら歯や口を描いた看板が並び、胃薬屋の区画なら胃の看板が、接骨院の区画なら折れた骨の看板が並ぶ。目医者も区画なら当然目が描かれた看板ばかりで、小さい子供が迷い込んだら、怖すぎて絶対に泣き叫ぶと思う。
しかし同じ医者ばかりが集まるのは実は合理的で、混み合っていても何処かしらは空いていて、流行病の眼病の季節でも待たずに見てもらえる利点もある。
「へい、いらっしゃい……あー、赤砂病ですな。すぐに切って膿を出しましょう」
診察は秒で終わり、目に麻酔を垂らされて、ついでに鎮静剤を飲まされて、
「目を覚ましたら終わってますよ。うちは早い、安い、上手いが売りですから」
白衣の爺さんの言葉通りに眠っている間に治療は終わるのだった。

ところで翌日から、天道の一派からの脅迫が相次ぐようになり、まるで一日中見張られているかのように、飯は何を食っていただの誰と会っていただの、すべての行動が逐一記録され、外部に持ち出せないはずの捜査記録や機密情報まで筒抜けになり、上司からは情報漏洩の疑いを掛けられ、同僚からは賄賂に転んだなという目で見られるようになってしまった。天道がなんでも有りとは聞いていたが、まさか手段もわからない不可思議な盗み聞きや覗きまでしてくるとは思わなかった。
そうして俺は恐怖と不安と白い目に音を上げてしまい、あっさりと賄賂を受け取って悪事を見逃す不良役人に成り下がってしまったのだった。


【御天道様】
正式名称、天道之眼。
眼球の形をした怪異で、他者に移植された大量の複眼から得た膨大な情報の一部始終を本体の眼で視認出来る。天道の構成人数は五千人から一万人で、廃界住人の百人にひとりの割合となり、さらに目医者で密かに移植された複眼のせいで天道に集まる情報は人数以上に多いとされる。
まさに御天道様が見てる状態なのである。


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