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波打ち際の人魚と暴れ止比乎と焼き魚~森ノ黒百舌鳥怪奇収集録~

「人魚だ! 人魚が獲れたぞ!」
そんな報せを聞いたからには居ても立っても居られない。ボクが廃界みたいな酷い町に腰を据えている理由は、この世のありとあらゆるものが流れ着くからだが、中には端から狙っているお宝もある。そのひとつが人魚の肉だ。廃界が杯海漁港という名で栄えていた頃から、この町では人魚伝説が語り継がれている。ひとりの漁師が人魚と恋に落ち結ばれるというものだが、そんな乙女趣味な内容はどうでもよくて、その漁師の男は人魚と結ばれた際にその肉を食ったのだという。人魚の寿命は長く、異種族と結ばれた際には自らの肉を食わせて命の時間を延ばす風習があり、伝説によると漁師は五百年も生きたのだとか。
俄かには信じ難い話だが、五百年は眉唾だとしても寿命を引き延ばす力はありそうだ。世の権力者が最期に抱く望みは長寿や不老不死と決まっている。大陸の大部分を支配する帝国の先帝が、不老不死を求めて辰砂から抽出した妙薬を飲んでいたというのは有名な話だ。一説には梅毒の治療の為にとも言われているが、糞を煮詰めたような悪党の分際で長生きしようとする生き意地汚さは実に悪党らしい。悪党などボクも含めて、役割を終えたらその時点で死んでしまうべきだが、世の悪党、特に権力を握った者は不思議と長く醜く生きようとする。そんな悪党共が求める人魚の肉を手に入れて、それを餌に皇帝に近づいて喉笛切り裂いて始末する。そういう皮肉めいた最期は、悪党の末路として最も相応しいとボクは考えるわけだ。
「それで、場所は? 人魚岬か? 海神洞か? それとも夫婦岩か?」
どれも人魚伝説に纏わる観光名所だ。廃界に訪れる観光客は半分は阿片や麻薬や人身売買が目的の糞で、残りの大半は怖いもの見たさの好事家や他の町では味わえない類の賭博や風俗を求める狂人だが、僅かに統制厳しい帝都や羽振りの良い商業都市では味わえない懐古趣味や人の手の離れた自然を求める変人たちも訪れる。ボクに言わせれば全員どうしようもない馬鹿共だが、観光という比較的健全な商売は廃界を支える収入源の一角で、ボクの営む森ノ黒百舌鳥も観光客が冷やかし程度には立ち寄ってくれる。まあ、大概は思っていたのと違う、といった顔をしながら去っていくが。
「ああ、網に引っ掛かってたんだよ」
「網に? その漁師は運を全部使い果たしたな」
伝えに来た沖中仕が言うには、今朝方早くに漁師の投げた網に絡まって、魚と一緒に引き揚げられたらしい。間抜けな人魚もいたものだが、人魚が間抜けだろうと鈍かろうとどうでもいい。そいつが人魚で、肉に寿命を延ばす効能があれば良いのだ。食べられるだけの家畜が賢かろうと間抜けだろうと関係ないのと同じで、肉に求めるのはあくまでも肉としての質だ。

【人魚】
海に棲まい時折陸に上がって人間と恋に落ちる伝説の生き物。優に数百年は生きる長命種であり、寿命の大部分の時間を全盛期の美しさを保った姿で過ごす為、幼児の人魚や年老いた人魚の目撃例は皆無に等しい。女しか産まれてこないのか、人魚の姿は必ずといっていい程、上半身は若く美しい女の姿をしており下半身は虹色に煌めく鱗に覆われた魚の半身となっている。
恋に落ちた異種族と添い遂げるために自らの肉の一部を食わせ、水の中でも長く生きられるように、寿命だけでなく種族としての性質そのものを書き換える力を持つとされる。

「……で、これが人魚、なのか?」
「そうだよ、こいつが網に引っ掛かっちまって、おかげで商売あがったりだ」
憤慨する漁師の足元では、なにをどうやったらこんなに状態に陥るのか、言葉では表し難い程に複雑怪奇な絡まり方をした投網に包まれた奇妙な生き物が、独特な鳴き声を発しながら打ち上げられた魚のように地を跳ねている。

