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一人暮らしとオムライス。

クリスマスが近づきました。で、私の「子離れ」体験を。恥ずかしながら なかなかに淋しかった。子どもが家をでて、一人で暮らし始めると、クリスマスも誕生日も普通の一日。ケーキも飾りもない、ちょっと寂しい一日。 慣れてくると、これもまた味わい深いですけどね。

「初一人暮らし するもさせるも」

進学や就職で 子が家を離れる。お母さんではあり続けるが、世話はもういらない。若い親御さんもいるが、私は初老に差し掛かる時期だった。徐々にくたびれてきてはいたが、なんだか 早送り>>で一気に老けた。確かに安心もしたが、しばらくは、淋しくて泣いてばかりいた。そのあとは腑抜けのように ぼーっとなった。頭ではわかっている。子どもは成長して巣立つ、それはとても喜ばしい事。 

そうなんだけど。

お母さんでしかないのに お母さんはもういいです、用済みですってことになって混乱した。お母さん以外に在り様がなかったから。

一緒に暮らし、傍で見守っていても、子どもは子どもで単独で生きている。だが、私の中で自分と子どもを綺麗には分けられない。「成長しました。じゃあね、バイバイ。」離れる側はスッとはがれるが、こちらはそう簡単にはいかない。大げさかもしれないが、自分の半身がちぎられるようで抵抗したくなる。私の中身は、あれ?無くなったか? いや よく考えたら

恥ずかしながら、遅ればせながら この期に及んで初めて 私自身というものがハナから無いと気づいた。お母さんと言えば、聞こえはいいが 子どもに寄っかかっていただけだった。私自身のするべきこと、したいことはどこを探しても無いのだった。

かしこい御母堂には、こんな話は無用でしょうが。

育てる、世話をやく これはほとんど本能的に行っていて My pleasureなのだが、そのただ中にいる時は気づかない。おむつ替えから三度のごはん、送り迎え、ある時は熱を出す怪我をする、参観、面談、受験と 年月を子どもに持っていかれたように思っていた。My pleasureなのに。かわいいけど しんどいわー、たまには一人になりたいわー、と思うのだ。

子どもと一緒に居られる時間は限られている。それは私だって 誰だって分かっている。

彼らは、いつか独り立ちする。お金の準備と心の準備を着々として、余裕の笑顔で送り出すはずだったが、できなかった、、、分かっていたのに準備は不十分のまま 私の方も よろよろ独り立ちすることになってしまった。

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二人の子供のうち、下の男の子が 先に一人暮らしを始めた。その一年後に娘も。息子が受験を決めた時からわかっていたことだが、高校卒業から短期間でバタバタとあれこれ準備し、部屋を一緒に整え、入学式に参加させてもらって、その日の夜になってから はたと気づいた。

私は帰らねばならない。

私は、薬局勤務のパートのおばさんです。

ちょうど 薬価改定と大規模な調剤報酬の見直しがあった年で、年度初めのクソ忙しい時に 4日もお休みをいただいていた。息子の進学と同時に、夫も単身赴任となったため、入学式の翌日に 家から荷出しをして直ぐに九州へ飛び、夫の部屋で引っ越し荷物を受け取り、ちゃっちゃと片付けて次の日には仕事に戻らなければならなかった。

12月の空

息子の新生活は、とある県庁所在地の市街地のはずれの 大学とアパートとコンビニと居酒屋とカフェが のどかな田畑風景の中にレゴのジオラマのようにすとんと配置された 小さな田舎町で始まった。

息子と二人、長距離バスに乗って移動し、大急ぎで部屋を探した。その春はなぜだったか忘れたが引っ越し業者の取り合いで、予約が取れなかったため仕方なく 3月末に自分たちでバンを借りて、家から一人分の荷物を運んだ。大学にほど近いアパートの狭い部屋には、2畳ほどの独立したキッチンに、作り付けの使いやすそうな棚が設置されていて、2口ガスコンロもついていた。私はなんだか心配で、火を使わなくてもいいように、電磁調理器(IH)を買って、フライパンと片手鍋を一つずつ、そのほか数枚のお皿やカップ、ボウル、お玉や調味料など、最低限必要な道具を、近くのお店で揃えた。

息子は小中高と野球をやっていたので、というか野球しかやっていなかったので、料理は食べるのが専門で、家事は、ほとんど何もしたことがなかった。家電の使い方も一から指導が必要。一人暮らし用のシンプルな電子レンジで、お弁当あたためボタンの操作を確認した。オーブントースターはちょっと怖いので、かわりに家からノンフライヤーを持っていき、コロッケを買ってきて温めてみせた。洗濯するには洗剤が必要で、スーパーのこの辺においてある、洗濯機を回したら、出して干さねばならないこと、ゴミを分別して捨てなければいけないこと、、、あれやこれや。もう言わなくてもいい、考えればわかるから、あー うるさい! 

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とは、ならなかった。

息子は 不安そうな顔で 終わらない私の話を聞くともなく聞いていた。

この時 彼が悪態でもついてくれていれば ハイハイ帰りますよ、となったのかもしれない。

私は じっとしていられなくて 片付けたり買い物に行ったり 仕掛け人形のように動き回った。果てしない心配をやめることができなかった。

入学式の日。

幸運にもいいお天気となった。息子と一緒に出かけるつもりが、グズグズと支度したため 後れを取った。大学構内ではなく市民ホールでの開催だったので、電車で向かう。最寄り駅で降りると、式場へ歩いていく彼の姿が見えた。「いた!」と喜んだが、あら?横を歩く女の子と楽しそうに話をしているではないか!

