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つまらぬ怪奇は麺麭より安い 番外編~妖刀~

剣士の夢は真っ当に腕を磨いていけば達人、延いては最強、欲をいえば天下無双、そういった類のものであることに違いない。
とどのつまりは龍である。龍とはいわずもがな龍だ、竜ともいう。
マムシが五百年経てば蛟となり、蛟は千年の後に竜となる、竜はそれから五百年の時を経て角竜となり、さらに千年の末に応竜に至る。自分はまだ四十年と少々しか生きていないが、己が剣が今どの辺りにいるのか皆目見当もつかない。応竜とまでは至らぬだろう、角が生えているかも疑わしさがある。マムシを木剣を握ったばかりのヒヨッコとするならば、マムシということはなく、蛟よりは上であることは斬り捨てた百を超える輩たちが語ってくれる。
であるならば竜か。竜であれば文句はないが、しかし我が身は今後衰えるばかり。果たしてこのまま角を生やし、応に至れるのか。それとも先に天寿を全うしてしまうのか。或いは何者かに斬り伏せられてしまうのか。
前者であればこれほど喜ばしいことはなく、中者であればこれほど悔しいこともない。後者であれば、それはもはや言葉では言い表せない密林のような複雑な感情を伴なう。剣士とはそういう種類のものなのだ。


「というわけで朱雀(ジューシェー)よ、己にふさわしい刀が一振り欲しい」
「急にやってきて何を言い出すかと思ったら……あなたは前に、刀など所詮は消耗品である、名刀だろうと無銘だろうと要するに振って斬れればそれで構わないのだ、とかなんとかボクに講釈垂れてたじゃないか」
そこらの刀では意味がない、なるべく禍々しく強力な刀が欲しいと、価値あるものであれば異形でも怪異でも集める骨董品店【森の黒百舌鳥】に来てみたはいいが、店主は返す刀で過去の己の発言で臓腑を刺してくるではないか。
まったく失礼で無礼な若輩者だ。己も店主の朱雀もフェイレンという匪賊集団の首領格、龍頭に名を連ねてはいるが、年だけでいっても両手足の指の数ほど離れている。
腕をいえば尚更だ。朱雀も暗器と軽業には天賦天稟の才があるが、個の強さでいえば己ら四獣最強はこの青龍(チンロン)、100歩譲って素手同士ということであれば白虎(バイフー)だろう。残る玄武(シュアンウー)も槍の名手ではあるが、年長の彼は老いの領域に足を踏み入れた。全盛期の力には遠く及ばず、まるで未来の不甲斐無い己を甲羅の盾もとい鏡に映すかのようだ。

「そもそもだ、ここは骨董品店だぞ。餅は餅屋、武具は武具屋に行くべきだろう?」
目の前の中世的な少年とも少女ともわからぬ小柄な店主が、さらに言葉を並べ立てる。ひとつ弱みを見せればこの有様、こやつに倒される相手はさぞ痛い思いをしながら息絶えるのだろう。
この若者も先代の朱雀、あの重度の修行偏執狂で病的な妄執の持ち主で上半身を骨と皮と五臓六腑だけに削ぎ落としてまで空を飛ぼうとした、あの軽業技能者の奇人を殺して名を継いだのだ。その殺傷力は言葉の節々でも例外なしといったところか。
かくいう己も幼少期に木の枝を握るところから始まり、日夜勉学にも遊びにも目もくれず、ひたすらに木剣を朝も夜もなく振り続けた。十になる頃には野犬を叩き伏せるに至り、二十になる頃には名立たる道場主を斬り伏せるに達した。三十を過ぎた頃には先代の青龍と弟子たちの首を全て刎ねて、それまでの名を捨てて勝手に彼の名を受け継いだ。
それまではよかったが、そこからがよくなかった。
そう、現在もなお全くもってよくないのだ。

「実はだな、朱雀よ。己は今、強敵に悩まされておるのだ」
「強敵?」
朱雀が思わず目を丸くする。その瞳は驚きとわずかに疑念を宿し、己に対する確かな実力を認めていることを語ってくる。
つまりは、あなたほどの剣の達人に敵が居るのか、という問いかけだ。
「剣の腕はそれほどでもない。否、それほどでもないと軽んじる技量ではないが、己と比べれば及ばぬという話だ。仮にこの大陸で序列をつけるのであれば、己が一位であることは間違いないが、奴は二位か三位、少なくとも五本指には数えられるだろう」
「あなたが大陸一かどうかは知らんが、相応の腕前の持ち主ということか。フェイレンに引き入れたらどうだ?」
「そういうわけにもいかんのだ。なにせその強敵は人間ではないのだ」
朱雀が眉をひそめた。常日頃から怪異を集める店主の職業病だろう。


