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仙桃多くして船山に登らず木端微塵~森ノ黒百舌鳥怪奇収集録~

「ルオさん、良い桃が手に入ったんだが、あんた食うかい?」
「貰おうか」
「意外だな。甘いものを好まなさそうな顔してるのに」
この世に甘いものを一切食べない人間なんているのか、と問い返してやりたいところだが、俺のような強面で黒社会にどっぷり浸かった四十男が、目を輝かせて果物や甘味に貪りつく姿は想像し難いのだろう。しかし目の前の女衒の想像に反して、俺は甘味を好むし、薬の調合という頭脳労働に糖分は不可欠だ。正直、三食全て甘味でも構わない、むしろ望むところだが、折角の桃を独り占めするわけにもいかない。なんせうちの上司と部下は、尊敬に値する実力者ではあるものの、性格に少々難がある曲者ばかりだ。
上司はフェイレンの龍頭にして、黒社会の老舗暗殺組織の四獣のひとり、朱雀様。まだ若い、二十代半ばの女性だが、四獣の名を冠するだけあって恐ろしく強い。かれこれ十年近い付き合いになるが、未だに稽古も含めて一度も勝てたことが無い。
そう、ただの一度も。

十年前、当時の俺は蛮鳴という武闘派組織の幹部だった。蛮鳴は阿片の密売と短期間で姿を消す会員制の秘密の煙館で荒稼ぎを繰り返し、他の黒幇連中と正面から争わない一方で、ひとたび揉め事となれば命から財産まで根こそぎ奪う暴力性を武器にしていた。蛮鳴の秘密裏な仕事方針は好みだった反面、過剰な暴力性には嫌気が差していた俺は、どうにか足抜けして薬屋か医者でもやろうと薄ぼんやりと考えていたが、この世界、裏切ったらそこで終わりだ。大抵は無残な姿で発見されることになり、どこか遠くに逃げたとしてもいずれ見つかって始末されるのが落ちだ。
桶いっぱいに水を張って、そこに一滴でも毒薬を垂らすとそれはもう飲み水には使えないのと同様、一度でも悪に手を染めてしまうと堅気には戻れないのが世の中の決まりみたいなものだ。
「よし、お前ら。今から全員ボクの部下になれ」
どこで聞きつけたのか、表向きは貴族の屋敷にしか見えない煙館に乗り込んできた少女は、客も従業員も用心棒も片っ端から打ち伏せて、おまけに増援で駆けつけた蛮鳴の腕利き共を次々と叩きのめし、瞬く間に当時の首領の喉笛を掻っ切ったのだ。自らの望みを貫き通す方法には幾つか手段があり、大抵は金か権力か人数でどうにかするのが世の定めだが、まさか自力で、しかも個人の武力で成し遂げてしまえる者がいるとは思わなかった。武装した体躯の恵まれた腕利きに四方を囲まれようと、捕まらずに返り討ちにし続けられる能力があれば確かに不可能ではないが、それは最早同じ人間では無い。人の皮を被った獣、この少女の場合は人の姿をした猛禽だ。
鳥のように舞う少女に対して、地べたを這い回るしかない俺たちは苦し紛れに上に向けて剣や棒を振り回すしかなく、空を切っては頭や顔を蹴られて跳び上がられ、最後のひとりまで無様な醜態を晒すだけだった。俺は唯一、真上からの蹴りを両腕で受け止め、足首を掴むところまでは出来たが、直後に遠心力を加えた蹴りを側頭部に受けて昏倒してしまった。
目を覚ました時には部下や仲間たちは壊滅。再び先程の戯言のような、いや、こうなってしまっては誰も戯言だと一蹴出来ない命令を聞かされて、首を縦に振るしか無かったのだ。

