きっと、それは運動じゃない
子供の頃はテニスをしてたし、中学高校はバスケ部で、大学でよさこいやったりもしてた。
その話をすると「意外!」と言われることも増えてきた。どちらかというとインドアで、本を読んだり映画を観たりしてそう、と思うらしい。
たしかに、もうしばらく運動らしい運動はしていない。友達に誘われていったフットサルはコロナ前だから・・・4,5年くらいだろうか。その時も「意外と走れるんだね」なんて言われたりしてたっけな。
先日少し時間に余裕が出来たから久々にランニングしようかと、重い腰を上げて着替えまでしてみたものの、家を出る直前で、走ってシャワー浴びて着替えたら待ち合わせ時間に間に合わないかもな、と思って止めた。
そんな私の(せめてもの)運動不足解消法は、「二つ隣の駅から歩く」だ。最寄り駅から徒歩2分のところに住んでしまったため、最寄り駅ばかり使ってしまうと歩くことすら減ってしまう。なんたる本末転倒。
そこで最近は、どこか飲みに行く時も出来るだけ歩いていくようにしている。徒歩1時間圏内であれば、時間さえ許せば歩く。おかげで、1日の平均歩数は10,000歩前後をキープしている。
「ジムに通えば?」と言われることもあるが、何故かジムに行くのは抵抗感がある。お金払って自分を無理やり動かして、運動した気になってるだけだと思ってしまう。それなら街をランニングしている方が良い。
・・・果たしてジムに通うは運動なのだろうか?
運動していないとダメな人間と思われてしまうから、何とか無理やり運動「みたいなこと」をして気を紛らわせているだけではないか。自分の中にある怠惰から目を逸らすために、やってるフリをしてないか。運動迷子になっていないか。
これではまるで「寂しさを埋めるために、マッチングアプリで好きでもない男と会って、自分の本当の気持ちを覆い隠している」かのようだ。
『きっと、それは愛じゃない』はそんな恋愛迷子な女性が主人公のラブストーリー。
(あらすじ)ドキュメンタリー監督として活躍するゾーイは、運命の人を心待ちにしていたが、ピンときては「ハズレ」と気づくことの繰り返し。寂しさを埋めるために、マッチングアプリに興じるも、一晩会っては終わることばかり。
そんな時、久しぶりに再会した幼馴染で医師のカズから、見合い結婚をすることにしたと聞いて驚く。「なぜ、今の時代に親が選んだ相手と?」
愛に迷える時代に、古い慣習で結婚することを決めたカズに興味が湧いたゾーイは、彼が結婚するまでの軌跡を次回作として追いかけることに。数日後、条件の合う相手が見つかったカズは、両親も参加するオンラインでお見合いを決行。そしてカズの婚約を聞いたゾーイは、自分と向き合い始めるのだが・・・
マッチングアプリで恋愛をするのが当たり前になった現代で、お見合いなんて古臭い方法はダサいように見える。だけど、そもそもなんで「出会い」が必要なんだっけ?を考えれば、方法は何だって良い。もっと言えば「自分はどうしたいか」に向き合えば、恋愛することの意味を問い直せる。
同じように「なんで運動するんだっけ?」を考えずして、運動不足解消だけ取り組んでも良くないのではないか。
恋愛してるのが普通だよも、運動してないと身体に良くないよも、周囲に流されないで一度自分の考えを持ってみたい。「きっと、それは運動じゃない」と疑うところから、運動不足解消が始まる。
運動しない私の言い訳である。
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