36年越しのビューティフルドリーマー
本広克行監督の最新作「ビューティフルドリーマー」を観てきた話をします。ネタバレとおっさんの思い出話、ご容赦ください。
ご存知の方も多いと思うが、本広克行監督の原点とも言うべき作品が1984年公開の押井守監督作品「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」(以下「うる星2」)。この作品が映像作家界隈に与えた影響は計り知れず、オマージュやインスパイア作品は数多く世に出ている。
自分自身もほぼ公開時にリアルタイムで鑑賞し、衝撃的なストーリーと卓越した映像表現に完全にノックアウトされ、人生観すら変える作品になった。
余談だが、1984年という年は2月に「うる星2」、3月に「風の谷のナウシカ」、7月に「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」が相次いで公開されるというとんでもない年で、リアルタイムでこのムーブメントを経験できたことは代えがたい幸せだったのかもしれない。
本広監督は自分よりちょっと上の世代のはずだが、多感な学生期にこの作品に出会ったことが本広作品に与えたものの大きさを今でも見てとることができる。
本広監督はいろんな場所でうる星2と押井監督への愛の深さを説いている。
参考「僕が愛する押井守-本広克行」(16年ぐらい前の記事なので踊るTHE MOVIE2のちょい後ぐらいです、悪しからず)
そんな本広監督が、公開から36年を経て遂に「ビューティフル・ドリーマー」と名のつく作品を撮ったという。
これは期待しないわけにはいかない。
否、期待と不安ともに我にあり。
本広監督が撮るビューティフル・ドリーマーを思うだけで目眩にも似た感動を禁じ得ない。
(友引前史より抜粋)
要するに居ても立ってもいられない状態である。
映画を観る前にこんな錯乱状態になったのは、そう、同じく本広監督の「幕が上がる」初見前以来かもしれない。
今回のビューティフルドリーマーは現代へのATG再興を目論んで立ち上げたプロジェクト「シネマラボ」の第1回作品。限られた予算で監督の作家性に大きく依存する作品を狙っているとのこと。
(なお、シネマラボには「カメラを止めるな!」の上田慎一郎監督も参加していて、既に制作も始まっているとのことで楽しみ。)
もともと押井監督による「夢みる人」という原案があり、これを映像化したのが本作になるのだが、原案からは設定も大きく書き替えられている。原案では軽音楽サークルが舞台だったのだが、本広監督の手により舞台は映画研究会へ。これが絶妙にハマっていた。
出だしは学園祭前日の喧騒から。
もう最初から「うる星2」である。
本広監督作品でずっと聴き続けていたあの初っ端のサイレンの音が、ついに里帰りした。これが見たかったんですよ監督。
菅野祐悟さんによるオマージュ感あふれる劇伴も冴え渡っていて、開始早々からニヤニヤと鳥肌が止まらない。
映画研究会の部室。めちゃくちゃ既視感あるんですけど。ここって自分が学生時代に過ごしたサークル室とほんとによく似ている。映像系サークルって今も昔もこんな感じなのか。
そこに集まるのはクセの強い部員たち。映研なのに映画を撮らずだらだらしているのも面白い。
部室の片隅に放置された台本「夢みる人」と撮りかけのフィルム。学生で16mm撮るって相当金持ちじゃん。あ、舞台は芸術系大学だからあり得るのか。
そして現れる、斎藤工さん演じる伝説のセンパイ。たわばさんか鳥坂さんか!?うちのサークルだったらあのセンパイ一択だな。とフィクションとリアルが瞬時にリンクしていくのが心地良い。それにしても胡散臭い伝説のセンパイ役がこれほどハマるとは、斎藤工の凄さを改めて実感する。
この台本を撮ると度々不吉なことが起きてお蔵入りしてきたとセンパイは言うが、監督はノリノリで撮ろうと言いだす。そう、この監督の勢いが肝心。学生時代に自分が関わってきた数本の自主製作映画も、全て監督の勢いと謎のリーダーシップに支えられて撮ってきた、或いは勢いが続かずお蔵入りしてきたのだった。
本編はリアリティとかをあまり求めず、これまた勢いとノリで進んでいく。
リアリティを言い出したら、そもそも学生の自主製作映画にガチの有名俳優さん達がどうやって繋がるのよ、という時点で破綻してしまう。しかしそんなことはどうでも良くて、秋元才加さんは完全にサクラ先生だったし、升毅さんは完全に校長だった。校長の長台詞も独自にアレンジして(むしろ本家よりかなり長い)分かってるなあ、と感心する。
そもそも、秋元才加さん演じるアキモトサヤカさんにオーディションで課すセリフが「世迷い事もいい加減にせい!」なのだから言わずもがな、なのである。うる星2の象徴的なシーン、サクラさんと温泉マークが喫茶店で語る場面での名台詞だが、ちゃんとそのシーンは本編で再現している。あのカメラぐるぐるを実写でやるのは相当難しいと思うのだが、何となく出来ているように見せるのがすごい。