なによりである、ふーん、結構な事 と思っていたら、息子は何を思ったかいきなり振り返り、私を見つけて駆け寄ってきた。さては目つきが悪かったか、と内心慌てたが、彼女が、偶然にも同県の出身で、中学時代の親友と同じ高校の卒業生であり、さらになんと同じアパートの住人というので、びっくりして私にも知らせてくれたのであった。とても利口そうでかわいらしい方。

「どうぞよろしくお願いします。」

彼女は一人で式に参加していて、ホール入り口で私と息子の写真を撮ってくれた。写真の彼はとてもすっきりした 嬉しそうな笑顔だった。部屋で見せた不安そうな様子は微塵も感じられない。「保護者入口はこちらです」と誘導され私は「失礼します。」とその場を離れたが、その時、ふっと 息子が遠ざかったような気がした。

オリエンとか新入生歓迎行事などで、転居早々 彼は出かけることが多かったが、入学式の日は 式を終えるとすぐに部屋に戻ってきた。

「大勢だったね。」話しかけたが 無言。当たり前だが、知っている人は一人もいない。ちょっとイキガッっている風や、大人びた感じの子、色々いた。改めて、知らないところで一人暮らしをしながら 学生生活を送るんだと気構え 気疲れしたらしい。

「お昼ごはん、何食べたい?」「焼きめし か オムライス、一緒に作ってみようか?」「じゃあ、オムライスで」

ウィンナーを使った簡単バージョンで。野菜を洗って細かく刻んでもらう。私の下手くそなやり方を教えるのは申し訳なかったが、息子の邪魔をしながら 狭い台所で一緒に料理するのは 楽しかった。

そして、初めての割には、うまくできました!少しホッとしてくれたようだった。私も ちょっと安心した。

家でも やっとけばよかった、朝から晩まで野球ばっかで そんな時間はなかったけどね。

帰るまでに、もう一度スーパーに行って 卵やハム、パンやレトルト、冷凍食品、水やお菓子などを買い込み、冷蔵庫と台所の棚にしまった。

あっという間に夕方になった。私は帰るのか、、、息子は疲れて寝てしまっていた。私は、台所の隅で メモ用紙に「帰ります。」と走り書きをして部屋を出ようとして 引き返し、寝ている息子のおでこにそっと触った。

今帰らないともっとつらくなりそうで、頑張れ!と自分を励まし、ドアを閉め鍵をかけた。おばさんになってから 多分初めて 泣きながら 駅まで歩いた。

なんの涙かわからないが、涙が出てしまう。夏でもないのにサングラスをして、帰りの新幹線に乗った。

夕日 (2)

お陰様で、息子はその後も 学生生活を続けている。二十歳になるとお酒も飲み始め、友人を呼んで自宅で料理をふるまうほど 一人暮らしを楽しんでいる。今年に入ってから オンライン講義となり 学食が使えなくなったのを機に 本格的に自炊を始め、みるみる腕を上げ 私より上手くなった。

入学して一週間ほどして 健康診断を受けたところ 血圧が高いため、再検査となってしまった。このことがきっかけで、レトルトやコンビニ弁をやめて自分で食事を作ることにしたらしい。この時 私に送ってくれた写真がこれ。

裕太のオムライス

写真を見て 私はまた泣いた。が 息子は、、更に続けて写真を送ってきて 「このロードバイク買いますが いいですか?」友人とチャリで 遠出をするらしい。お金の無心ですね!楽しくやっているんだな、とうれしくなって 親バカの私は また涙をぬぐった。

この1年後に家を離れた娘の場合は、息子の時に私に免疫ができたことから あそこまで悲しまずに済んだ。既に社会人で 簡単な料理ならできるし、部屋もきちんと片付けるし お金の心配もいらない。「ママ、大丈夫?」と 初一人暮らしとなる私を気遣ってくれた。そう、学生時代も一人で暮らしたことがなかった私は、家族を送り出しまくって ついに一人になってしまった。

あじさい

ある程度予想していたが、初老のおばあが、初一人暮らし。お酒も飲めないし、特に趣味もない。お金が余っているわけではなく、仕送りもしなければならないので 結局仕事のウェートを増やして、休日もセミナーや学会に参加するようにした。若いころは一人で暮らしてみたかったが、今となってはそう楽しくもないなあ。こうなってから 自分の中身を埋めることは難しいと実感する。元気な高齢者が 昼カラなどに興ずるのはなんでだろう、と思っていたが 心底やりたいわけではないのかもしれない。必死で走ってきたが、初老交差点で行先が解らない と立ち止まっているのは私だけではないかもしれない。

自由を謳歌するのにも、お金と共に 元気な体と心が必要です。
色んな理由で一人暮らしの皆さん。
感染症は、手を変え品を変え、次から次へとやって来るし、
淋しがってる間もないくらいに、世のなかの流れが速くなって、
人間としてはどうにも疲れます。これはツレあり、でも同じで
離合集散は自然ですから。
だからこそ
一人の時間は、それぞれがゆっくり大事に、
計画したり振り返ったり 食べたり飲んだり、
せいぜい自分の養生のために 使いなされ。
大事な人の一人の時間も ふわりと見守ってあげよう。

どうぞよいお年をお迎えください。

夕暮れ

おさんぽでした。

お読みいただきありがとうございました。