自己紹介日記
はじめまして。
「まめつぶ」と申します。
著者の中身解剖
✎ 名前の由来
某所にて「おジャ魔女ど○み」に登場する「マ○ョリカ」というキャラクターの仮の姿について言及し「豆」と発言してしまったのが発端。
のちに「お○ャ魔女のマメ」というハッシュタグまで生んでしまうという何とも言えない事態に。
(今となっては「まめ」がアイデンティティになりつつあるのもヤバイ)
しかしここで「ジャックと豆の木」というお話が好きだったということも思い出し、豆のフラグを回収してしまう生粋の豆だったことが発覚。
(でもそろそろ「まめ」脱却したい)
(いい名前ないですかね)
✎ 基本説明書
✎ 生態系
20年弱兵庫県神戸市民
仕事で約4年大阪市民
結婚で兵庫県尼崎市民
移動に便利な地域で暮らしてた割には、自分のテリトリー外からあんまり出たくないタイプゆえに、基本は遠出しないので旅行とは無縁の人。
慣れた所でぬくぬくほかほか。
一人暮らしをスタートしてからは関西圏内を観光したり、一時期ほいほい名古屋旅したり少しづつ手を広げ…
結婚してからは夫の実家である広島県にある因島へ行きつつ、広島市内まで野球観戦やら愛媛温泉旅やら…
あと新婚旅行だったのかは不明だが島根県も満喫。
極めつけは義姉の結婚式で沖縄県まで、とうとう飛行機で移動までしてしまうという引きこもり卒業を成し遂げる。
経歴
✎ 職歴
✎ ライフスタイル年表
病気と仕事と人生
✎ 病気
経歴でも触れた通り、緊急手術の後遺症で医療現場を完全卒業。
ちなみに原因だった卵巣嚢腫、実は把握していて。
23歳の時に腹痛で内科受診し、MRI結果から産婦人科診察で卵巣嚢腫の診断を受けた。
(でも右側だけだった&経過観察で自然消滅)
ちょくちょく痛かったことはあったが卵巣は異常なし、ただの便秘だった。
倒れた年の2月ごろ何となく産婦人科を受診した。
まぁ今思えば婚約したし、診断を受けた時に妊活の際は一旦相談してねと言われていたから将来を意識したかもしれない。
ただここで問題発生。
・婦人科系臓器は腸の近くに存在
・酷い便秘
・便秘腸のせいで卵巣の状態が診れない
当然、便秘解消してから再診が理想で酸化Mgを貰って帰るのみ。
変なところ生真面目ゆえに便秘解消と仕事の休みが重ならない限りは通院しなかった。
(まあ診断できないのに行ってもね…)
そうしてると悲しいことに多忙になるわけで。
プロポーズされると結婚に向けての準備に本格的に動く。
顔合わせ・引越し先の物件探し・断捨離と希望休と有給を駆使。
物件決めて引越しという時にうちの祖母他界し、それどころじゃないのに無理やり同時進行で動く…
っていうか喪中じゃん結婚ダメじゃんと思ったら、夫候補がうちの親戚に気に入られた&あらゆる物事が決定していたから結婚中止することないよ!ということで結婚あっさり歓迎。
順調に事は進み、入籍・名義変更と多忙ラストスパート走ってたら再診より先にわたしがぶっ倒れるという結果に。
後ほど調べて分かった自覚症状を掲載
(女性陣ご参考までに)
・性行為中の出血
・性行為後の痛み
・日常生活中の下腹部痛と腫れ
・吐き気
わたしの場合なので鵜呑みにはしないでもらいたいという前提だが、下腹部痛は倒れる1~2週間前から気になるくらい酷くなっていたという風に記憶している。
しかし仕事の忙しさで忘れ…終われば疲労が勝って忘れ…気が付けば倒れた、という感じで急変までは結構あっという間だった。
まず卵巣嚢腫、右しか自覚なかったけど左右だった(そんなバカな)
・右卵巣嚢腫捻転(巨大化して何かの拍子に卵管ごと捻るやつ)
・左卵巣嚢腫破裂(文字通り爆発した)
悪性じゃないし新婚かつ当時28歳という年齢を考慮して一旦左右とも保存。
しかし捻転し色の変わった卵巣は機能するものの腐る可能性が大(腐ったら激痛らしい)
こうして執筆している今も爆弾を抱えて生存中(寒気)
そしてこれは恐らくらしいんだけど手術部癒着、術後2年経った現在もずっとお腹が気持ち悪いのはこれが原因。
しかし腸閉塞発症しない限りは開腹しない方がいいとのことで経過観察中。
(癒着が見つからない場合もあるし、その開腹傷を縫合することでまた新たな癒着を生むこともあるので無理に開腹するのはよくないという見解)
傷病手当提出のためには復帰日の記入が必須だが、主治医と勤務先の提示条件が一致せず。
そもそも復帰が認められなかった結果、フルタイム早朝日勤夜勤に復職が許されぬ身となった。
(定期検診や妊活の通院・術後の身体の違和感となると今まで通りは厳しかったし、再発しないでねという職場からの要望は臓器摘出しなかった身としては決して約束できなかったのも大きな理由)
✎ 仕事と人生
病で失った仕事
何もできなくなった無価値の自分
妻としての勝手に感じた重圧
マーケ会社に内定もらうも決まらぬ出向先
すれ違い始めた夫婦
仕事人間だったので何かしてないと壊れそう…いや、壊れてた。
自己投資するの何だか申し訳ないなってタイプだったけど色々と考えるようになり、一旦異業種に関心を持ってみようとキャリアスクール活用を決め込む。
旦那ありきで生活が成り立ってたので、勉強とはいえ自分は勝手なことするっていうのは相当に悩んだ。
なぜなら家族を守るために家族を犠牲にするから
(この矛盾というか葛藤しんどかった)
しかしキャリアスクールを活用することで、今までは専門学校~専門職で1つのことしか知らなかった自分に少なからず広い視野を与えてくれた。
社会人になってからの勉強は学生時代と違い目的というか理想というか…
何かしら自分を動かすものがあったから楽しく感じた。
コミュニティ運営もあったので、参加するとチームプロジェクトのデモンストレーションみたく経験できて、キャリアスクールにしては広い学びを得られたと思う。
(正論ASD爆弾で死ぬほど揉めたこともあったけどね…)
経験と興味関心は似たライン上にあって、そこに上手く作用できたおかげで自己肯定感だったり欲だったり、いいように増えた。
時々キャパオーバー気味でヘタレることもある相変わらずの超へなちょこ具合はあるものの、変われたなと感じられるのは
・過去の自分の存在
・コロナ禍で知り合えた方々
・旦那とその家族
・旦那の友人夫婦
・メンタルクリニックの主治医
・病気
起こった事や関わった人の全て揃ってこそ。
人生回り道はあっても無駄なことはなかった、そう思えている。
最後に
長くなってしまった。
わたしというやつはこんなやつである。
これからも駄文でエッセイ的なものでも綴れれば。
まめつぶ
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