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コンセプト「俳人」を分解してみる

ファッションの自問自答をしていて、コンセプトに「俳人」と入れていたことが多かったので、今回は私の考える「俳人」について書いてみる。

「俳人」というとどんなイメージがあるだろうか。
松尾芭蕉?正岡子規?プレバト?

私の出会った「俳人」たちは、自由でパワフル、いつまでも子供の心で、酒を飲み、ツイ廃も驚く量を呟いて(句作して)いる、だった。


俳句の雑誌で見たような記憶があるのだが、「俳人」の平均年齢は70代だそうだ。

私が最初に所属させていただいた俳句の結社(『結社』という響き良いですよねフフフ)の先生は、90代半ば。30代半ばで始めた私と60歳差だった。アラ…百…?そして平均年齢70代と言われる通り、50代で若いわね〜で、30代なんて赤子みたいなもんなのである。

20代を終える頃の私は不安しか無かった。30代になったら自分の価値は大きく下がってしまうのかもしれない、それ以降なんて考えたくもない、20代が終わったらもういっそ終われたらいいのに、とか。

ところが、30を越した途端に気持ちが楽になった。開き直ってきたというか、別に20代が終わっても世界が急に変わる訳でもない。なーんだ、みたいな。ただ、漠然とした不安は残っていて、「ちゃんとした大人にならなくては」と考えたりしていた。

俳句に出会ったのは30代半ば。きっかけは色々だったと思う。プレバトや小説、漫画など。小説や漫画で読んだ、昔の俳人たちの関係性が面白くて、俳句を始めてみようかなと思った。

最初は通信講座とか?と思ったけれど、ひと昔前の気になる俳人が出てきて、その方の流れを汲む所でスタートしたい!と思い、連絡先を調べ(あまり全国的に公開していない結社だったため)、恐る恐る電話をかけた。相手は驚いていたが、快く迎え入れてくれた。それから毎月俳句を作って送って(投句という)、約半年後には句会(皆で集まって作った俳句を発表して選んだりする)に参加した。

それまであまり一人旅をしたことが無かったので、すごくドキドキしつつ、新幹線なども使い、片道5時間の旅。

会場となるホテルはその土地でも古くからある伝統的で重厚感のある所。「俳人」とはどんな人たちなのだろう?とドキドキしながら扉を潜った。

平均年齢70代という通り、いわゆる「高齢者」が多かった。「若者」は私と学生さんがひとり。

けれど皆さんイキイキしていて、はじめましての私に親切に声をかけて下さり(句会も初めてだった)、けれどプライベートにズカズカ踏み込んでくる訳でもない。何故なら皆、句を作るのに夢中だから。句会というのは、あらかじめ作ってきた句を発表するだけなのかな?と思っていたら、ギリギリもギリギリまで皆作っているのだ(これは実際色んなパターンがあるそうです)。ホテルに来るまでの出来事、会場に飾ってあるもの、窓から見える景色、先生の元気そうな様子、久しぶりに会えて嬉しいわ〜と話している内容まで句になっていた。

句会の面白い所は、最初は誰が作ったのか分からないことである。先生なのか、ベテランなのか、初心者なのか。女なのか、男なのか。偉い人、有名人、お金持ち、美人、若い人…名前を書かないし、筆跡もバラバラになるような工夫がされるので、基本的に全然分からない。

その時は約50人が参加していたので、50人×5句の250句に目を通し、好きな5句を選び、それを担当の人が読み上げ(また50人×5句なので250句読まれる)、自分の句が読まれたら名乗る(披講)。そこでようやく作者名が分かるのだ。

これを2時間くらいでやる。相当集中力が要る。他者からどう思われているかなんて気にしている余裕はないのだ。

無事に句会が終わり、懇親会。ここでも基本的に皆、俳句の話ばかりしている。結婚しないの?子供は作らないの?そういう問いは無かったように記憶している。どうしてこの俳人が好きなの?いつから句を作り始めたの?いつもはどこで句を作っているの?今度はこっちの句会にも来てちょうだいよ…なんか…なんかこの安心感…オタクとの会話…?

そして二次会。そこで事件は起こった。同じホテルのカフェで、女性の俳人数名(皆さん70代前後と思われる)とお茶をすることになったのだ。楽しくも和やかに時間は過ぎ…とは行かなかった。先生の身の回りを世話している方ひとりがなかなか来ない。用事が終わらないのかな?電話も出ないわね~、大丈夫かしら?と、どんどん時間は過ぎ、とうとう終電近くなってしまった。私は同じホテルに泊まる予定だったが、他の方は電車で帰るとのことで(泊まらずに2〜3時間かけて帰るわよ!っていうのもパワフルだと思った)、とうとう来なかった方の事をカフェに言伝をして私も部屋に戻ろうとした。

ハッ…

名前…分から〜〜〜んwwwwww(思わず生える草)

えー…毎月の俳誌(皆で作った句を先生が選んで載せてくれる本)を見ているから、名字は知っている。本名の人も居るが、その方も私も俳号(俳句を作る時のペンネーム)だったのだ。名前、お互いに知らねえ〜〜〜〜〜(内心爆笑)

しかも実際に会ったの、今日初めてなんだが!?!!?

なんか…オフ会でハンドルネームは知ってるけど本名知らないっていうアレ?!

かろうじて知っていた名字と性別(女性)や年代(たぶん70代)、外見の特徴を伝えて部屋に戻ろうとした時、その方がべろべろに酔っ払った状態でようやく現れたのだった。
大学のサークルか!?

