『ペライチ創業者山下翔一氏に学ぶ!Withコロナ時代を生きる私たちの【地域の在り方・生活や事業の在り方】を考える』ママ夢ラジオ2周年記念特別講演会(6)完
2020年7月26日ペライチ創業者山下翔一さんをお迎えしてのママ夢ラジオ2周年記念特別公演会の文字起こしを複数回に渡ってお届けいたします
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たけおか
「ありがとうございます、まだまだお聞きしたいのですが、時間の関係で山下さんに一つだけここで質問をお答えいただきたいです。”山下さんの思いの強さはどこから来ますか?”という質問をいただいています」
山下
「両親の恩師の方がいるんですが、僕の生まれた時からの幼馴染のお父さんでもあったんですね。彼が僕の人生の師と言える、恩師中の恩師。その人に空手や英語を教えてもらったり、彼自身が世界中を飛び回って、政治界・経済界などいろんな所と繋がっていて、僕は大学時代に恩師に連れて行ってもらって首相官邸にも行ったり、政治家や官僚に会ったこともある。
その恩師がずっと言っていたのが、世界平和であり地球平和。僕が通っていた道場の建物の名前自体も”地球平和道場”と言うんです。だから、僕の中では”平和”は特別なものではなくて、坂本龍馬の身内の家に地球儀があって日本だけじゃなくて世界がある事を子どもの頃から知っていたように、”平和”という言葉自体は身近でした。
物心ついた時には海外の人がホームステイに来ていて、人種や国の違いを最初から意識もしていたけど、でも国や人種の違いってあまり関係ないよねって思っていた。
恩師が貧困の国をすごく支援していたんです。お金を寄付する形ではなくて、水道が通っていない地域に行ってその地域の人たちに話に耳を傾けて寄り添う事をずっとやっていました。
自分勝手な支援は支援ではないので、その地域の人たちの声を聴いて、例えば水道を引きたいという事であれば、往復3~4時間かけて水を汲みに行っていた地域で皆で水道を作ろうと言って一緒に作ったりとか、子どもたちに教育を受けさせたいとなれば、一緒に学校をトンカンして作ったりとかをやっていた人なんですね。
そういうのを世界中でやっていて、彼がずっと言っていたのは”地球平和・世界平和、自立・協力・共生・共創”。僕が喋っている言葉って僕にとっても当たり前なんです。
子どもの頃から世界平和って言っていたのは、僕からすると何も変な事ではなくて、そういうものだと思っていて、”同じ地球に生まれて来たんだったら手を取り合って楽しく生きて行こう”と思ってるんです。
言ってる事と思いの強さって違うんですよ。何故その思いの強さが強いかと言うと、僕が大学院2年の時に恩師が死んだからです。僕からすると人生で唯一かっこいい大人だったし、自分の人生の先を行っていたトップランナーで、この人に付いていけば将来立派な大人になれるだろうと思って走っていたのに、24になりたての頃に癌で亡くなりました。
僕が社会人になる一週間前とか直前なんですね。家族よりたぶん泣きました。大学時代は、家族じゃなくて恩師に会って”ご苦労”と握手してくれるのが嬉しくて家に帰っているくらい恩師が好きだったので。そういう恩師が亡くなっちゃって僕は一回やる気を失くしてしまって、人生って何だ・生きるって何だという事を考えて。でもこのままじゃダメだと思って、生きる事とか死ぬ事とかその時にすごく向き合って考えた。その時にすごく思ったのは、一番安直だったけど楽だったのは、彼の夢まで一緒に背負って二人分生きれば楽だなって思ったんですよ、シンプルに。だとしたら、その自分のやりたい事も実現するし、彼の夢だった世界平和も一緒に背負って実現したい。僕の代で終わる世界平和なんて本当の世界平和じゃないので、恒常的に続いていくためにどう教育をし仕組みを作るかというところも含めて、僕が生きているうちに少しでも前に進めたい。自分が亡くなる時に、世界中の方々から仮に山下さんという素晴らしい人がこの世にいてありがとうと言われたとしたら、”いやいや僕より凄い人がいたんだよ”と言いたい。彼のおかげて今の僕があって、僕が社会人になる前に彼が死んでくれたからこそ僕は僕の人生で力が出て、彼の夢まで二人分背負えたから僕は彼のおかげでこの夢が実現できたんだと言えるかなと。そうなった時に僕の中での彼が亡くなった意味が生まれるなと思ったんです。
