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河馬神様は夜更けにこっそりやってくる~森ノ黒百舌鳥怪奇収集録~

「なあ、九鳥。この店、小綺麗で趣味は悪くないんだが、少し物足りないと思わないか? 例えばあの壁に絵画でも飾っておくと、店の雰囲気がぐっと良くなると思わないか? そうだ、ちょうどボクの店に伝説の絵師が描いた絵画があったな」
「ほほーう、それは興味深い。でも買いません」
「なんでだ? 時々額縁の中から這い出てくる八面六臂の亡者の絵だぞ」
経済的に困窮しているのか、目の前で必死に食い下がってくるお嬢さんに向かって首を横に振り、そんな如何わしい物は買わないと態度で示す。このお嬢さんは逢魔小路と呼ばれる中央通りから外れた裏通りで骨董品店を営む朱雀という方で、まだ若いながらも店を切り盛りしている姿勢には商人として尊敬を覚えますが、その実態はフェイレンという匪賊集団の龍頭のひとり。並の小悪党なら裸足で逃げる黒社会の大物だ。大物にしては商談の切り口は小物じみていますが、人間誰しも貧すれば鈍するもの。空腹と共に見栄と虚勢もこそげ落とされたのでしょう。
ちなみに先日も黄金髑髏なる多少価値のありそうな物を勧めてきましたが、私の店は高級志向の宝飾店、貴族の御婦人や官僚、上級役人が主な顧客。故に生半可な物は置きませんし、調度品のひとつひとつにまで徹底して拘っているのです。
黴臭い骨董品よりも煌びやかな宝飾品、時代は今、煌煌時代に突入しているのです! その時代の荒波を華麗に泳ぎ切り、こんな治安も品性欠け過ぎた廃界から成り上がり、いずれ帝都へと返り咲いて、宝石王に私はなるのですよ!
おっと失礼、思わず本音が口に出てしまうところでした。仰々しく広げた両手を羽根を閉じるように戻すと、朱雀は今度は奇妙な生き物の木彫り像を取り出して、机の上に鎮座させたのです。
熊にしては毛が無く、豚にしては鼻が短く、なんともいえない間抜けな顔をした、これまでに見たこともない生き物。きっとまた何処ぞの胡散臭い彫刻家だのが作った、いわくつきの呪いの籠った何かなのでしょうが、時代はそういうのじゃないんですよ。どうせ呪われているなら、金剛石の指輪でも出していただけないでしょうかねえ。
「なんですか、この奇妙で不細工な生き物は?」
「お前、河馬神様に向かってなんてことを」

【河馬神様】
大陸西部の今は亡き小国の土着信仰。その国は河馬という生き物を神として崇めており、河馬の王も信心深い民たちに慈愛を以って接していた。
しかし数百年の後、国が滅びる際に年老いた河馬の王は醜く穢れた人間の社会を見限り、自らの魂を木彫りの河馬の像へと封じてしまった。以来、数百年、河馬の王は持ち主の信仰心如何で幸運を授ける一方、背徳者や不心得者には天罰を与える獣神となり、今もなお人間の性根を測っている。
木彫りの河馬の像の所有者は週に一度、月の見える夜に大陸西部一部地域でしか取れないナマベッチョの実を乾燥させたものをお供えし、取り替える時は古い乾燥ナマベッチョを三叉路の中心に、誰にも見つからずに埋めなければならない。
ちなみに河馬神様は嫉妬深く、他の神や宗教に信仰心を抱いたり、自分を敬わない者に対して容赦しない性質で、黄金の牙を剥き出しにして制裁に赴くのだ。

「というわけで、この河馬神様は大変に恐ろしい神様なので、不細工とか決して言わないように」
「はっはっは、馬鹿馬鹿しい。そんな神が本当にいるのなら見てみたいですな。むしろそいつの持つ黄金の牙、それを加工して黄金の靴べらでも作って差し上げましょう」
朱雀は本気なのか、本気で揶揄っているのか、愕然とした表情を浮かべ、まるで故人を弔うように私に向かって手を合わせ、そのまま薄汚い裏路地にある店へと帰って行きました。その際、木彫りの河馬の像を置いたままにしていたのですが、こんなもの店の品位を落としてしまだけなので裏の倉庫に放り込んでおきました。