その強敵との対決は、先代の青龍を斬り倒した数日後から現在までの10年以上に及ぶ。
その敵は二本一対の柳葉刀を携えた黒ずんだ髑髏で、骨と皮だけに等しい空洞の身体を蛇や蜥蜴のように這わせながら、地面から物陰から壁から天井からどこからともなく現れて、己と斬り結んでは霞のように姿を消す。しかし幻覚や妄想の類ではなく、斬られれば赤き血が流れ、腕を斬り飛ばせば奴の握っていた柳葉刀が残るのだ。
奴が何者でどういう存在なのかはわからないが、挑まれれば斬るしかないのが剣士の本能。以来生き人を斬っていないが、髑髏であれば一日一体では済まぬので、すでに万を超える数を斬ってしまった。しかし髑髏などいくら斬ったところで喜びも愉悦もなく、名声も名誉もなく、ただただ不快な疲労だけが埃のように積もるだけなのだ。
これが生き人であれば、血の通う剣の達人であれば、どんなに楽しいだろうと考えもするが、目を閉じて開き直したところで眼前に立ちはだかるのは、いつだって髑髏だけだ。
ここまで執拗に狙われると精神が鉋を掛けられたように磨り減らされ、その刀に身を委ねてしまったほうがいいのでは、などとも思ってしまうのだ。


「なんか見る度に衰えてるなとは思ってたが、そういうことなら丁度いいのがあるぞ」
と、朱雀が取り出したのは一振りの倭刀。大陸の東の果ての別国に武士という戦闘狂の蛮族共がいるらしいが、そいつらが使っている反りのある太刀は切れ味威力共に優れ、その太刀の拵えをこちらのものに仕立て直したのが倭刀と呼ばれる刀だ。
「ほう、倭刀か。しかし倭刀も普通の刀に変わらぬ」
「まあ、聞けって。こいつは緋緋色金という錆びることも朽ちることもない不滅の金属で作られた刀と言われていて、さらに七日七夜火山から流れる溶岩流で鍛えて七十七日祈祷師たちが呪怨を込め続けた由緒正しき逸品、その刃には相手の実の姿を映し出して幻であろうと断ち切る三千世界に斬れぬもののない妖刀、なんだそうだ。出入りの商人がたまたま手に入れたものを買い取ったが、こんなもので普通の人間を斬って、血曇りで価値を下げるのもなんだからって倉庫の肥やしにしてたんだ」
「なるほど」
普通であれば詐欺か騙りの手口だと一笑に付すところだが、笑い話にもならない怪異に悩まされている身の上であるので、そんなものにも縋りたくなってしまう。
「ならば髑髏を斬って、その力、確かめてみようか」
藁にも縋るというが、眉唾物の刀にまで縋ってしまうと、己が哀れにも思えるが、それでも長年悩まされてきた煩わしさから救われるかもしれないのであれば、一縷の望みにでも賭けてみたくもなるのだ。


✕ ✕ ✕ ✕ ✕ ✕


髑髏は独りの時に現われる。
死してなお剣士なのか、横槍を入れられるのは本意でないのかもしれない。だとすると中々に立派な剣士だ、先代の青龍は己の腕を警戒して弟子たちを引き連れてきたので、あの髑髏は先代よりは真っ当な剣士といえなくもない。
独りの時にしか現れぬのなら、妻でも娶って独りにならぬようにすれば解決するが、あいにく所帯を持つような甲斐性はなければ、そもそもつもりもない。かといって剣士として弟子を育てるつもりもなく、いずれこの名を譲るのであれば己の死後に勝手に腕自慢共でやってくれ、としか思っていない。
ならば戦い抜くしかないのだ。こんな斬る楽しみのない終わりのない輪廻からは、とっととおさらばしたいものだと願いながら。

