友人の子どもは俺が預かる論について
最近周りの友人がどんどん結婚していく。さらにはどんどん子どもを授かっている。誰だ?今の若い子は結婚しない、子どもを作らないと言った奴。
その波に完っ全乗り遅れている訳だけど、結婚した&子どもが生まれた友人に必ず言うことがある。
「月1くらいで俺に子ども預けて!面倒見てあげるから!」
大抵の友人は苦笑するか、きっぱり断るか、聞こえなかったフリをする。(悲しい)
たしかに子育てもなければ、結婚をしたこともないただの青二才に、自分の子どもを預けたがらないのは正常な判断かもしれない。
しかしそんな青二才に預けることは子どものためになるだろうな、と思っていたことが、今日のハンプラを見て確信に変わった。
子どもは親ではなく社会が育てる世の中
これから否応なく少子化していき、子どもが社会的に大切な存在になる。そしてその子どもにどんな教育を受けさせるのかは、親だけではなく社会全体の問題になるだろう。
しかし学校教育は依然と旧体制のままで、個性の時代であっても均一的な大人を育てるための仕組みしかない。
また均一的な大人が持つ幸せ観はやはり均一的だ。安定的な仕事、円満な家庭、休暇は家族旅行、と幸せが定義されてしまっている。
旧体制的な学校教育から脱して、子どもを育てようとしても、共働きライフスタイルでは面倒を見るなんて不可能に近い。
結局一部の富裕層を除いて、教育面は学校教育に頼らざるを得なくなり、結果的に均一的な大人を作り出す悪循環が生まれる。
そこで青二才の出番である。
青二才は「結婚→育児→マイホーム→週末は家族旅行→幸せ」の固定化された近代的な幸せ観から脱している。幸せの価値基準を自分で持ち、流動的に生きている。
彼に子ども預けることで価値基準の多様性を教え、個性的な子に育てる一助になるだろう。
別に青二才だけでなくても良い。孤独な老人、居酒屋のマスター、オカマバーの店員、バツイチ子供なしの元彼。誰でも良いから、信頼できる大人に預けてみることは、子どもにとってプラスの刺激になる。
だから友人よ、俺に子どもを預けてみなさい。
少し夜風が肌寒くなった、ワンルーム一人暮らしの部屋から思うことは以上です。
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