【人魚?】
文字通り半分魚で半分人間のような生き物だ。人魚と呼んでも、あながち間違いではない。
魚をそのまま地面に立たせたような雑な姿で、顔はそのまま普通の魚、本来鰓がある部分で顔が九十度に曲がり、形だけ人間に近づけてみました感がある。二足歩行に対応した二股に別れた尾鰭で歩き回り、ぬるっと飛び出た鱗に覆われた腕と先端の大小の指のような二本の突起で物を掴める。
もしかしたら魚に憑りついた妖怪の類かもしれないが、専門家でも無ければ専門家そのものが存在しないため、実際のところはよく解らない。少なくとも伝説の人魚でないのだけは確かなようだ。

「朱雀さん、あんた怪奇とか変な生き物の専門家だろ? どうにかしてくれよ!」
漁師は勘違いしているが、ボクは確かに怪奇であれば生物でも取り扱うが、別に専門家ではない。少なくともこんな珍妙な、酔っ払いが悪ふざけで考えたような生き物は知らない。
「うおー! うおー!」
そして酔っ払いが悪ふざけで考えたような人魚かどうか定かでない生き物は、思いのほか鳴き声が大きく、耳をつんざくように喧しい。悪ふざけは見た目だけにして欲しいところだ。
「頼むよ、どうにかしてくれよ!」
「うおー!」
「頼むよ!」
「うおー!」
「頼むよ!」
「うおー!」
前門の虎後門の狼、もとい、眼前の猟師背後の人魚。人魚も五月蠅いが、漁師も荒々しい海の男の世界で生きているだけあって地声が大きく、挟まれると拷問のように頭が痛くなりそうだ。おまけに騒ぎを聞きつけて他の猟師や港湾関係者も集まって、まるで売れない見世物小屋が考えた奇妙な見世物のような状態になっているのだ。ボクは悪党だが見世物ではない。少なくとも見物客が出来るような立派な乳房や尻は持ち合わせていない。


「……で、連れて帰ったんすか?」
「仕方ないだろ! それともボクに見世物小屋をやれって言いたいのか!」
呆れたような、実際は嘴状の面のせいで表情は読めないが、とにかく呆れたような雰囲気を醸し出している店番の鴉爪に事情を説明しながら、ようやく絡まった網を解き終えて、人魚を自由の身にしてやる。しかし人魚はボクを舐めているのか侮っているのか余裕があるのか、要するに全部同じ意味だが、どういうわけか寝ころんだまま立ち上がろうとせず、店内で大の字になっている。
「気に入ったんすかね?」
「お前、人魚の考えてることが解るのか?」
「なんとなくっすけど、そんな感じするじゃないっすか」
ボクには全く解らないが、言われてみれば人魚は店を気に入ったように見え……いや、やはりさっぱり解らない。なんせ相手は魚だ。人間ならまだ表情を読み取れるが、魚はあくまでも魚、どれだけ観察しても一生理解出来そうにない。
「いや、全然わからんが……」
「うおっ、うおっ」
人魚がなにやら喚いているが、さっぱり解らない。いや、理解出来ないのはこの際どうだっていい。問題はこいつの肉を切り出したところで、奇妙な魚の切り身であって、伝説の人魚の肉と呼ぶには無理があることだ。皇帝に献上してやろうにも、こんな奇妙な生き物の肉、受け取った役人は不敬罪で処刑されるだろうし、肉もその場で野良犬か溝鼠の餌として放られるに違いない。罷り間違っても皇帝に直接献上して謁見を許される事態には結びつかない。もしかしたら伝説の人魚の肉と同じ効能があるのかもしれないが、それを検証する間に皇帝の寿命は尽きるだろうし、あんな極悪人に天寿を全うさせるなどボクが許さない。奴は惨めに苦しんで死ぬべきなのだ。
「よし、捨てるか」
「捨てるんすか?」
「うおーん」
鴉爪と人魚がほぼ同時に答えてくる。鴉爪は捨てるのに驚き、人魚は相変わらず何考えているのかわからないが鳴き声の種類を変えた。猫なら声色で何を訴えているか解るが、人魚が鳴き声を変えたところでだ。
「ほら、嫌がってるじゃないっすか」
「お前、人魚の考えてることが……」
「いや、そんな感じに鳴いてるじゃないっすか」
そんな感じと言われてもどんな感じだって話だが、鴉爪はボクより人魚の機微に敏いようだ。図体以外はなにひとつとして自分に及ばない、格下の有象無象のその他大勢の雑魚の稚魚みたいな奴だと思っていたが、人間ひとつやふたつは長所というものがあるらしい。今後はもっとこいつの長所を活かせるように、人魚専門の見世物小屋をやらせてみるのもいいかもしれない。
「よし、そいつの世話はお前に一任しよう」
「え? なんで俺が?」
「うちには朔がいるからな」
朔というのはボクの飼っている猫だ。猫という生き物は十中八九、九分九厘、総じて可愛い類のものしかいない完璧過ぎる生き物だが、朔はその中でも頂点に君臨する猫だ。その証拠に一対のふさふさな尻尾と鉤のように曲がった尻尾を生やしている。必ずしも尻尾の数が生物の優劣を決めるわけではないが、そもそも朔は優秀な猫なので猫の中でも一番であるに違いない。世界の序列はボク、朔、あとはその他だ。鴉爪や人魚などは下から数えた方が早いだろう。
そして魚という生き物は総じて猫の餌だ。魚によっては味の優劣や価値の上下は存在するが、猫の餌であることに変わりはなく、人魚といえど魚であるからには猫の餌だ。しかしこんな珍妙な生物を朔に食べさせるわけにはいかないので、我が家に連れて帰ることはできない。元よりそんなつもりはないが、連れて帰れないのなら捨てるか何処かで飼うしかない。しかし捨てるに関しては先程反対されたので、選択肢は飼うしか残されていないのだ。鴉爪は自ら墓穴を掘ったというやつだ。適当な新人が見つかったら、次は墓掘りをさせるのもいいかもしれない。
「うおー! うおー!」
「ほら、こいつも店主が良いって言ってるじゃないっすか。きっと助けたから親か何かだと思ってるんすよ」
「そんな馬鹿な話があるか、鳥じゃあるまいし」
「鳥かもしれないっすよ」
「鳥なわけないだろうが!」
馬鹿も休み休み言え。鳥というのは羽が生えて毛に包まれているのだ、こんな鱗に包まれた魚人間が鳥のはずが無いだろう。それともこの人魚は空を跳ぶとでも言うのか!