「さあ、髑髏。そろそろ終わりにしようか」
「断る、こんな楽しいことやめてたまるものか」

妖刀の力か、髑髏の姿がより鮮明に刃に映る。
髑髏は短身痩躯で長髪の中年男で地を這うように身を屈め、左右の手に二本一対の柳葉刀を携えて、背中には偃月刀を背負っている。その背には仰々しい龍の刺青が彫っており、顔の中では落ちくぼんだ眼窩で猛禽とも獣とも見紛うばかりの鋭い瞳が爛々と輝いている。
どこかで見たことのある男の姿だ。しかし随分と長いこと髑髏を斬り続けたせいか、ようやく聞こえてきた声もようやく見えてきた姿も朧がかったように思い出しきれない。
だがそんなものはどうでもいい。姿が見えて、禍々しくも人間であれば斬ればいいのだ。

「さあて、髑髏よ。お前との奇縁もこれまでだ」

振り上げる刃が二本一対の柳葉刀と交差する。
ぐるりぐるりと忙しなく廻る中空を首がくるくると舞い、ふたつの体が地に伏したかと思うと、髑髏の方の体が起き上がって己の頭を掴み、ゆっくりと重さを失った首に座らせたのだった。


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人生ってのは1回しかねえ。清く正しく節度をもって生きようが、適当に自堕落に生きようが、結局どれか1個の人生しか選べねえし、その人生に良し悪しとか正しい間違ってるなんてもんはねえ。
俺はかれこれ60年近く生きて、ちょっと前まであれこれと悩んでいたが、今はそんなもんどうでもよくなって好き勝手に生きてる。
だいたいフェイレンの龍頭はどいつもこいつも悩み過ぎだ。青の字はいつも猛禽みたいな眼を見開いて、斬った相手が立ち上がっていつまでも斬り結べないかなんて望んでやがるし、白の字は村人その1みたいな顔でなに考えてるかわからねえが、どうにもすっきりしない顔をしてやがる。
朱の字はちんちくりんな上に色気が足りねえせいで、女なんだか男なんだかわからねえ変な奴だ。
どいつもこいつもだ。俺みてえに酒飲んで女抱いて真昼間から道端で寝てりゃいいんだ、もっと正直に生きろ、ぶぁーか!

「あぁ? 青の字じゃねえか、なにやってんだ?」

青の字はいつもよりも乱雑な風体で、長い髪を乱れさせて左右両手で倭刀を握り、背中には偃月刀、さらには腰には二本一対の柳葉刀をぶら提げて、ゆらりゆらりと道の真ん中で幽霊のように体を揺らしている。
酒を飲んでるわけでもなさそうなのに、あんなにゆらゆらしてたら、酒を飲んだら天地が引っ繰り返るだろうな、なんて考えながら思い切り景気の悪そうな顔を蹴飛ばしてやると、冗談が通じないのか左右の刀を蹴り足に合わせて振り回してきた。
これだから偏執狂な武芸者おじさんは厄介だ、挨拶もろくに通用しねえ。
斬り飛ばされた足首から先を片目で見下ろしながら、もう片方の目で足型にめり込んだ幽霊の顔面を見据える。

「おい、青の字。なかなか生意気なことしてくれるじゃねえか。おお、痛え痛え。ま、丁度いいや。今日こそどっちが強いのか、決めようじゃねえか! 俺のが強いんだけどなあ!」

刀と槍なら圧倒的に槍が有利だ。槍の方が先に届くし、先に届くってことは間合いを制するってことだ。技量が同じくらいなら確実に槍が勝ち、ついでにいえば技量は十年以上生きてる分だけ俺の方が高い。
穂先を十字にした槍をぐるりと回転させながら幽霊の片腕を削るように落とす。妙だ。この幽霊はいつもの青の字らしくなく、守りなど考えずに腕一本を差し出しながら、刀の間合いへと飛び込み、生意気にも俺の胸元に描かれた七色に輝く龍の刺青と人類皆穴兄弟という愛の言葉を薄皮一枚と少々の肉とはいえ切り裂いて、返す刀で首を取りに来たのだ。
「冗談じゃねえぜ、青の字!」
咄嗟に足を蹴り上げて、足首から先の流れ出る血を目くらましにして、そのまま槍の柄を横薙ぎにして弾き飛ばし、どうにか難を逃れたのだった。