ほかにも「うる星2」を彷彿とさせる、否、ほぼ完コピと言うべきシーンが目白押しなので、これは「うる星2」未見の観客には相当厳しいのだろうと思う。
これから本作「ビューティフルドリーマー」を観ようとする方には、是非「うる星2」を一度観ておくことをかなり強くお勧めしたい。
そんなこんなで「うる星2」のような作品「夢みる人」は撮り進められていくのだが、これまた学生の自主製作にありがちなトラブル(余計なものを買いすぎて予算が続かない、キャストが間に合わないからスタッフが急遽出演する)などを経て、物語最大の危機を迎える。果たして「夢みる人」は撮り終えるのか。
というのが大筋のおはなし。
随所にうる星2をオマージュするシーンがあって、それを全部羅列するのは野暮なのでここでは割愛する。
そんな中で特に重要なオマージュが「うる星2」序盤の給湯室のシーン。
ラムとしのぶが給湯室に行くとサクラさんがいて、女子高生あるある的なトークを展開してサクラさんが薮蛇をつつく、というシーンなのだが、ここには3段階ぐらいの階層で考えさせるものがあった。
まず「うる星2」のシーンを完コピしていること。これはここに限ったことではないが、とにかくディテールが緻密。
そして2つめに、サクラさんが「まったく近頃の若いものは!」とたしなめる脚本は既に36年前のそれであるということ。36年という歳月を感じさせない普遍的な何かがあるのだろうか。
3つめ。しのぶの長台詞。
「なんであたしが残ってるって?それはね、ある人がある人を気にして残ってるから、あたしとしてはそのある人が気になるから残ってるわけ。でもある人が気にしてるある人は、その事にまったく気がついてないわけ。」
記憶だけで書いてるから完璧に正確ではないが、たぶんこんな感じだと思う。
このやり取りが全くもって大学サークルあるあるで、自分もそんな甘酸っぱい記憶が脳裏をよぎったりするのだが、それを作中でもちゃんと反映させてくれていたのだ。
鈍感な恋敵や微妙な三角関係、何か起きそうで何も起きなかったサークルでの人間関係。そんな諸々が見事に詰められていて、これはあの頃の自分への回顧なのでは、とさえ思えた。
同じ気持ちになった作品があったのを思い出した。ホイチョイ3部作の3作目、「波の数だけ抱きしめて」だ。ちょっと上の世代のお話ながら、何かが起きそうで結局何も起きなかった夏の思い出がまるで自分の出来事のように思えてしまう。そんな不思議な共有感が「ビューティフルドリーマー」にも確かにあった。
もうひとつ、ストーリーに絡む重要なオマージュがあった。
うる星2のクライマックスシーン、麦わら帽子の少女が言う
「責任とってね」
のセリフ。
うる星2のこのセリフは、混迷を極めた夢の世界の幕引きをあたるに迫るセリフと解釈していたが、本作ではどうだろうか。
大きなアクシデントに見舞われ、空中分解状態になってしまった映画研究会と「夢みる人」。しかしそもそも撮り始めたのは、監督の強い勢いからだったことをもう一度思い出させて、言い出しっぺである監督に「責任とってね」と迫るのである。このドタバタながらも愛おしい撮影現場をもう一度束ねなおし、ちゃんと収束させるのは監督において他はなかった。
うる星2に敬意を払いつつ本作のクライマックスに相応しいセリフに落とし込む力量には、驚くしかなかった。
そんな感じで「うる星2」のオマージュは緻密にコピーされているが、実は劇中劇以外の部分はほとんどエチュード(即興劇)で回しているのも本作の魅力のひとつ。
本広監督が信奉する平田オリザ氏の「現代口語演劇」を本広監督の解釈で映像作品に落とし込んだのだろうか。
セリフ回しはセリフくささが無くて、本当にナチュラルでリアルな会話から物語が転がっていく。会話のようなセリフは聞き漏らしたり聞き間違えるという心配もあるが、そこはニュアンスでカバーできるから良いという割り切りなのかもしれない。
前も触れた通り、本広監督はうる星2に多大なる影響を受けて映像の世界を生きてきたという。そんな本広監督のうる星2への思いの丈がこれでもか、という程にぎゅうぎゅうに詰め込んだ作品と見受けた。
そして「シネマラボ」のコンセプト、監督の作家性を強く反映したラインナップを目指すという視点からも、今作はまさにそのど真ん中を行く作品になっているのだろう。
商業的な成功はたぶんあまり眼中になく、監督が自分の撮りたい映画を(あまりお金をかけず)撮りたいように撮ったらこうなりました、という割り切りが潔いと思う。
たぶんハマる人には物凄くハマるけど、そうでない人にはさっぱり引っかからない作品。
ここまで駄文を連ねてきた通り、自分にはめちゃくちゃハマりまくった。36年越しのうる星2実写化、本当にありがとうございました。
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