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手を汚すのに足だけ洗うな~森ノ黒百舌鳥怪奇収集録~

七不思議というのは何処にでも存在するものだ。学校の七不思議とか病院の七不思議とか、地域の七不思議とか、世界の七不思議というものもきっと存在するだろう。ボクらの住む町、廃界にも七不思議は当然存在している。そのひとつが右腕様というものだ。

【右腕様】
その名の通り、人間の右腕の形をした怪異。
形状は肩から先の腕そのもので、青白い生気のない肌は、手首までびっしりと地獄の魑魅魍魎と髑髏が描かれており、十階建ての大楼のように大きく、指は六本、掌に巨大な瞳があり、口は手首から肘に向かって避けるように縦に長い。
歩くときは指先を天に向けて、肘を折り畳み、二の腕の部分を弾ませる。
あまりに人の持つ部位に近く、しかし異形に等しい程に人から遠いそれを、廃界の住人たちはいつしか右腕様と呼んで土着神のように扱っている。

ところでなにを急に言ってるのかと思うだろうが、実は今まさにその右腕様がボクらの前に現われているのだ。細い路地を窮屈に進みながら、人差し指を立てて前後左右に揺れながら歩き、どういうわけか進行方向はボクの店だ。まさか買い物に来たというわけではないだろう。であるならば、これはボクへの攻撃であり宣戦布告だ。このボク、フェイレンの龍頭のひとりで、暗殺技能と四獣の名を受け継いだ朱雀に対して挑戦状を叩きつけに来たわけだ。
ボクは無駄な争いを好まないが、相手が皇帝と挑戦者であるならば話は別だ。皇帝はこの国の支配者だ、そしてフェイレンは匪賊だ。匪賊は支配者を滅ぼすためにある、ならば滅ぼす以外に道はない。挑戦者は舐めているわけだ、匪賊は面子商売だ。舐めた相手には二度と歯向かえないよう、徹底的に叩いて磨り潰すまでやるのが匪賊の流儀だ。
「お前たち、今日の間抜け野郎は七不思議の一角の右腕様だ。丁重にお迎えして、二度とお天道様の下を歩けないように全部の指をへし折ってやれ!」
ボクの歓迎の言葉と共に喊声が上がり、いざという時のために店の奥に隠してあった弩や火砲が、眼前の怪物目掛けて一斉に撃ち込まれる。ボクはボクで部下たちに負けじと店の二階から窓を開けて露台に立ち、取って置きの龍火撃賊震天雷砲を構える。これは巨大な弾に大量の爆薬と金属片を詰めて、火力で強引に飛ばして相手にぶつける、文明的なんだか原始的なんだか分類し難い兵器だが、こと威力に関しては並大抵の攻城兵器を凌駕するものがある。そいつを怪物の瞳目掛けて放ち、掴み取ろうとした六本指諸共に吹き飛ばしてみせる。
圧倒的な数々の暴を浴びた怪物は、肘と中指を伸ばした状態で地面に崩れ落ち、その進行を止めた。最後まで指を伸ばすとは敵ながら天晴れな奴だが、ボクたちは匪賊だ。落とし前はきっちり付けなければならない。
「何本いっときますか?」
「決まってるんだろう、全部だ」
ボクの子飼いの連中、その中でも特に腕に自信のあるルオとバオフゥとトゥラ、フェイレンの戦闘部門である紅棍の三獣が、単体では扱えないような巨大な、重馬の胴でも薙げそうな斬馬刀を担いで右腕様へと歩み寄っていった。


さて、指詰もとい解体をしてみて判明したことだが、右腕様は一体でひとつの腕ではなく、皮膚を切り開いてみると魚卵を詰めた産卵前の魚の下腹のように、夥しい数の大小様々な数々の腕。掌の目玉らしきものも、よくよく見ると瞳ではなく束ねられた無数の腕。となるとと口も調べてみれば、歯のような物体は無数の腕を折り畳んだ肘がそう見せていただけだった。要するに大量の腕の集合体が、意思を持ったのか反射で動いていただけなのか、とにかく腕を形作って歩き回っていたというわけだ。
こんなものを作るとは傍迷惑な奴もいたものだ、と言いたいところだが、残念ながらボクには心当たりがある。まだ朱雀の名を受け継ぐ以前、先代の朱雀である師匠から命じられて集めた手孕の腕たち。腕以外にも頭や胴体や足だけで産まれていた怪異を集めて、それらを繋げて継ぎ接ぎの人間や八面六臂の怪物を作ろうとした頭のおかしい奴もいたが、どうやらこの右腕様なる怪物は狂気の実験の成れの果てのようだ。
「……媽ァ……媽媽ァァ……」
右腕様が無理矢理腕を絡み合わせて形成した発声器官から、野太さと甲高さの混じった声に似せた音で母親を呼んでいる。こういうことをされると、ボクにも憐憫の情のひとつも湧くというもの。いや、実際は全くそんなものは湧いてないのだが、仮に虫や魚であっても言葉のようなものを喋られると、若干の躊躇が生まれてしまう。言葉というものは本来そういうものなのだ。
「ルオ、これはボクの思い付きなのだが……今回の落とし前は、島流しにしてしまうというのはどうだ?」
「龍頭の決定であれば俺たちは従うまでですが、こいつのこと何か知っているんです?」
知っている、と答えれば呆れられてしまいそうなので黙っておく。特に説明することでもないが、ボクはフェイレンの中では当然最古参だ、フェイレンはボクが作った組織だ。その後見たる暗殺組織の中でも結構な古参だ。ボクより古くから籍を置くのは、それこそ他の四獣と四凶四罪と彼らの古参配下、あとは長老を含めた一部の限られた幹部たちくらい。だからボクが知らぬといえば、この哀れな生き物は真偽不明のまま、どこぞにでも姿を隠して寿命の限り生き延びれるというわけだ。
「知らん。知らんが、どうやって死ぬかもわからんし、また来られても面倒だ。海にでも流して、どこか遠くに旅立ってもらえ」


こうして右腕様はどこか遠くの島へと流され、そこで人間の居ない世界で呑気に暮らすことになったのだが、問題はまだ残っている。
昔から悪事を働くことを手を汚す、堅気に戻ることを足を洗う、というが、手を汚したものは済し崩し的に頭から爪先までどっぷりと悪党の穢れで身を覆い、真っ当な暮らしに戻ろうとする時には風呂に浸かって穢れを落とす。文字通り、まず足から洗うわけだ。
ここで廃界の七不思議に話を戻すと、ひとつが右腕様として、残りの六不思議がなんなのだという話だ。夜中に這い寄る小さな左腕だけの生き物、深夜の大通りを疾走する謎の下半身、町中の壁に突如として現れる巨大な目玉、釣り堀の魚を襲う正体不明の噛み痕、下水道を彷徨う手足のない達磨人間、空を高速で飛ぶ尻……まさかの全部がそういう類のものばかりなのだ。
「これはボクが尻拭いしないといけないのか……?」
師である先代の朱雀や組織の狂人たちを恨めしく思いながら、ボクは飛んできた尻だけの物体を鉄扇で叩いて追い払い、がっくりと肩を落としてみせたのだった。


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