+ + + + + +


「ってわけでよー、酷い目にあっちまったぜ!」

昼過ぎに起きて、煙草でも買いに行こうと表に出たら、家の前に片足の厄介老人がいたらどうする?
俺は当然、見て見ぬふりをすると決めている。俺は昔から腕っ節だけはそこそこ以上に強いせいで、なぜか暴力を愛する先代の白虎に気に入られて名前を継がされて、あろうことかフェイレンなんて山賊も子猫に見えてしまうならず者集団の龍頭なんてもんになってはいるが、元々は平和主義で日和見主義者だ。日がな一日、煙草をふかして時々酒でも飲めればそれでいいのに、どうして面倒事は俺を放っておいてくれないのか。
よりにもよって、ある日を境に何故か修行僧みたいな雰囲気から欲得だけで生きる厄介老人になった玄武が、足を切れた尻尾みたいに見せつけながら転がっていて、その背後から肩から先をどこかに落としたドジっ子おじさん登場。
四獣の年長がふたりして、元気な姿を見せてるわけだが、年を考えてくれ。四十男と五十男がなにやってるんだ、昼間から。

「いや、俺は煙草を買いに行きたいんだけど」
「うるせえ、俺は五体満足じゃねえんだよ! 代わりに青の字をなんとかしろ!」
厄介老人の方が血を流しながら元気いっぱいに叫ぶ。
やめろやめろ、頼むから俺を放っておいてくれ。せめて一服済ませてからにしてくれ。
しかし願いというのは基本的には叶わない。振り下ろされた柳葉刀を白刃取りで受け止めて、そのまま胸元を蹴り上げて後方へと無理矢理に撥ね飛ばす。なんでこんなことになってるのかさっぱり不明だが、ひとつ言えるのは刀を持てば並ぶ者のない青龍と、一応四獣の素手格闘においては最強らしい俺がやりあえば、どちらもただでは済まないということ。
やめてくれ、俺は健康第一を信念にしてるんだ。健康的に健やかに健康体のまま煙草を吸わせてくれ。

「おい、じいさん。俺は逃げるからな」
「俺を残して逃げるつもりか! 薄情な野郎だな、てめえはよぉ!」
薄情もなにも、あんたと俺はそもそも別に友達でも親族でも煙草仲間でもないだろうが。
しかし逆恨みされて三つ巴になったり、運悪く二対一なんてことになったら最悪過ぎる。なんとかに刃物を体現する剣鬼が立ち上がってくる前にと、厄介老人の無駄にでかい図体を脇に抱えて強引に引き摺りながら、逃げ場としては絶好の場所を目指して走り出したのだった。

くそっ、馬鹿みたいに重たい。煙草が切れて力が出ないというのに。


~ ~ ~ ~ ~ ~


亡き師匠が生前語っていたことだが、四獣の名にはそれぞれ背負ってきた意味があるらしい。
ボクが受け継いだ朱雀には空への憧れと渇望があり、ボクを組織へと連れてきた当代の白虎には威風と誇りが、先代から名を後継へと渡しそびれた玄武には秩序と節度があったそうだけど今は何処へと行ったのやら。
ちなみに青龍には波のように寄せては消える戦いの泡沫が込められていて、代々の青龍は戦いの螺旋から降りられずに、自らの首を取る者に螺旋を首飾りのように渡しながら、これまで名を受け継いできたのだとか。
つまり当代の青龍が悩まされている妙な敵とやらは、その名が呪いのように彼の身の上に圧し掛からせた戦いの螺旋そのものなのかもしれない。
かといってボクに出来ることなど無く、正直なところ、ものすごくどうでもいいのだが。

「ってことで、遠目に見物していようと思っていたのに、なんでこんなことになってるんだ?」
「いや、知らん。俺に聞くな」
「俺も知らねえよ、朱の字! 青の字の野郎、俺の足首から先を持っていきやがった! とんでもねえ野郎だ!」

フェイレンの龍頭4人が雁首揃えて、骨董品店の軒先で明け方の鴉のように騒いでいるのだ。部下だの情報屋だの仕入れ先だのが見たら、さぞ呆れ返って下っ腹の上で茶でも沸かしてしまう光景だ。
これでも皇帝を暗殺して世界を引っ繰り返そうと目論んでいるのだから、自分たちのことながら情けないというか哀れ過ぎて物も言えないというか。
このまま呆れ果てて、どこぞの田舎町で骨董品屋でもやっていようか、なんて信念が揺らぎそうになるが、かといってこのまま放っておくわけにもいかない。ボクたちは、少なくともボクは世の中をそのまま受け入れられるほど怨念が小さくはないし、目の前の狂人に刃物を地で駆け抜ける脅威からはおそらく逃げられない。
その脅威的な狂人は、昨日ボクが貸してやった妖刀を逆手に構えて背中で隠し、蛇のように身を低く屈めている。

