サイドスロー(ダスト・エッセイ)
すっかり髪型の変わった経済思想家の斎藤幸平が、夕方のニュース番組に出演して頭を抱えている。昨年新語としてその概念が注目されるようになった「タイパ」について、娯楽を得るための効率化だったはずなのに、娯楽すらも効率化を求めるようになったら、生きている意味を見失っていくんじゃないか。
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小学生の頃は、毎日のようにドッジボールをしていた。僕は学年でも比較的有能なプレイヤーであり、キャッチングは苦手意識があったが、避けと投球には定評があった。僕は、サイドスローだった。何度か先生たちに、上投げの方が、球に力が入ると勧められた。それでも僕は、投げやすいし、こっちの方が相手の足元を狙いやすいという理由で、サイドスローを貫いた。
好きな光景がある。校庭でドッジボールをする際のボールは、黄色を基調とし、地球の赤道のように白い線が入っている。この白線が地面と平行になるような角度でボールを持ち、思いっきり腕を横に伸ばして、指先にボールがかかるのを感じながら振り抜く。すると、指輪の様な金属の輪っかを落とすと、輪っかがぴたりと地につくまでの間、ゆらゆらと踊るように、ボールの白線がぐにょんぐにょんと動いて見える。しかも、金属を落とすと、大きな音をたてて、それを不快に思うが、飛んでいくボールから、音は聞こえない。それを、心地よく思った。
そしてそのボールが相手の脚に当たった時の手応えを、簡単に思い出すことができる。
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父のコロナが移ったようで、頭も働かずにゴロゴロしている。
斎藤が出ていたニュース番組は、YouTubeを漁っている中で見つけた。もうみたいものがないのに、何か面白いものがないか探しては、途中まで観て、他の動画に移る、という時間を過ごしていた。
そんな時間は、風邪をひいていなくても、ここ数年よく過ごすようになった。スクロールする指先、みえている動画、その感想は、10年後も僕の中に生きているだろうか。
(2024年3月7日投稿)