頷く(ダスト・エッセイ)
今日は仲間たちと相槌や頷くことについて語り合った。
相槌を辞書で調べると「問いかけに答えること」とあるが、「相手の話に巧みに調子を合わせること」ともある。よくその時に頷くが、それは「了解、肯定、承諾、勧誘などの気持を表わすために首を縦に振る」ことらしい。
『ピーナッツ』でルーシーが、”NEVER TAKE ANY ADVICE THAT YOU CAN UNDERSTAND…IT CAN’T POSSIBLY BE ANY GOOD!”と言う。理解できるアドバイスは、大したものじゃない。
僕の口癖は「なるほどぉ」だ。首を縦に振りながら、そう言う。でも、その前に、首を傾げる時もある。自分が理解できない言葉や意見を聞いた時には、首を縦に振ることができない。首を傾げなくても、わからなくて硬直することがある。体の構造上、首を縦に振るという動作は、スムーズにできる作りになっている(はず。)なんなら、バネのように動く。
首を横に振る、あるいは(相手にわかりやすいように)傾げる、という、わからないものへの拒否を示すには、やや力がいるように思う。この、あまり意識しない、うんっと、少し力をいれた時、首を傾げた時に、僕は、僕にとって本当に新しい言葉に出会ってきた。
相槌がなくなったら、怖いんじゃないかと言う人がいた。自分は、何か見当違いのことを言っているのではないかと。あるいは、相手は自分の話を全然聞いていないんじゃないかと。むしろ、相槌がいらない、あるいは少ない間柄になれた方が嬉しいと言う人もいた。「相手の話に巧みに調子を合わせること」をしなくていい。そんな間柄、あるいはそういう時間に僕も心当たりがあって、素敵だと思う。
相槌せずに目をみている時はどうだろうか、という話になった。聞いてもらっている感があると言う人もいれば、そういう人に限って自分の世界に入り込んでいて聞いていない、と言う人もいた。
印象深い会話のやりとりは、並んで歩く時、車内やカウンターで並んで座っている時だった。じっと動かない首が、味わい深い脳味噌を支えていた。
(2023年1月12日投稿)
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