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不便さ、窮屈さも時には。

新コロの影響で百貨店やスーパーが営業時間を短縮し、店によっては営業しないというところもあり、深夜営業をしばらくの間取りやめるところもあり、なんだか「昭和に戻ったみたいだなあ」と感じている私たち夫婦。

昭和40年代生まれの私たちは、新しいモノがいろいろとでき、時間軸が変わり、いろいろなことが新しくなった時代のど真ん中で10代~20代を過ごして世代だと思う。

そんな昭和生まれの私たちが子どもの頃は、コンビニもなく、自動販売機も珍しく、テレビだって深夜1時にもなれば砂嵐が当たり前だった。商店街ではどのお店も夕方6時には閉まってしまい、明日学校で使わなきゃいけない絵の具やフエルトを買い忘れ、母親に「どうして前々から準備しておかないんだ!」と怒られてべそをかくことも日常茶飯事。ターミナル駅のショッピングセンターでさえ夜7時には閉店、百貨店に至っては夜6時で堂々と閉店していた。

夜更かししたくても、テレビも終わっていれば街も眠っているので、夜は本を読むかラジオの深夜放送を聴くくらいしかできなかった時代である。

そこから40年近くが経った。かつてテレビやマンガの中にしかなかった、いつでもどこでも会話ができる夢の機械はスマホというカタチになって誰もが持てるようになり、パソコンを通じて家に居ながら世界中から欲しいものを買うことができるようになった。

ショッピングセンターも百貨店も、夜8時や9時まで営業するのが当たり前になり、24時間営業の店がどんどん増えた。都会は眠らない街になり、いつでも欲しいモノが手に入り、食べるにも遊ぶにも困らなくなった。そんな生活を誰もが当たり前だと思っている時に、いろいろなコトが起こる。

2011年の震災の時は、都会では節電が始まった。私たちが暮らす地域では計画停電も行われた。あの時、意外だったのは「夜の暗さってこんなもの」「東京の夜は明るすぎた」という声が多かったことだ。

そして今回の新コロ。営業時間短縮、休業、外出自粛と、なんとなく生活を窮屈にするような事態になっている。

今の30代以下の若い人たちは、多分生まれた時からコンビニがあり、深夜、朝まで営業しているファミレスやスーパーや本屋がある。朝まで過ごそうと思えばどうにでもなる生活が当たり前だったかもしれない。だからこそ、今このちょっとした不便さを体験しておくことって結構大切かもしれないと思ったりもする。

もしかしたら、どんな便利な時代に生まれ育ったとしても、人間ってのは人生で一度くらいは「不便さ」を経験するようになっているのかもしれない。

もちろん、もう昭和の頃のペースに世の中が、私たちが戻ることはできないだろう。でも、24時間ずっとテレビを放送して、24時間街を眠らせないでおく必要って本当にあるのかな・・・と少し疑問に思う。

今日も買い物に出かけた。ティッシュペーパーもトイレットペーパーもインスタント食品も、ほぼ普通に並んでいる。ネットで注文した品物もちゃんと届く。こんなに不便で窮屈だと感じている今でも、ちゃんと普通に生活はできる。ありがたいことなのだ。

こんなときだもの。モノがなくて不便でも、家に居なくちゃならなくて窮屈でも、この経験は後々生きる・・・かもしれない。自分のアタマで考えて、あわてず、騒がず、こういう時もあるさ、と、どーんと構えていよう。

明日から4月。桜もまだ咲いている。新学期までもつだろうか。世の中、何だかんだで帳尻が合うようにできているんじゃないかしら。



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