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草を刈って「空」になる

玉村豊男さんに『草刈る人』という著作があります。
東京の自宅にあるはずで再読したいのですが、帰る度に毎回、探し忘れます。

なので、うろ覚えなのですが…
玉村さんの葡萄畑に、草を刈らせてくれと東京から車でやってくる友人の話が書かれていました。
ひたすら草を刈って、刈った後の畑を満足そうに眺め、帰るのだそうです。
たぶん乗っているのは紺のベンツ?
自宅は世田谷?
本が手元にないので、わたしの妄想かもしれませんが。

玉村さんのワイナリーはこちらです。

草刈る人が、草を刈るのは鎌ではなく、刈払機です。
「かりばらいき」と読みますが、この辺り(埼玉県深谷市)では「かっぱらいき」と呼ばれています。
「かっぱらいき」はこういうタイプです。

わたしも、この「かっぱらいき」で、トウモロコシの茎を刈り払いました。
気温が上がる前の朝のうちの1時間ほどでしたが、なかなかの境地に達します。

これが、仏教でいう「無」なのか?
無の境地といいますが、特に、理性や自我、顕在意識的なものから解放されているわけではないので、「無」じゃない気がします。

では「空」かな?
「空」という概念は、「空室」をイメージするとわかりやすいと、どこかで読んだことがありますが、草刈りをしていると確かに「心が使用されていない状態」になるので、「空」ということにしておきます。

玉村さんのご友人(わたしの中では、紺のベンツ、世田谷在住、当時50代と想定中)も、「空」を求めて、草を刈りにきていたのだと思います。
何しろ本が手元になくて確認ができないのですが…。

草を刈っていると、心は使われていません。
あれこれと頭を過ることはありますが、そのことで心がざわつくことがないのです。

農作業がすべて「空」になるかというと、そんなことはありません。
今朝、鎌で草を刈りましたが、果たして、このやり方が良いのか?
もっと他のやり方があるのでは?
わたしが慣れないせいなのか?
鎌を研いだ方が良いのでは?
とりあえず、目の前の草を刈るしかないよね?

めちゃめちゃ、心を使っています。
?????
クエスチョンマーク5つです。
作業に疑問が湧くと「空」は訪れないことがわかりました。
一方、「かっぱらいき」でトウモロコシの茎を切る作業は疑問なし!
とにかく、茎を切っていくのです。
「かっぱらいき」を右から左へ振りながら、前へ進むのです。

こちらの自己紹介記事に書きましたが、わたしは常にギリギリセーフの人生でした。ギリギリだけどセーフにしなくちゃいけないので、頭も心も空室なし!フル稼働でした。

これを書いている今は、軽く「空」モードです。
書きたいことを書いているので、書く作業自体への疑問はありません。
草刈りで「空」を確認したので、今が「空」なのか「空」ではないのかわかるようになったのですね。

近い将来、ままともやファームへ草刈りへ来ませんか?
と、お声かけできるように環境を整えている最中です。
母屋(築200年?)、畑、蔵、お宮、納屋、作業場、杉林(荒れております…)、竹林(こちらも荒れております…)。

写真は、トウモロコシ畑から見た朝焼けです。
この飛行機雲はどこからどこへ?

#空
#二拠点生活
#飛行機雲
#草刈る人

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