「おい、青龍。なんでボクらに刃を向けるんだ?」
「魅入られたからだ。戦いは楽しく、人を斬るのは酒でも賭博でも色でも得られない極上の喜びを伴う。これまでは己と果てのない斬り合いを繰り返してきたが、心の寄る辺のない暗く深い夢は、この妖刀によって醒めてしまった。自分を斬っても空虚でしかないのだ。やはり斬るのであれば他者がいい、それが己と同等以上の腕を持つのであれば、万が一にここで敗れてしまっても悔いは残らんだろう」
これまで色んな怪異を扱ってきて、その中には言葉が通じない異国の者とか妖怪とか動物なんかもいたけれど、喋っている言葉は解るのに意味が解らないのは始めてだ。
かろうじて理解出来そうなのは、ボクが貸してやった妖刀が関係してるのと、目の前の狂人がやる気に満ち満ちているってことくらいだ。もしかしてボクのせいになるのか? いや、どう考えてもおかしいのは狂人の方だけど。
「まあいいや。ボクらも嘗められたもんだな」
いつまでも居座られても仕事の邪魔だ。そこら辺に飾ってある短剣を手に取って、獲物の前で舌なめずりする蛇のような狂人に歩み寄る。まったく、龍から蛇とは随分と格が下がったものだな。

短剣を投げつけて青龍を跳び上がらせたその瞬間、やれ、と小さく合図を呟く。
店内の机や棚が引っ繰り返って、常日頃から中に潜ませていたボクの子飼いの嘴面を被った連中が、一斉に銃口を向けて散弾を放ち、狂気で頭の煮え切った蛇を今にも朽ちそうな廃屋の壁のように穴だらけにする。
「お前、いつの間にこんなの仕掛けてたんだ?」
「ボクは防犯意識が高いんだ。この町は泥棒も多いからな」
そう、彼らは防犯用の警備員だ。泥棒や強盗はもちろん、警吏に敵対勢力に同じ組織の敵対者、ボクと商品を狙うものは不愉快にも存外多い。そんな奴らにいちいち慌てていたら、とてもじゃないが店主などやってられない。いついかなる時でも対処できるように伏兵のひとりやふたりは潜ませておくものなのだ。

店の表にはかろうじて原形を留めている元龍の哀れな蛇、妖刀は不滅の金属との触れ込みだったが、あちこちをボロボロに削られて、かろうじて折れてはいないものの見るも無惨な姿に変わり果てている。

「……こんな死に方は許されない。せめて斬れ……斬ってくれ! こんな負け方は嫌だ! 斬れぇ! 斬ってくれぇぇぇぇ!」

思わず、ぎょっと目を丸くしてしまう。
すでに死んでいるはずの哀れな蛇は、妖刀を地面に突き立てて立ち上がり、そのまま妖刀を足ならぬ尾のようにして逆立ちのような姿勢で下半身をだらりと二股の頭のように枝分かれさせながら、胴から先をゆらゆらと揺らしながら蠢いている。
そのまま刀を地面から抜く反動で一気に駆け寄って、店内の壁や天井に全身をぶつけて回りながら、足の指で壁に掛けてある剣や槍を掴み、嘴面を暴れる大蛇のように薙ぎ倒していく。
その動きはものは人間のそれではなく、紛れもなく妖怪や物の怪の類、ひとつの怪異と呼んでしまっても構わない、そんな奇妙で気味の悪いものだ。
しかしこちらも怪異の相手は手慣れたものだ。剣戟を避けながら床の仕掛けを踏んで、吊り下げ式の天井を落して毒蛇を石で叩き潰すように、分厚い鉄の重みで暴れる怪異を押し潰す。

