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干し柿は誰もが好きだが干し首は誰も欲しがらない~森ノ黒百舌鳥怪奇収集録~

「髪くらい切ったらどうなんだ? それ、前が見えてないだろ?」
と出会い頭に指摘されたので、床屋に向かっている。髪の長さなんてどうでもいいが、切れと言われて断る理由もない。なんせ髪の長さなんてどうでもいいからだ。髪型によって剣の腕が変わってくるなら話は別だが、坊主から長髪まで色々試したというわけではなく、単にほったらかしにし過ぎて肩甲骨の下まで伸びたこともあったが、特に修行以外の効果は実感できなかった。他にも女と交尾をすると強くなるとか、神仏に祈ってみるとか、強そうな刺青を入れてみるとか、あれこれ試したりもしたが、腕を磨くには修行と実戦に勝るもの無し。少なくとも髪型に効果などない。
毎日朝起きて体をほぐして飯を食い、斬撃を時計回りに六十の太刀筋に分けて百回づつ正確に振り、それが終われば左右片手づつ同じ回数を繰り返し、突きや脛斬り、柄撃ち、居合い、二刀流、偃月刀、繰り出せる技毎に百度振って、疲れ果てて朝まで眠る。これを日々続けるのが一番の早道で一番確実に強くなる。
事実、俺は大陸一と自惚れる程でもないが気づけば先代の四獣、青龍をいつの間にか斬り伏せていて、知らない内に青龍の名を継承していた。先代は決して弱くなかったはずだが、正直あまり覚えていない。俺は幼い頃から他人にあまり興味がない。というより剣術と武術以外に一切興味を持てない。その結果、髪が伸びっぱなしの乱れっぱなしとなり、件の朱雀や他の四獣に髪を切れ、風呂に入れ、服を買え、飯を食えと指摘されてしまうわけだが。
「あ、着いてた」
床屋までの道中、折角歩くのだからと頭の中で色々と剣を型を試していると、ついうっかり店の前を通り過ぎるところだった。床屋は首狩捻千切という少々珍しい名前で、とはいえ切るという文字が入っているので、鋏と剃刀の扱いには自信があるに違いない。
「すまないが髪を切ってくれ」
扉を開けると両目を大きく見開いて爛々と輝かせる老人がいたので、多分この人が店主だろう。爺さんだが元気そうでなによりだ、床屋の年齢なんてどうでもいいが、流石に腕が小刻みに震える死に掛けの爺さんだと困る。その点、目の前の爺さんは鼻息も荒く、体力も有り余っていそうなので、少なくとも髭を剃っている間に天寿を全うすることは無さそうだ。