「喜べ、お前がフェイレンの記念すべき第一号だ」
強制的に少女が結成したばかりの組織に加入させられ、俺は駄目元で申し出たら秒で快諾された薬屋に、蛮鳴の他の連中もそのまま売人や煙館を続ける者から、酒場の店主になったり漁師になったりと主に敵対しない限りは自由に仕事を選べた。初めの頃こそ上納金として相応の額を巻き上げられたが、主が逢魔小路の治安の悪い三等地に骨董品店を構えた頃から上納の義務も無くなった。
当然勢力拡大の為に他の組織から略奪を繰り返したり、気に食わない役人や軍人の家に八方から火を放ったり、味方が襲われた仕返しに病死した浮浪者の死体を搔き集めて敵陣に投げ込んだりと決して善良な人では無く、むしろ何処の誰からそんな非道を学んだのか頭を抱えたくなるような主だが、基本的に自由な時間も多く、以前いた蛮鳴よりも不思議と居心地が良かった。
だから決して自分から裏切らないし、そもそも裏切れる程の力もない。少しでも力の差を埋めようと武術の稽古にも付き合ったが、素手でも棒でも木剣でも、力で対処できそうな組み技の鍛錬でも軽く捻られるばかりで、積み上げてきた苦行の差を思い知らされるばかりだった。
そこに関しては後に拾われた元奴隷の赤毛のバオフゥや元遊牧民の奔鶻のトゥラも同じで、俺たちはいつしかフェイレンの三獣として側近のような立場になり、朱雀様と共に暴れ回り、おまけ程度ではあるが勇名を廃界中に轟かせた。

とまあ、そういった経緯と敬意があるので、なにか貰った時には朱雀様と三獣の四人で分け合うことにしている。量が多ければ蛮鳴の元同僚たちを呼ぶこともあるし、他の傘下に下った連中を誘うこともあるが、この程度の量の桃であれば他に声を掛ける必要もない。バオフゥとトゥラにだけ声を掛けると、ふたりから少し待ってくれと止められて、しばらくするとバオフゥはどこから盗んできたのか牛を一頭まるごと抱えて、トゥラは荷車の上に数尾の魚と何故か巷で人気の芸妓を乗せて戻ってきた。
「お前ら、それ……なんだ?」
「決まってるだろ、ルオ! 朱雀様に召し上がってもらうんだよ!」
バオフゥが豪快に笑う。背丈が低くて線の細い朱雀様がそんなに食べるわけないだろう、馬鹿が。早く返してこい。
「決まってんだろ、ルオ! 港町で偉い方を持て成す時は女体盛りにするって聞いたぞ!」
トゥラが豪快に笑う。お前はお前で、何処の誰からそんな品の無い話を聞いたんだ。朱雀様の性別を考えろ、馬鹿が。
「そうか、俺が盗んできた牛に!」
「あたしが借りてきた魚を乗せる!」
バオフゥとトゥラが互いに大きく手を振って、掌同士を打ち合わせて鳴らす。いや、違う、そういうことじゃないんだ。その辺の屋台で売ってる豚串とか饅頭とか、そんなもんでいいんだよ。
「いや、普通過ぎだろ。朱雀様にがっかりされちまうぞ」
「そうだそうだ、あたしは朱雀様に喜んで貰いたいんだ」
「馬鹿かお前ら。朱雀様はどんな安い土産でも喜んで下さる。そういう御方だろうが」
バオフゥとトゥラは納得したように顔を見合わせ、そのまま盗んだか返すつもりがないのに借りてきたかした牛だの魚だの芸妓だのを戻しにいく。こいつらが馬鹿で助かった。いや、馬鹿だから苦労しているのか。視界の端では牧場主らしき男に怒鳴られているバオフゥと、娼館の婆さんに愚痴愚痴と詰められているトゥラが見える。やはり馬鹿は程々にしてくれないと困る。このままでは埒が明かないので、不本意だが一緒に頭を下げることにした。

「というわけでお土産の桃です」
「わあ、桃だ! おい、鴉爪、嘴細、嘴太! ルオたちが桃を持ってきてくれたぞ!」
朱雀様が桃の入った麻袋を抱え上げて、今から踊るのかと云わんばかりに小気味良い足運びで動き回っている。先日も半分の確率で痛んでいると評判の寿司屋や飢えた豚でも顔を背けると噂の丼物屋、徴兵逃れの最後の手段と悪名高い食堂といった、物乞いの終着駅みたいな店で済ませていたので、食べ物に回す余裕も無いのだろう。
金儲けの為に骨董品店をやっているわけではないのは知ってるが、もう少し商売っ気を出すなり、俺たちから上納金を集めるなりすればいいものを。上を食わせるのは下の責務で、下に不自由させないのが上の役目だ。この人は如何せん後者に力を割き過ぎなのだ。
ちなみに鴉爪、嘴細、嘴太の三人は、俺たちとはまた別の立場にある部下で主に店番や雑用を任されている。嘴を模した仮面を着けているのは、朱雀様の趣味らしい。
「おお、よく見ると仙桃だ! これは桃ではなく桃様と呼ぶべきだな!」