「……ぐがぼぉぅ……ぎぼぇぇ! ぎょべぇぇぇぇ!」

がぼがぼと液体が毀れるような音を発しながらも、まだ息を絶やすことなく、残った顎から下を使って呪詛の言葉を吐きだし続けている。
その体は叩き潰された虫のように無惨なものだが、はてさてこの元青龍は龍から蛇、蛇から虫と、一体どこまでその身を成り下げ果てていくのだろうか。
行く末は丸めた鼻糞や燃え滓みたいなところまで落ち切るのか、それとも妖刀が完全に折れてしまえば終わるのか。
どのみち斬る斬らずと関係なく、もはや胴の半分から先が潰れて千切れ、ぐにゃりと犬の尻尾のように曲がって、武器としての体裁を保つことさえ出来なくなった刀に、僅かに残った2本の指を添えるので精いっぱいな身では、ボクや他の四獣の脅威にはなるまい。

「このまま箱にでも詰めて、人気のない山奥にでも封印しとくか」
「なんでだよ! 燃やしちまおうぜ!」
「だって燃やしたら祟ってきそうだから」
「確かに、これでまだ生きてるからなぁ……」

このまま生かさず殺さず、戦いの螺旋に残しつつもそのまま現世に留まっていてもらうのが一番無難な、その上で他にこれといった手段も無さそうな解決法なのかもしれない。
仮に自分だったら、これだけは嫌だなあって思うけど。


・ ・ ・ ・ ・ ・


「そういうわけで四獣がひとり欠けて、元々玄武はあんな感じになってたから厳密にはふたり欠けて、フェイレンとしては龍頭をまたひとり失ったわけだ」
「なんと、私めが来ない間にそんなことがあったとは! 朱雀様のことは基本的に心配無用ですが、万一もしもなにかあったら、この私、夜しか眠れませんゆえに!」
「それはいつも通りってやつだな。心配してくれなくていいぞ」

あれから数日後、ボクが店の片付けをしているとフェイレンの生きる怪異、どこにでも存在する変質者、存在そのものが異常者の黄龍(ファンロン)が後始末にやってきた。
この全身茹でた卵のような毛の一本も皺もない男は、複数の場所に同時に存在できる悪夢的な性質と分身がひとりでも存命しているとどれだけ望んでも死ねないという絶望的な性質を持っているので、よくよく考えたら先日の青龍よりもこいつの方がずっと怪異だな、とか思ってしまう。
この変質者はフェイレンの連絡係で、なぜかボクのことをひどく気に掛けてくれるのだが、正直ありがた迷惑であり、出来れば今後ともなるべく来ないで欲しいと願っているくらいだ。
その理由が、

「では私、早速他の幹部にも報告に向かいますので! 朱雀様と離れるのは非常に名残惜しいですが、仕事ですゆえに!」
「いいからさっさと行ってこい」
「では、失礼しまして!」

黄龍が下穿きから拳銃を取り出して自らの眉間に押しつけ、引き金を引いて何度も連射した。
ボクがこいつを嫌いな理由はこれだ。歩いて帰るのが面倒なのか、いつもこうやって絶命することで意識を他の分身のもとに送るのだ。
死体は当然そのまま、掃除するのは当然ボクか子飼いの誰かということになる。
毎度のことながら呆れ果てて遺体を見下ろすと、腰から膝までの以外が剥き出しの肌に浮かぶ、名前にふさわしい黄色の龍の刺青が目に留まって、そういえばこいつも龍の名前を持っていたなと思わず溜息が毀れた。
龍の名前を持つのは、どいつもこいつも人騒がせな厄介者ばかりなのだろうか。
だとしたら随分と嫌な存在にされたものだ、と空想の存在に憐憫の情を抱いたりするのだ。


「もうやだ、こんな奴ら……」


それはそれとして世界で最も可哀想なのは、怪異のような存在に囲まれるボクだろうなと、一層哀れな気持ちになってしまうのだった。


(おしまい)


朱雀と他の四獣たちのお祭りみたいなお話です。
そういえば朱雀・白虎・玄武は出したのに、(執筆当時のメンタル的な事情と若干の飽きのせいで)青龍出してなかったなって思ったので、開き直ってこんな形で出してみました。
いわゆる真面目な堅物ですが、真面目な奴ほど内心にはひどく醜い変態的な欲望を宿してると思ってるので、こんなんになりました。ちょっとかわいそうですね。

朱雀たちのその他の話は「つまらぬ怪奇は麺麭より安い」をご覧ください。怪異と店主のお話です。