おうえんフェスも何故始まったかと言うと、3.11で被害に合われた方や亡くなられた方がどういう気持ちなんだろう?と考えた時に、もし自分が亡くなったとしたら毎年手を合わせてもらうだけでは全然嬉しくないと思ったんです。でも、この3.11をきっかけに世界中が手を取り合えるような世の中になったり、応援しあえるような社会が実現して、今いる子どもたちや未来に生まれてくる子どもたちが日本に生まれて良かったと誇りに思ってもらえたらすごく嬉しいと思いました。
3.11をもっとポジティブにアップデートして世界中でチャレンジが巻き起こっていくための応援を広げるために、日本記念日協会から”おうえんの日”と認定してもらいました。
起きてしまった事実は変わらないけれど、それを残された側・受け取る側がどう解釈して行動するかだけでしか、世の中は変わって行かない。
だから、僕はすごくシンプルだと思っていて、起こった事は起こった事でしかなくて、それをどう捉えて未来に繋げて行くかって無限の可能性があって、それをひとりひとりが考えて行動していくと、すごく日本ってポテンシャルの大きな国になるんじゃないかと思っているんです。それは大人たちもそうだし、子どもたちもそうだし。子どもたちが行動する時にまず大人が行動していないとダメだし、背中で見せて行かないといけない。
僕は恩師が死んだ意味を自分の中で見出してそれをパワーに変えて二人分の夢を背負う事にした。恩師が生きていれば、何でも出来たと思うんです。生きている以上は何でも出来るし、恩師の事を考えると、自分がへこたれているのが申し訳ない。やりたい事が実現できずに50代で亡くなった恩師に申し訳ない。眠いから起きれないとか〇〇できないとか、たまにはありますけどね。でもそれって些細な事で、彼があと何十年も生きて実現したかった教育とかやりたかった”夢の学校”とか。
ここまで言っていなかったけど”夢の学校”という構想もあるんです。僕が”夢”と言っているのも恩師の夢を受け継ぎたいと思ってやっている事だし、それが根底。
だから僕は一人の男のために夢を追いかけているようなものですね。それが僕の夢でもあり、二人の夢でもあり、それが世の中のためになると信じて走っている」
たけおか
「ありがとうございます。心に突き刺さる言葉ばかりで、もう一回この講演をアーカイブで改めて見ようと思います」
大倉
「あっという間の一時間で、コメントもたくさんいただいていますが、名残惜しいくらいで終えて、山下さんのお話や日々の活動を知りたいと思った方もたくさんいらっしゃると思うので、是非山下さんのFacebookをフォローしていただき、そして今日のお話を次に繋げて行きたいです。そしてママ夢ラジオと繋がるところもたくさんあって嬉しく思いました。
株式会社ペライチの創業者であります、山下翔一さんにたくさんのお話を聞かせていただきました。コメントもありがとうございました」
たけおか
「コメント、ひっきりなしに来ていましたね」
山下
「コメント、答えらえてないけど見ています!ありがとうございます。皆さんも誰かを感動させられると思いますから、がんばってください」
大倉
「コメントも見させていただいて、随時お返事をさせていただきたいと思います。山下さん、ありがとうございました!」
たけおか
「ありがとうございました!」
山下
「ありがとうございました!」
※山下翔一さんnote
※ママ夢ラジオホームページ
★[ママ夢ラジオの#ここだけの話]文字起こし担当:なかしまゆみえ(ママ夢ラジオ渋谷)
個人ブログ
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