【仙桃】
自然発生的にごく稀に、それこそ天文学的な小確率で突然変異した幻の桃。通常の桃とは何もかも異なり、そのまま食べれば無尽蔵の精力をもたらし、乾かせば子を授かる妙薬となり、水に溶かすと極上の酒に変わる。

「そのまま食べるのも良いが、酒にするのも有りだな!」
朱雀様は引き続き小躍りしながら仙桃以外の桃を、袖から取り出した短剣で器用に皮を剥き、綺麗に縦に八分割して皿の上に落としている。その短剣、戦闘や暗殺で使ってないよなと不安が頭を過ぎったが、使っていたとしても錆び防止の為に洗っているはずだと納得することにした。バオフゥやトゥラは全く意に介さない様子で、いちいち疑問を持つのも馬鹿らしくなるが、俺は薬屋だ。衛生と予防には神経質くらいで丁度いい。
「酒にしましょう! 俺の故郷では宴の時、酒を主食に酒を浴びるように飲んだものです!」
バオフゥが真剣な顔で申し出る。なんだ、その風習は。酒を米から作ってるか麦から作ってるか知らないが、酒を主食にするな。
「いいや、干しましょう! もしかしたら、あたしと朱雀様の子種を授かるかもしれない!」
トゥラが真剣な顔で申し出る。お前に至っては何を言ってるか解らん。遊牧民は単一生殖でも出来る体質なのか?
「いや、店主は普段から碌なものを食べてないので栄養不足です」
「そのまま食べて精を着けてもらうのが正解かと」
嘴細と嘴太が真剣な顔、をしているかは面のせいで判らないが、こいつらはそのまま食べるよう申し出る。特に指摘することも無いが、お前らは強引な詐欺紛いの手段を使ってでも売り上げに貢献しろ。
「なあ、焼くとどうなるんすか? 林檎なんか、牛酪と砂糖と一緒に焼くと旨いっすよね?」
鴉爪が興味津々な顔、をしているかは面のせいで判らないが、敢えて文献にも残っていない焼くという選択肢を突きつけてくる。

「焼く……焼く、大いに有りだな!」
朱雀様は普段から甘味に飢えているせいか目を輝かせて、店の奥の台所へと駆けていった。
確かに焼くとどうなるのか、何故どの文献にも記録されていないのか、俺としても大いに興味がある。そのまま食べれば無尽蔵の精力をもたらし、乾かせば子を授かる妙薬となり、水に溶かすと極上の酒に変わる。ならば焼いたら別の、もしかしたら神懸かり的な効能を発揮するのかもしれない。

しかし文献に載らないには載らないだけの理由がある。仮に毒になるなら当然記す必要があり、単なる旨いだけの桃になるなら記した者がいただろう。だが現実は誰も何も記していないのだ。俺も朱雀様も、そのことをもっと慎重に考えるべきだった。
「なっ……ぬああああああああっ!」
朱雀様が素っ頓狂な悲鳴のような声で喚き、鉄製の揚焼鍋の上には牛酪と砂糖が混ざり焦げた茶色い粘性の物体だけが残り、仙桃があったはずの位置には何も無い。加熱した瞬間に仙桃は跡形もなく霧散し、絶妙に嫌な臭いだけ残して風に混ざって消えてしまったのだ。
消える、それが熱した時の真相だ。
恐らく先人も今の朱雀様と同様に愕然とし、
「この屈辱を別の誰かに味わわせないと気が済まない! ボクは絶対に誰にも教えないからな!」
自分だけが損したくない気持ちを抱いて秘匿としたのだろう。


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