「うわっ、ほんとに飛んでるっすね!」
「ボクにはもう何が何だかだぞ! なんで魚が飛ぶんだ、おかしいだろ!」
そう、人魚は空を飛んだのだ。鱗に覆われた腕をばたばたと振り回して、どういう原理か何度見ても不明だが、とにかく空を飛んでいる。確かに止比乎などは水面から飛び出して滑空しなくも無いが、それは胸鰭が飛ぶのに適した形をしているからで原理が無いわけではない。しかし人魚は見るからに飛ぶのに不適切な腕をしているのに、風に乗って結構な時間と距離を飛べるのだ。
空を飛ぶ奇妙な魚、いや、もしかして鳥なのか。よくよく考えたら魚が陸上で呼吸しているのも不思議な話だ。鯨なんかは肺で呼吸をするそうだが、あれは鯨という生き物だからであって魚ではない、あくまで海に棲息している肺で呼吸する類の生物だ。しかし人魚は人魚とはいえ見るからに魚なので、陸上で呼吸するのはおかしい。伝説の人魚は上半身が人間なので呼吸も出来るだろうが、この人魚はどう見ても魚で、しかも鰓があるのだ。鰓があるのに肺で呼吸するわけが無いが、もしかしたら海の中で魚に混ざるための擬態で、実際は鳥なのかもしれない。いや、鳥が水中に居るのはそれはそれで変だろうが。
「仕方ない、捌いてみるか」
「え? 捌くんすか?」
「ボクも色んな怪奇に遭遇してきたが、こんな妙な生き物は初めてだ。今後の為にも知見を深めるのも悪くない」
その知見はおそらく一生役に立つことは無いだろうが、そもそも怪奇というものは悪用しない限りは役に立たないことが多い。ある意味で馬鹿や鋏と同じようなところがある、馬鹿と鋏を並べるのは鋏職人に失礼な話だが。袖内から掌に収まる大きさの鋏状の暗器を取り出す。鋏というのは武器としても意外と有効で、刺した直後に傷口周りを断つという第二撃を加えることが出来る。鉈や短刀は腕を押さえられてしまうと、皮膚は裂けても肉を断つことは出来ないが、鋏は指を押さえられない限りは肉も断てる。腕と指、どちらが掴むのが難しいのなど、わざわざ明言するまでも無い。携帯性や隠密性も含めて、鋏というものは中々に良く出来た道具で立派な暗器だ。
「うおおー!」
ボクらの前に降り立った人魚は鋏を見た瞬間に何かを察したのか、一際大きい鳴き声を発して空の彼方へと飛んで行ってしまった。何度見ても奇妙な跳び方だ。足代わりの尾鰭を弾ませると同時に地面と垂直に跳び上がり、そのまま斜め方向へと突進するように空に舞い上がり、両腕を振り回して滑空する。あの人魚に対して唯一興味を抱けるのはこの飛び方の一点のみだが、逃げ出す時はさらに奇妙で、途中から両腕を折り畳んで体側に密着させ、空気抵抗を減らした形で弾丸のように飛ぶようだ。
「ほら、逃げちゃったじゃないっすか!」
「なんだと! ボクのせいだと言いたいのか! あんな飛び方されたら、ちょっと調べてみようって気にもなるだろ!」
批難めいた言葉を投げてくる鴉爪に言い返していると、人魚の飛んで行った方向では海に着水すると同時に巨大な爆発のような飛沫が上がり、否、事実爆発が発生して光と熱を帯びた衝撃波が四方八方に拡散し、海岸から離れた場所にあるボクの店の前まで生温かい風となって届いたのだ。ついでに焼け焦げた魚が数尾、ボクの目の前に落ちてきたのだが、おそらく先程の爆発で瞬時に焼け焦げながら吹き飛ばされたに違いない。
「もしかして、礼のつもりなんすかね?」
「なんのだよ?」
「網を解いてやったじゃないっすか」
動物報恩譚は幾つもあるが、中にはこういうものもあるのか。だとしたら、この魚を食えば何か御利益的な効能があるのだろうか。例えば寿命が延びるとか病気が治るとか、或いは水の中で呼吸できるようになるとか。
「おい、鴉爪。折角だから食ってみろ」
「え? 地面に落ちたっすよ」
「それくらい払えば平気だろ。ほら」
焼き魚に付いた砂を叩いて払い、鴉爪に渡す。ボクは病気でも無ければ長寿も不要だが、鴉爪は隠した顔に病を患っている。病というか呪いの類で、ある悪女に憑りついていた人面瘡が貼りついているのだ。もしかしたら治る可能性もあるかもしれないし、治らずとも別の効能があれば良し。それに朔がこの辺りに散歩に出向いて、食べてしまうと少々困る。変な病気にでも罹ったら大変だ。その点、鴉爪なら病気になろうが最悪死んでしまっても何ら問題ない。こいつも所詮は悪党で掃いて捨てるような命だ、当然ボクも似たようなものだが。
「……さてと、仕事に戻るか」
どうせ礼なら金銀財宝でして欲しかったが、魚に贅沢言っても仕方ないだろう。魚は魚の価値で生きている、食い物以外を望むのは人間の浅ましくも醜いところだ。そんな悪い生き物は、それこそ役割終えずとも速やかに死ぬべきだろう。


