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毒を食らわば腹八分目

「毒を食らわば皿まで」

一度だけ悪いことに手を出したヤツが、だんだんと回数を重ねて、歯止めが利かなくなって「もう後に引き返せない・・・!」と、自分に言い聞かせる。そんで大抵は、結局破滅する。お決まりのパターン。

この感覚はきっと、食べ放題で無理して食べて、後悔する感じに近い。

小学校にあがる前、生まれて初めてお寿司の食べ放題に連れて行ってもらった。それまで回転寿司でも食べて5皿、7.8貫くらいしか食べられなかった。お腹の具合というよりも、子どもの自分に割り当てられたがそのくらいで、それ以上食べようとすると親に止められた。

早く大きくなって、お寿司をお腹いっぱい食べたい。だから小学校の入学が決まったお祝いは、お寿司の食べ放題をリクエストした。

生まれて初めてのお寿司食べ放題で、その日は20皿以上、40貫くらい食べた。途中で親が「食べすぎじゃない。止めといたら」と眉をひそめるのもお構いなく、身体の中に詰め込められるだけお寿司を食べまくった。

お寿司欲が満たされ、満腹での帰り道。車に揺られていると、次第に気分が悪くなってきた。後部座席で死んだ魚のように横たわり、なるべく何も考えずにただ耐えた。

そして何とか家に着き、車を降りた瞬間に吐いた。

本当にただの食べ過ぎだったので、吐いたあとはケロッとして、アイスを食べながら「どうせ吐くなら、途中で食べるのやめとけばよかったなあ」と後悔した。

自分を過信して、痛い目を見るというのは、食事も悪事も同じだ。だけど「食事を食らわば皿まで」はなくとも、「毒を食らわば皿まで」という言葉はある。

言葉が生まれるのは、そのコトを説明する必要があるからで、「一度悪事に手を染めたら、最後までやりきらなきゃいけない」という考えの人がいるから言葉になっている。それは暗に「悪いことは最後までやり切ろうぜ!」と肯定してしまっていないか。

毒を食らわば腹八分目。これをもっと広めていきたい。そういえば丁度、悪事を働いても途中で気が付いて止まった二人が出てくる映画が上映中だ。

『神は見返りを求める』

イベント会社に勤める中年・⽥⺟神とYouTuber・ゆりちゃんは合コンで出会う。⽥⺟神は、再⽣回数に悩む彼⼥を不憫に思い、次第にゆりちゃんの YouTubeチャンネルを⼿伝うように。二人は⼈気がなかなか出ないものの、⼒を合わせて前向きに頑張り、⽥⺟神はまるで「神」であるかのように、ゆりちゃんに対して⾒返りを求めず、お互い良きパートナーになっていく。

そんなある日、ゆりちゃんは、田母神の同僚・梅川の紹介で、人気YouTubeと知り合い、彼らとの“体当たり系”コラボ動画により、突然バズってしまう。瞬く間に人気YouTuberの仲間入りをしたゆりちゃん。次第に一生懸命手伝ってくれるが、動画の作りが古臭く、良い人だけど、センスがない田母神との間に溝ができ始めて・・・。


(ここからネタバレ)


話題になったことから、チャンネル登録数や再生数などの数字にとらわれていくゆりちゃん。そんな時に田母神の身に不幸が続き、ゆりちゃんに助けを求めるがあしらわれてしまう。

そこでとうとう堪忍袋の緒が切れた田母神は、これまでの態度から一転。ゆりちゃんの暴露YouTubeをはじめ、アンチ活動で彼女の足を引っ張りはじめる。またゆりちゃんも田母神についての動画を上げ、互いにやりあって、炎上はどんどん高まっていく。

しかしあるときに片方が、気が付く。エスカレートしていたけれど、そこには虚しさしかない、と。

そして互いに相手を貶めることを止めていく。自分がやっていることがどれだけ虚しく、また今いる場所がどれだけ空虚な世界かに気が付く。そしてなぜYouTubeをやるのか、YouTubeの何が楽しかったのか、を振り返った時に、人気がでないながらも力を合わせて頑張っていたあの頃を思い出す。

一度闇に落ちた二人も周囲の空気でどんどん悪事を行うが、ぎりぎりの少し手前、まさに八分目で気が付く。皿まで毒を食う必要はないのだと。食事も八分目、毒も八分目、何事も八分目がちょうどいい。

そこで教訓を得て終わり・・・となるのがフツーの映画だが、吉田監督の作品はそうはならない。『空白』『ヒメアノ~ル』など、どの映画も見た人の心にしっかり傷跡を残す。
この映画の結末についても賛否あるだろうから、まだまだ書きたいのだけれども、この文章もここで止めておく。きっとこれくらいが八分目だから。


文章:真央
編集:アカ ヨシロウ


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