サザンの夏フェスと青春の終わり
ROCK IN JAPAN FES.(以下RIJF)が5年ぶりにひたちなかに帰ってきました。
コロナの混迷を機にひたちなかでのRIJF続行を断念したロッキンオンはJAPAN JAMを開催してきた蘇我にRIJFを移転。但し今後も機会があればひたちなかでの復活も含みを残してきていました。
RIJFが去った後のひたちなかは、地元茨城のラジオ局LuckyFMのオーナー堀義人氏が「茨城のフェス文化の火を消さない」と立ち上がり、わずか半年で開催に漕ぎ着けた「LuckyFes」が今年まで3年連続開催。
LuckyFesは当初からロッキンオンとの友好関係を築いているようで、今回のひたちなか復帰に際してはお互い感謝と歓迎のコメントを出しています。
RIJFは今年25年ということで、周年記念と銘打ってのひたちなか復帰となりましたが、蘇我での開催も続行、時期を1か月ずらしてステージはグラスのみと、なかなかイレギュラーな構成に。
となると、ラインナップに期待が高まるのは当然のこと。我らがももいろクローバーZさんは早々に第1弾で呼ばれたので迷うことなくチケットを申し込んだのですが、その数日後。
極めて異例ながら第一弾の追加アーティストが発表されます。
コールされたのは、サザンオールスターズ。
なんですと?
サザンがRIJFに?
確か2018年ぶりでは?
しかも最終日(ももクロちゃんと同日)!
ここで更に世間を揺るがすアナウンスが出ます。
今回のRIJFをもってサザンが夏フェスを引退するというのです。
これでチケットが一気に争奪戦の様相となります。RIJFは転売対策が徹底しており、同行者も申込時に確定し相互申込が出来ない仕組みなので、複数申込で当選確率を上げるカラクリは使えません。
運だけが頼りのチケット申込はいつ以来だろうか。万単位のキャパで落選を覚悟しなくてはいけないのもなかなか痺れる。
そして当落発表日。
何が幸いしたのか普段の行いが良かったのか全然わからないのですが、なんと当選!
最終日のチケットは第一次だけで完売してしまうことに。なんとおそるべし。
それにしても、ももクロちゃんを応援するようになってから、今まで生で拝見する機会などでさ絶対になかったアーティストさんたちを随分たくさん拝見してきたものです。
そんな中で、遂にサザンまで辿り着くことになるとは。
思い起こすと昭和の中学生時代。当時はレンタルレコードという業態がやっと世の中に生まれてきた直後ぐらいで、新しい音楽、未知の分野を開拓する窓口は本当に限られていました。
一番大きくて影響力の強いメディアはテレビで、各局が競って送り出す音楽番組を逐一チェックしてアイドルから大物歌手まであらゆるジャンルを見入っていたものです。
テレビよりも身近で若者に特化したメディアがラジオで、関東ローカルではTBS、文化放送、ニッポン放送のAM3局が中高生ターゲットの帯番組を早い時間帯から並べて、あのアイドルやあのミュージシャンがお便りを通じてリスナーと1対1で接するという空気感がたまらなかったものです。
なおFMラジオはNHK FMとJFNネット局が大都市に散在しているだけで、県域FM局が広まるのは平成になってしばらくしてからです。
そんな昭和の音楽環境で、サザンオールスターズのキワモノ感と音楽性のバランスがメディアにウケていたのか、とにかくあちこちに引っ張りだこな状況でした。
もちろんその頃には「チャコの海岸物語」をはじめ数々のヒット曲を擁するビッグアーティストだったわけですが、特段ファンというわけではないもののサザンの曲はやたらと耳に入ってくる機会が多くて自然と口ずさめるレベルになっていたのです。
個人的には原由子さんがパーソナリティを務めるラジオ番組を文化放送で偶然拝聴していたので、サザンの楽曲をその番組内で当然ながらたくさん聞く機会があったことも大きかったと思います。
そんな緩い距離感で中高が過ぎ、1990年に一つのターニングポイントが巡ってきます。
この年、桑田佳祐さん監督の「稲村ジェーン」が公開されます。
音楽ももちろん桑田さん本人が担当。1960年代の稲村ヶ崎を舞台に、青春を持て余す若者たちの葛藤を淡々と、美しい映像と音楽で描写する不思議な作品でした。
映画本体の評価はまちまちで、決して大絶賛を得たものではなかったと記憶してます。自分の感想も概ね「映像と音楽はすごく好きだけどストーリーはよく分からん」というものでした。
その稲村ジェーンの挿入歌として世に出たのが「希望の轍」です。
主題歌「真夏の果実」は稲村ジェーンらしさを強く映した曲だったかも知れません。それに対して象徴的なピアノから始まり車で聴くのにちょうどハマるBPMの「希望の轍」は、映画の挿入歌に留まらずいつしかサザンの定番曲の地位を得ていました。
御多分に洩れず、自分も車を運転するようになってからは夏のプレイリスト(当時はプレイリストという概念はなく、自分で編集したカセットテープでした)には必ず入っていたものです。
実は現在こそサザンの代表曲となった希望の轍ですが、オリジナル音源は「稲村オーケストラ」名義でリリースされ、桑田さん以外サザンのメンバーは参加していなかったということは意外と知られていないようです。自分も最近まで忘れてました…。あの魂を震わすピアノのイントロは後にMr.Childrenを手掛ける小林武史氏によるものです。
9月21日のTOKYO FM「桑田佳祐のやさしい夜遊び」でRIJF直前のお話をたくさん聞けました。
全曲カバーです、最新曲もやりません、と桑田さんらしい煙に巻くトークでしたが、みんな知ってる曲から最近の曲までがっつり網羅することになるのでしょう。
何しろ持ち時間90分。他の日より出演者を1組減らしてその分をサザンに充てたのですから、運営側の意気込みも凄いです。桑田さんはラジオの中で「前回(2018年)のRIJF出演直後から、来年も空けときますから!と渋谷陽一さんから連絡が入ってた」と明かしています。渋谷さんは残念ながら健康上の理由で第一線を退きましたが、その強い意志を継いで今回の出演に至ったのだと思います。
残念ながら相変わらず薄いファンのまま今日まで来てしまったので、手持ちの音源は2000年以前のものばかり(サブスクやってません)。
振り返ってみれば、若さと勢いで乗り切ってきたあの頃こそ青春だったのかもしれない、と突然気がついてしまいました。
いつかライブで会いたいとは思ってたけどあと一歩踏み出せず、微妙な距離感のまま今日まで来たサザンを遂に拝見する日が来る。
青春というぼんやりした概念に終止符を打つ日に。
当日のまとめは↓こちら(長いです)
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