ちなみに鴉爪だが腹でも壊したのか翌日まで便所を占拠して、仕事にならないので店を閉めて、そのまま便所に閉じ込めておいた。
やはり得体の知れないものは食べるべきではないし、人魚の礼など信用してはならないと記しておくことにする。

【人魚?】
文字通り半分魚で半分人間のような生き物だ。人魚と呼んでも、あながち間違いではない。
魚をそのまま地面に立たせたような雑な姿で、顔はそのまま普通の魚、本来鰓がある部分で顔が九十度に曲がり、形だけ人間に近づけてみました感がある。二足歩行に対応した二股に別れた尾鰭で歩き回り、ぬるっと飛び出た鱗に覆われた腕と先端の大小の指のような二本の突起で物を掴める。
もしかしたら魚に憑りついた妖怪の類かもしれないが、専門家でも無ければ専門家そのものが存在しないため、実際のところはよく解らない。少なくとも伝説の人魚でないのだけは確かなようだ。
言葉は喋れないようで、「うおー」といった独特な鳴き声を発し、表情から読み取れる情報は皆無に等しい。
魚でありながら陸上で呼吸し、空中を弾丸のように飛ぶことも出来る。さらに着水すると同時に爆発を引き起こし、その破壊力は下手な攻城兵器や火器を遥かに凌ぐ恐るべきものがある。
なお礼として焼き魚を渡してくることがあるが、腹を壊すので決して食べてはならない。


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