
一つの才能を磨き上げた男の末路
自分に「文章を書く才能」があれば・・・。noteで書いている人の多くはそう思っているだろう。僕もその一人だ。
才能とは何だろう。Googleで調べてみると、
ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力
とある。
もし「一つの才能」を伸ばすためだけに、他のすべての才能を犠牲にして、だけど、その「一つの才能」が通じなかったら。僕なら絶望して死にたくなってしまう。
だから一つの才能だけを磨かずに、満遍なく磨いているんだよ・・・というのは言い訳か。一つの才能に全てを費やしたら、どうなるのだろう。
今回の日刊かきあつめは「 #本の紹介 」ということなので、才能に対峙したある男の私小説を紹介したい。
その本とは、「お笑い」の才能に全てを費やし、そして敗れ、絶望に堕ちた男の遺書。
『笑いのカイブツ』である。
この本はnoteを運営するnote株式会社の「cakes」で連載されていたものを本にまとめたものだ。※noteに公式HPがあるので気になる方はそちらも
その男・ツチヤタカユキは、大阪に生まれ、母子家庭に育ち、鍵っ子で、家ではいつも独り。その彼を救ったのが「お笑い」だった。
彼はそのお笑いを発信する側になりたくて、全ての才能を「お笑いの才能」につぎ込んだ。
高校1年生の時にケータイ大喜利のレジェンドになると決意し、高校3年間を大喜利に費やした。ボケのパターンを分析し、1日100個のボケを出す。高校生の間では達成されず、フリーターになって1日500個のボケを出すようになり、最終的に1日2000個にまでおよんだという。
「大喜利を考える時間以外は全て無駄」と考えて極力アルバイトはせず、お金がつきそうになったら働き、アルバイトの休憩時間でもひたすらボケを考える。
ケータイ大喜利でレジェンドになってからは、ラジオの聴者投稿コーナーに応募する「ハガキ職人」になって様々なラジオで伝説のハガキ職人になる。その後、ある芸人さんにお笑いの才能を認められて上京し、いよいよお笑いの表舞台に姿を表すかのように見えた。しかし・・・
ツチヤタカユキを知ったのはタイムシフトで聞いたオードリーのラジオだった。それからツチヤタカユキを調べて本を知った。
きっと今はどこかで構成作家にでもなっているのだろうな~と思って見ると、そこには「挫折」「絶望」「死」の文字が。
何があったのだろう?と思い、本を買い、一気に読んだ。そこには笑いに憑りつかれ、すべてを費やした男の末路が赤裸々に書かれていた。
人間が持って生まれた全てを「お笑いの才能」に費やして、磨きに磨きあげても、ダメだった男の話は心をえぐった。
なぜ彼はダメだったのだろうか。
笑いのことだけを考えて、間違いなく努力をしていた。努力の仕方が悪かったという話もありそうだが、あらゆるネタを分析し自在に使いこなせるまでになっていて、届く人には届いているのだから、方法が悪かったとは思わない。
ダメだった理由、それは本の中でツチヤタカユキ自身がお笑いを辞めてから、芸人を目指しているというチャラ男に吐いた言葉に集約されている。
「お前が作ったジャンルじゃないねん。お前が最初の一人じゃないねん。おまえみたいなもんは、今まで先輩がバトンを回し続けてきた、その先に乗っかとるだけや。」
「NSC出て、オーディション受けてるんやろ?先輩が舗装してくれた、高速道路の後ろを走っとるだけやがな。そんな奴、とんがる資格もないわ」
ケータイ大喜利も、ラジオ職人も、構成作家も、誰かが作ってくれた道だ。その磨いている才能が発揮される場所は、既に誰かが作ってくれた道の上にあるのだ。
自分勝手に才能を磨いていてるだけでは意味がなく、その道の上にいるなら最低限のルール、先人に感謝する、頭を下げるという、意味のないような才能も必要だったのだ。それが嫌なら自分で道をつくるしかない。
この発言でツチヤタカユキは、これまでの人生を自己否定している。しかしだからこそ生まれたのが今回紹介した『笑いのカイブツ』である。
カイブツとはいわば才能である。カイブツを育て上げ、カイブツを切り離し、カイブツを客観的に観察したから生まれたのが本書だ。
「〇〇の才能があれば・・・」と思う人に読んでもらいたい。
この本は自分の中にいるであろう、小さな小さなカイブツと向き合うキッカケをくれるのだから。
文章:真央
編集:彩音
================================
ジャンルも切り口もなんでもアリ、10名以上のライターが平日(ほぼ)毎日更新しているマガジンはこちら。