今でも思い出して面白いなあと思うのが、その出来事に対して、不快感を持たなかった事だ。その方とのやり取り、その場の空気、色々要因はあると思うけれど、何より「そんな年齢になっても、こんなに自由(フリーダム)でいいんだ??!!?」みたいな衝撃(笑撃)があったからだ。

20代が終わったらもう終わりかも、せめてちゃんとした大人にならなくては、という雁字搦めの思い込みがガラガラと崩れ、「お、おもしろすぎる〜〜〜!!!」の言葉しか頭に残らなかった。後日その方に謝られたけれど、めっちゃ面白かったのでいいです!と伝えて2人で爆笑しました(会ったの2度目)。

このゆるさ、最高

この時間の流れ、最高

そういえば、この俳句結社の時間の流れはゆるやかだった。事務所に電話も一応あるが、あまり出ない。FAX、無い。メール、無い。なので基本は手紙でのやり取りとなる。
俳句を送って俳誌に載るのは3〜4ヶ月後である。
忘れた頃に返事が届き、忘れた頃に自分の句が載る。
携帯電話、メール、SNS…常に誰かと繋がっていて、すぐに反応があって、すぐに返事をする…そんな早い時間の感覚で生きるのに慣れつつも疲れを感じていた時だったので、その時間の流れが面白くもあり、心地よかったのだ。


その後も何度か吟行や句会に参加をした。その度にパワフルで楽しい俳人たちに出会った。

始発で数時間かけて東京から来て、午前中に山や海や寺社などで吟行(ぶらぶらしながら俳句を作ること)、お昼は行きつけのラーメン屋で句を考えながら味噌ラーメンをすすり、午後に句会。夕方解散。反省会と称してラーメン屋に戻って飲み会。「このために句会に来てる〜!」とビールをジョッキで数杯飲み干し(それでも前より量が減ったらしい)、「帰りの電車の時刻だから、じゃね!」と言って数時間かけて帰る…というのを月イチで50年近く続けているアラ80の女性の方。つよい。そしてとても素敵な句を作る。好きだ。超〜尊敬〜!!

離島からひとりで来ていた女性の方(70後半〜80代と思われる)は、始発の船と新幹線を乗り継ぎ、句会の前日にほぼ1日かけて会場へ。去年は脚の手術をして来れなかったので、今年はどうしても来たかったのだという。
句会当日は午前中に吟行、お昼はホテルで皆で句を作りながら食事(数十人いる広い宴会場で、皆句を作るのに集中しがちなので、だいぶ静かな不思議な空間)、午後から句会、懇親会。翌日は朝ごはんも食べずに始発で帰るという。
つよい。つよすぎる。私、数十年後、そうなれるかな?!


そして「俳句」というと、花や鳥や、なんか季節の風流なものを優雅に詠んでいるようなイメージもあるかも?しれないが、吟行では、おたまじゃくしをつついて追いかけたり、ぺんぺん草で遊んだり、小学生かな?!みたいな事を皆でしながら、しっかりと素敵な句を皆さん作っているのだ。
大人になるにつれて「そんな子供っぽいこと…」とやめていった行動が『俳句を作っていますので…』となると、なんか違ってみえる感じ。
先生がひとり遠くまで行って帰って来ないと、先生遅いわねえ…大丈夫かしら…と言いつつ、先生がなかなか帰って来なくて心配した事を句にしている。
遠くまで行って集合時間に遅れた先生も、遅れた事を句にしている。
トラブルも何でも、とにかくなんでも句にしているのだ。

ツイッターで呟きまくる人の事を「ツイ廃」と言ったものだが、「俳人」の方も本当に何でも句にしている。句会や俳誌で発表する、何倍、何十倍も、とにかく何でもいいから句にするんだよと。

雨が降ったら雨の句、会えなかったら会えなかった句、病気をしたら病床の句…

吟行の日に雨が降った時、天候に左右されて花が散ってしまっていた時、誰かと会えなかった時、俳人以外の人とは「雨で残念ねえ」「もう花が散っていて残念ねえ」という会話が出る事がある。

俳人は、雨の句が詠める!やった!花が散っている事を詠める!やった!なのである。ある意味、毎日毎時脳内がハッピーなのである。

会えなかった事は残念ねえと詠む。だれかが残念ねえと言っていたことすら詠む。気がつけば自分自身も題材にされている。(ちなみに着物を着てくる人は少ない。ほぼ洋服。着物を着ていくと喜ばれる。題材にできる!と思われているのかもしれない)

人生で大変な事があったらそれもそれでネタになるのだ。

今は仕事や家族の事が大変で句がなかなか作れない…と言ったら、それを句にするのよ〜!と返された。たくましい。
今すぐは無理でも、今の体験がいつか句になったらいいな。


コンセプトを考えるにあたって、最近は「俳人」をあえて外している。もう少し具体的に書けないかな?と考えていたのだが、「自由で、身軽で、パワフル」と言い換えられるかもしれない。


最初に師事をした先生は100歳を機に俳誌を終刊とした。
その歳になるまで、私はあと60年ある。60年というと長く感じるけれど、7月分の投句はあと60回しか出来ないと思うと短い気もする。
これから年齢を重ねていくと、身体の自由も効かなくなるだろうし、元気も無くなり、考え方も凝り固まってくるかもしれない。
だからこそ、その時の自分にとって心地よいくらいの「自由で、身軽で、パワフル」でいたいなと思う。