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あなたが欲しいプレゼントを

これは2020年の冬に投稿した記事の再稿です。
あのころ、を思い出してみました。


「願うこと」#いま私にできること

薬局勤めのばあさんの近況短観、プレゼントについての回顧と願望です🤣

「近況」

寒くなった。季節はいつも通り流れているようで、そうでもないような気もする。いつもの年がどうだったのか なんだか思い出せない。

早いもので、12月が見えてきた。じきに一年も終わる。いつも通りのお正月で幕を開け「見えないもの」に変化を余儀なくされ、春も夏も飛んで行き、秋になっても 心配の続く2020年だった。

例年ならば クリスマスソングに引き寄せられ 百貨店のウィンドウを眺めて 気持ちだけ恩恵を賜り、両手に紙袋を持った忙しそうな人の波に 押されながら通り過ぎるころ。

プレゼントねえ。

何にも欲しくないような もし頂けるなら なんでもうれしいような。

イルミネーションで彩られた駅前通りのあちこちを 無言で行き交う人達。

感染は怖いが、休めば給与が滞るため身を固くして電車に乗り、感染させないように 離れて暮らす家族には会わないできた。自分にできることは限られているが、社会全体の気が緩んでいると言われ、マスクの内側で どうすりゃいいのよと呟きながら仕事帰りの夜道を歩く。

離れて暮らす子供たちが どうか無事でいますように。老いた両親が、平穏でいてくれますように。思うことは ほぼそれだけ。不便を感じているだろう、何か手助けをしたいが、行かない方がいい。春も夏も、この二律背反に引き裂かれ、重苦しさの中にいたせいか、気付いた時には 夏はもう終わっていた。

夏の終わり。気候も良くなり、旅行や外食を促す制度も手伝って 人の往来が増えた。秋になると 電車もいつの間にか以前の様な 押せ押せギューギューに。冬の初めには毎年風邪が流行るが、今年も 熱や咳症状のある人が薬局を訪れるようになった。

ビニールシートで隔てられていることを除けば、子ども用の粉薬を計ったり、店頭で風邪薬の説明をする、いつもの初冬の風景。キラキラと飾られた街も、赤や黄色に歩道を埋める落ち葉もいつもと何も変わっていないのだが

変わらないでいることに むしろ不思議な感覚を覚える。   

秋も終わろうという、ごく最近になって 都市部での医療体制の逼迫について報道され始めた。重症者が急激に増えて、病院の内部は悲鳴を上げているという。私達には 現場を目にすることはできないが、なんだかこの春夏がなかったかのような、時間が戻ったかのような既視感がある。実際は、戻ったのではなく 波は大波から小波になったりしながら、ずっと押し寄せていて やむことなく続いていた。現場の医師や看護師の疲労はどれほどだろうか。

季節の流れを止めるものはない。悪者はいない。スーパーマンもいない。変化は今後も続くだろう。

これまでも そして、この後も

少なくとも 第一線の医療従事者は、目の前の人に手を差し伸べないという選択はできない。できることをする、できるだけのことをする、無理をしてでもする。勤務時間は 多くの場合あってないようなものだ。だから終わりが見えない。医療体制が逼迫する、しないを数字で考えるのではなく 目を閉じて想像してみよう。逃げもせず 波をかぶり続ける人たちのことを。

かく言う私に、偉そうに何が言えるのか。何かできるのか。

私には何もできない。祈ることしかできない。

街の片隅で 薬を求めてこられた方々の求めに応ずる。何かできることがあれば、私にできることがあれば、どうぞご相談ください、「お待たせしました、お大事になさってください。」「はいはい、ありがとう。」

手を消毒し、次の方の処方箋に目をやる。シートがある為 やや大声でお呼びする。「○○さま~、大変お待たせしました!」そうやって日々を過ごすだけである。自分を大事にしてほしいと心から願いながら、春も夏も 今でも 私にできることはそれだけである。

多くの人が私同様に 波に揺さぶられ続けて 無力感を感じているのかもしれない。秋が過ぎて 冬を迎える 気ぜわしさだけはいつも通りで、ご褒美には当たらないままなのだから。

「プレゼント」

前に進めない閉塞感と冬へ向かう足音。クリスマスは近づくが、恥ずかしながら信心の無い私は、正直 何が欲しいわけでも、心から祝いたいわけでもない。これまでの年月、クリスマスにはケーキを買い、ごちそうを作り(レベルは低い)プレゼントを用意してきた。そうするものだと思っていたので。だが、