「どーすんの!? どんな髪型にする!?」
「……そうだな、坊主でいいか」
「剃っちゃう!? 鋏で仕上げちゃう!?」
「じゃあ鋏で」
鋏を選んだ理由は特にない。強いていえば爺さんが鋏を高速で動かして小気味良く鳴らしながら、鼻息を荒くしていたからだ。元気なのは良いことだ、病気に罹ると碌なことがない。俺も何年かに一度は風邪を引くが、熱は出るは関節は痛むは苦行でしかない。高熱で死にかけた時、寝ているのもなんだからと朦朧とする中で剣を振ったら、太刀筋が不自然とうねることに気づき、蛇道剣を編み出したことぐらいしか良かったことはない。
「お兄さん、今日は休み!? こんなになるまで切ってないとか、普段忙しいんでしょ!?」
休みといえば休みだが、そもそも俺はいつも休みだ。たまに頼まれて決闘の加勢や護衛に出向くこともあるが、基本的には日がな一日、木剣を振り回しているだけだ。以前は弟子くらい持てと道場を開かされたりもしたが、俺と同じ量の稽古を課したら翌日には九割以上が来なくなった。それでも残った何人かを鍛えようと試みたが、駄目な部分が多すぎて何処から指摘しようかと悩んでいる内に、この時間は無駄だなと思って自分の稽古に取り掛かり、結果、何も教えてくれないなら道場に通う意味がないと怒って出ていってしまった。
そもそも青龍は四獣の中では師弟制を取っておらず、先代よりも強い者が戦って勝てば名を継ぐ仕組みになっている。俺自身、誰かに弟子入りしたことも無いし、一時期道場破りを繰り返した際に流派独自の技や術理を学んだくらいだ。
「私はねえ、元々は民芸品の行商をやってたんだけどねえ、最近は民芸品もあんまりでねえ!」
世の中の商人たちは大変なようだ。そういえば朱雀もなんとかって骨董品店かなにかを営んでいるが、贔屓目に見ても羽振りが良さそうには思えない。知り合ってかれこれ十年くらいになるが、成長期を過ぎても背は低く線も細いままだ。飼っている猫よりも質素な食生活を送っているに違いなく、おそらく収入は俺と似たようなものだろう。
ちなみに今日の床屋代はここに来る道中、気弱そうな青年から恐喝していた破落戸から巻き上げた。もしかしたら俺の職業は恐喝の恐喝かもしれない。いや、脅したり武器をちらつかせたりしたわけではないが。鞘越しに眉間と鼻下と喉と鳩尾を突いただけで。
「ちなみにそこに飾ってあるのが、その民芸品なんだけどねえ!」
爺さんに促されて店の棚に目を向けると、干し首が幾つも並んでいる。店に入った時はまったく気づかなかったが、もしかしてこれは前髪を切ったことで視野が広がった効能だろうか。それとも単に興味がなかっただけだろうか。正直どっちでもいい話だが、そんなことより干し首だ。商品的価値は興味がないので知るはずもないが、老若男女人種様々な首を並べているので、客の需要に答える柔軟さは持ち合わせているらしい。干し首の需要もよく知らないが。
「お兄さん、どうだいひとつ!? 出草族クビククリの名物、呪いの干し首! 居間なんかに飾っとくと嫁さんに喜ばれるよ!」
頭の上から土砂のように髪の毛が落ちてくる。ここまで髪を放っておいても許されるように、俺は独り身だし、そもそも居候の身だ。家主はフェイレンの幹部のルオという薬屋で、気前良くなのか仕方なくなのか屋根裏部屋を貸してくれている。荷物も少ないから河原や野原で寝るからいいと言ったのだが、フェイレンの龍頭にそんなことはさせられないと半ば強引に押し込まれた。何年も住んでいると荷物も増えてきて、元々持っていた青龍刀と偃月刀と木剣に加えて、斬馬刀と長巻が一振りづつ増えた。
ルオは薬屋なので、もしかしたら干し首を有効活用するかもしれないが、干し首が妙薬の材料になるならすでに仕入れを確保しているだろう。
独り身なのでと断ると、爺さんはただでさえ見開いた眼を更に大きくしながら驚き、
「お兄さん、独り身!? なんで!? しなよ! 結婚! 家族いる最高! 夜も大満足よ!」
などと勧めてきたが、そんな時間があるなら稽古か休息に時間を回すべきだろう。ただでさえ俺の稽古は時間を費やすのだ、家族だの子供だの夜伽だの仕事だの、そんな暇はないのだ。手持ちの箒のような道具で、引っ掛かった切れた髪を払われながら、一瞬で睡眠と回復と食事が済ませられる飯があれば便利だのに、などと考える。
「じゃあ、お兄さん、家族は!? 親や兄弟は!?」
「居ないな」
手早く髭を剃られながら簡潔に答える。父親は三十年ほど前に戦で死んでいる。母親も二十年以上前に理由は忘れたが首を吊り、兄弟も何人か居たが似たような時期に俺と斬り合って全滅した。
「だったら、居なくなっても心配する人はいないの!?」
まあ、そういうことになる。もし何処かで撃たれたり野垂れ死んでも、他の四獣は馬鹿な奴だの一言で終わるだろう。仮に俺ならそうする。

