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「結婚しても、しなくても、どのみち君は後悔することになる」
今回の日刊かきあつめテーマは「#結婚」である。
結婚を扱った映画はこの世にごまんとある。
二人が出会って、愛し合って、結婚するまでを描いた王道作品もあれば、結婚している二人が問題を乗り越えて愛を深める作品もある。
さらには結婚しない選択をする人たちの映画や、離婚を通じて愛とは何かを考えさせる映画まで。
人の数だけ結婚の考え方があり、その数だけ映画がある、といっても過言ではない。
結婚の映画についてあれこれ考えて、ふと思い出したフレーズがこの記事のタイトルである「結婚しても、しなくても、どのみち君は後悔することになる」だ。
これはギリシャ時代の哲学者ソクラテスが言ったとされる言葉であるが、この言葉がキャッチフレーズになっている映画が『たみおのしあわせ』である。
恋愛に関して奥手な神崎民男(オダギリ・ジョー)は、母を亡くしてから父の伸男(原田芳雄)と二人暮らし。父にお見合いを進められるも、理想の女性に出会えず、なかなか縁談を進められずにいた。
一方の伸男は、職場の部下である雪江(大竹しのぶ)と恋仲であったが、自分が先に幸せになるわけにはいかないと、民男には言えずにいた。
そんな中、民男はとうとう理想の女性・瞳(麻生久美子)と出会い、順調に仲を深め、結婚までこぎつけるのであったが・・・。
※ここから先はネタバレを含みながら、結婚とは、幸せとは、何かを考えていくので、気になった方は、作品を観てからお読みください。
ここまでは全て順風満帆、ほのぼのと進んでいくのだが、叔父の透(小林薫)が現れたあたりから空気が徐々におかしくなっていく。
口が達者な透に民男も伸男も振り回され、雪江は信男と距離をとるようになり、瞳は伸男に好意があるような素振りを見せる・・・
そしていよいよ、民男と瞳の結婚式。晴れの舞台に全てが限界に達し、民男と伸男は二人で手を取り合って、式場から逃げ出してしまう。しまいには亡き母の幻影を追いかけ、二人で茂みに入っていき幕を閉じるのだ。
わけの分からぬ急展開に、きっと多くの人たちが「は?????」とあっけにとられるに違いない。
このをハテナを解消する鍵が「結婚しても、しなくても、どのみち君は後悔することになる」である。
民男が結婚しない場合は、これまで通りの生活が続く。しかし男ふたりでは、世間から孤立していってしまうかもしれない。そして年老いた時に「あの時、瞳さんと結婚しておけば良かった」と後悔する可能性がある。
しかし、このまま結婚した場合も、民男は雪江と破局した伸男を独り家に残すことを後悔し、伸男は気持ちが読めない瞳と民男を結婚させてしまったことを後悔するだろう。
つまりどちらにせよ、後悔する可能性があるのだ。だから迷いに迷った民男と伸男は、手を取り合って逃げたのである。
さんざん結婚できる・できないで盛り上がってたのに、こんな結末ありかよ!!と思うかもしれない。
しかし「結婚」を重大に捉えている民男と信男だからこそ、その反動で「逃げる」しか選択肢がなかったのだと思う。
「後悔をする」ということは、「期待をしすぎる」ことの裏返しだ。期待をすることは悪くないが、しすぎるのは良くない。
"たみおのしあわせ”は、結婚に対する「期待」と「諦め」の均衡が保たれるところにあるのだ。
結婚に期待をしすぎてしまった民男と伸男は、その反動で現実逃避し、亡き母の影を追うという「諦め」によって、しあわせを保った。
これは民男に限ったことでも、結婚に限ったことでもない。しあわせは「期待」と「諦め」のちょうど真ん中にあるのだと、この映画は教えてくれる。
ぜひ『たみおのしあわせ』を通じて、「じぶんのしあわせ」について考えてみてはいかがだろうか。
執筆:真央
編集:鈴きの彩子
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