子供たちが成長し、自分と夫と二人でプレゼント交換も、ごちそうもないよね(体重増加するだけです)

事情はあるものの 今の私は何も欲しくないような でも明らかに何かが欲しいような心境である。本質の議論はさておき 私はこれまで クリスマスに何を求めていたの? 雰囲気に踊らされていたのか。まあ そうなのかもしれない。だがそうばかりでもないよとも思う。

誰かと会いたくなる。意中の人 懐かしい友 子や孫 親や祖父母。

宗教的行事である。日本では本来の意味から逸脱して 集客のための ただのお祭り騒ぎになっているとお叱りもあるだろう。が、人が人と会う口実として もはや説明する必要はない、それがクリスマスなのだから。

プレゼントは おまけみたいなものかもしれない。誰かと「近くにいて 笑い合えること」 私たちはこれまでも、今この時も 同じように求めている。クリスマスという言葉に映るのは うれしさ、楽しさと その陰にある淋しさか。

喜んでくれたかどうかわからないが、私も子どもたちの笑う顔が見たくて ある時はライダーベルト、ミニーのぬいぐるみ、成長してからはリクエストに応えて ささやかなプレゼントを用意してきた。

私が子供の頃、日本は高度成長期だった。かの国の真似をして クリスマスにはローストチキン、ケーキとプレゼントを用意する「総中流社会」が始まったころだった。

父は大学勤務の公務員だったので、私と弟を喜ばせようと クリスマスには、校内の売店に大きなケーキを注文し 一杯飲むのもやめにして 大きな包みをお手柄のようにぶらさげて 勇んで帰ってきた。

私は、そのケーキのバタークリームが苦手だった。

だから、父が勝ち誇った顔で帰ってくるクリスマスも 実は苦手だった。

随分前のことで、定かではないが「プレゼントに何か欲しいものはないか?」と訊かれたこともなかった。が、クリスマスの朝には いつも枕元にプレゼントが用意されていた。

リカちゃん人形の入った箱を 枕元に見つけた時の私は、狂喜乱舞したらしい。しかし、残念ながら私は、そのことを全く覚えていない上に、今に至っては 大体において欲しいプレゼントをもらったことはなかった、と回顧総括している。

貴方が 欲しいものを プレゼントするのは難しい。

そういえば、ウチの子たちからも 涙を流すほどのリアクションをいただいたことはなかったなあ。

本当に欲しいものは、おそらく プレゼント包装できないのかもしれない。

子どもが一人暮らしを始めてからは、クリスマスが特別ではない一日になったが、幸せでいてほしいと 願って過ごす。今年は、息子も春から帰省を控えてきたので、SNSで連絡しつつも 直接会う機会は ほとんどなかった。

感染したくて感染する人はいないが、無症状で感染させてしまうことがあるから、大切な人に会うのも、躊躇われる。このことが、私達をやり切れない思いにさせる。誰もが十分stay aloneした。自分以外の大切な人に会いたいけれど守りたいと、十分にやりきれなさを味わってきた。だからだろうか、

疲れもある、慣れもあるけれど自分のことしか考えてないひとを 私は見たことがない。老若男女 誰も 見えない波を 避けられはしない。だから、同じ願いを共有している。大切な人だけでなく、周囲や 知らない誰かの無事も祈っている。あなたが欲しいものと 私が欲しいものは多分一緒なんじゃないだろうか?皆が周りを見回して、プレゼントがいき渡るよう 祈っている。自分の前だけを見ている人はむしろ少ない。

クリスマスに 

ムリなお願いだとわかっていますが

会いたい人に会えますように。

ロックダウンを外されたサンタにも 全ての願いに応えることは難しいかもしれない。そのせいか、少しだけ 季節がゆっくりと進むのかもしれない。いや、そこはやはり 年齢のせいなのかもしれないが。

ウィルスと戦う人、支える人達に、神のご加護がありますように。すべての人に プレゼントが届きますように。私たちの祈りや願いが、どうか暖かく地球を包んでほしいと 強く思う。

「あなたも わたしも」

もし、風邪気味なら無理をしない。何より、家で休む。暖かくして、消化のいいものを食べてゆっくりしよう。そうでない人も、人込みは避けて。クリスマスには間に合わなくても、プレゼントを待つ心を 閉じないでいよう。

いつもよりゆっくり 師走には 歩いてやってきてもらいましょうか。

拙文をお読みいただきありがとうございました。

おさんぽでした。