「だったら首狩ってもいいよね!? ねえ!?」
爺さんは俺の顔に熱湯で温めた手拭いを被せながら、同時に鋏から反りの浅い曲刀に素早く持ち替えて、椅子に座ったままの俺へと振り下ろす。その直後、爺さんの拳は空を切り、手に握られているはずの刃が無いことに気づき、慌てて顔を右に左にと動かしている。爺さんからしたら突然武器が無くなったと驚いたかもしれないが、別になんてことはない。刃が俺に近づく軌道に合わせて、椅子に立て掛けていた青龍刀に爪先を当てて立たせ、そのまま鞘を掴んで持ち上げ、刃の腹を下から柄で叩く。その一連の動作を素早くやっただけだ。その結果、曲刀は天井に突き刺さり、爺さんは呆気に取られ、俺は手拭いで顔を洗ってさっぱりしたのだ。
目の前の鏡に視線を移すと、まだ仕上がっていないながらも丁寧に小指の爪くらいに刈られた頭と、髭が無くなって小綺麗になったような気がする程度の顔が映っている。いきなり首を狩ろうとする店の治安はさておき、爺さんの床屋の腕は中々に素晴らしいものがある。こんな短時間でここまで刈り、しかもこの出来栄えなのだから、普段はなるべく人を斬らないようにしている俺も少々気が変わるというもの。
天井に指を伸ばして曲刀を引っこ抜いた爺さんに向かって足を一歩踏み出し、今度は上から下へとやや斜め軌道で振り下ろされる刃を青龍刀で受け止め、そのまま手首の回転と持ち替えを併せて武器を回転させて真下へと追い遣り、青龍刀の切っ先に捻りを加えて爺さんの得物を上空へと放り出す。青龍刀の切っ先は更に跳ね上がって首の端から反対側の耳にかけて顔の下半分を斜めに斬り抜け、返す太刀筋で頭蓋ごと顔の上半分を、刃が抜けた耳へと戻るように斜めに分断する。受けと崩しと巻き上げに、尖状に連続する龍尾返しを加えたちょっとした連携だ。爺さんの頭は前側が三分割されたので最早生きてはいまいが、鋏の美技に対する礼と受け取ってもらいたいところだ。
こちらも首を差し出すわけにはいかない。そんなことをしたら俺の楽しみが無くなってしまう。
「この場合、床屋代は払わなくてもいいのか……?」
受け取るはずの相手はすでに事切れている。髪は概ね仕上がっている。ここはひとつ、間を取って干し首でも土産に持って帰ることに決めた。いや、まったく俺の趣味ではないのだが、朱雀なら妙な骨董品も扱っているし、骨董品も民芸品も似たような物だろう。

「というわけで髪を切ってきた」
帰りの道中、なんとかのどうたらとかいう朱雀の店に立ち寄ると、わざわざ髪を切ってやったというのに俺を見るや否や微妙な表情を浮かべて、焼売を持ち上げていた箸を止めた。おそらく短髪が似合ってないとでも言いたいのだろうが、見てくれで商売している酒場女や男娼でもあるまいし、そんなものどうでもいいだろうに。
「……まあ、長いよりは良いんじゃないか? 目つきが余計に怖い気もするが」
「なかなか良い店だったぞ、お前の教えてくれた床屋」
「若い奴らの間で評判だからな。内装は白を基調に清潔感があって、調度品も程よく高くて整ってて、理髪師に上品な紳士を構えてて」
一体こいつは何を言ってるんだ? 俺の入った店は壁は血痕を隠すように塗料を雑に塗り重ねていて、干し首が大量に並んでいて、髪を切ってたのは首狩り好きの爺さんだったのだが。
「なんだ、その怪訝そうな顔は?」
「いや、その店、壁は血痕を隠すように塗料を雑に塗り重ねていて、干し首が大量に並んでいて、髪を切ってたのは首狩り好きの爺さんだったが」
「……お前、細糸理髮に行ってたんじゃないのか?」
なんだ、その細くて頼り無さそうな奴ばかり働いていそうで、全体的に細そうな名前の店は。
「いや、そんな店名じゃなかったような。確か……首狩捻千切とかいう」
「なんだ、その首狩って捻じって千切るみたいな名前は?」
言われてみれば物騒な名前だ。切るという文字があるから信用したが、あれは千切るという意味合いだったのか。首を狩り、捻じって千切る……あの爺さんの技は本来そういう暴力的な力技だったのかもしれない。惜しいことしたな、もう少し生かしておいて爺さんの妙技を見ておけばよかった。いや、所詮あの程度の腕なら見るまでもないか。
結局手に入れたのは欲しくもない干し首だけ……あ、そういえば土産にするつもりだった。
「ほら、土産だ」
「……あ?」


【呪いの干し首】
なんとかって部族による民芸品で、作り方は爺さんの干し首棚に重ねてあった紙に書いてあったが忘れた。
確か首をなんか切って、あとなんか干したりして作る。確か呪術的な効果もあったような気がするが、なんて書いてたか忘れた。取引先の名簿には禁門という名があったが、どこかで聞いたような気もするが忘れた。多分この辺の黒幇の一種だ。
仕入れ先は俺の時みたいに、なんかあんな感じだろう。
価値はよくわからんが、牛の干し首よりは高いに違いない、特に根拠はないが。


麻袋に詰めておいた干し首を取り出して机の上に置いた瞬間、朱雀の目つきが細く鋭く変化する。きっと値踏みでもしているのだろう、気に入ってくれたようでなによりだ。
「いらん!」
そう思った瞬間、干し首は罰当たりにも勢いを乗せて蹴り出されて、通りの向かいの荒ら屋に吸い込まれていったのだった。


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