その日の夜、私が店の片づけをして売り上げを数え、子豚の丸焼きと火酒を口にし、程好く酔っぱらって布団の上に寝転んでいると、建て付けが余りよろしくないはずの横開きの扉がすーっと音も立てずに静かに開き、廊下の暗闇の中にぎょろりと黄金色のふたつの眼が浮かび上がっていたのです。驚いて目を凝らすと、だんだんとその生き物の輪郭が露わになってきて、全身は毛がほとんどなく皮膚の色は薄桃色。蒸し暑さのせいか紅色の汗を垂れ流し、口は顔を上下に分割できそうな程に大きく開き、武骨で鋭い牙は金塊のように輝いているのです。
それが朱雀の説明した河馬神様だと、すぐに解りました。何故なら自らの言葉で己が河馬神であることを名乗ったからです。
「我は河馬神である。貴様だな、我を信仰せぬ愚かな人間は」
ちなみに全体的に分厚い体躯に反して、声は蚊の鳴くように細く、裏声のように中途半端な聞き苦しい高さでした。
「貴様は人間は神への感謝が足りぬ。神とは河馬である、河馬とは神である。全は一、一は全。一は河馬であり、全は河馬である。この世で最も尊ぶべきは河馬であり、この世で唯一価値のあるものは河馬である。貴様も最も愛するものはなんだ? 親か? 女か? 神か? 欲か?」
「まぁ、金ですね……ぐあぁっ!」
河馬神は突然足首に噛みつき、そのまま風車のように高速で回転し、私の足首をずたずたに引き裂きながら食い千切ったのです。
私は遅れてやってきた痛みに耐えながら後ずさり、寝室を血に染めながら枕元に仕込んでおいた直刀を手に取って、河馬神に向けました。勿論そんなものでどうこう出来るとは思っていませんが、私もここまで一端の商人として生きてきたのです。無抵抗のまま嬲り殺されるつもりはありません。
しかし河馬神はそれ以上追撃してくることもなく、静かに音を立てずに扉を閉めて、その直後に何故さっき閉めたのか再び音を立てずに開き、暗闇の中にぎょろりとした黄金色の瞳を浮かべていたのです。

「何処まで逃げても無駄だ。例え地の果てまで逃げようと絶対に追い詰めて、足首から先を食い千切ってやる。河馬神の恐ろしさに震えて眠るがいい、我は必ず足首から先を食い千切る。明日も明後日もその次も、貴様は未来永劫、足首から先を食い千切られ続けるのだ」

そう告げて、河馬神は暗闇の中に溶けるように消え去り、廊下には私の千切られた足首から先がどういうわけか金箔を貼ったように加工されて、柑橘の絞り汁のように黄色い液体を垂れ流し続けて、同様に私の欠損した足首からも赤い血ではなく黄色い液体が流れ出ている様を見てしまったその瞬間、目の裏の辺りで脳が焼き切れたような音が爆ぜて、頭がおかしくなりそうに……。

……河馬河馬河馬河馬河馬河馬河馬河馬……血血血血血血血血、呪呪呪呪呪呪呪呪、狂狂狂狂狂狂狂狂……!

河馬河馬河馬河馬河馬河馬河馬河馬河馬河馬河馬河馬河馬河馬河馬河馬……!!

呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪呪!!

狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂狂!!

歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯!!!!



「歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯歯」
「あぁ?」
「牙牙牙牙牙牙牙牙牙牙牙牙牙牙牙牙」

数日ぶりに九鳥の店を訪れたら、特殊な性癖の強盗にでも襲われたのか両足の足首から先が欠損し、まったく会話が成立しない狂人と成り果てていた。眼球が飛び出るんじゃないかと見る側が不安になるくらい大きく目を見開き、左右の手に握り締めた高級そうな装飾だらけの杖を激しく動かし、出来の悪い絡繰人形のように歩き回りながら、意味不明な言葉ですらない音を発し続けている。
「おい、九鳥」
「河河河河河河河河河河河河河河河河」
返事はあるが疎通は取れない、ただの狂人のようだ。
「まあ、なんだ。やってるかどうか知らんが、変な薬も程々にな」
「馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬馬」

次に九鳥を見かけた時には、宝飾店は木彫りの河馬の像とナマベッチョの専門店となっていたが、商人がどんな商売をしようとそいつの自由だ。ボクの知ったことではない。


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