じゃんけんの話
「じゃんけんのルールに納得がいかない」って話、多分ほとんどの人が聞いたことあると思うし、なんとなく思ったことある人も少なくないと思う。映画『花束みたいな恋をした』の中では、初めて同じ考えの人に出会ったと言っていたが、割とそんなことないのでは?と思った。割と、いる。
おそらく納得いかないというのは「グーがパーに負ける」という点においてだろう。包まれただけで負けになるのか。その他の納得いかない点は思いつかないので、パス。
博多華丸大吉の漫才の中でもじゃんけんのルールについて話していた。「じゃあ餃子の餡は皮に包まれているから負けになるのか」みたいなことを言っていた。私は、負け、ではないと思っている。正確に言うと「勝てないなあ」だと思う。餃子である以上、餡だけではどうにもできない。あれは皮に包まれているからこそ餃子と分かる。味ではなく”餃子”でいるためには、餡は皮に勝てない。だから餡は「いやあ、皮には勝てないなあ」と思うんだ。
人もそう。落ち込んだ時、うれしいとき、自分の大切な人に抱きしめられたら「ああ、勝てないなあ」と思う。君には勝てないな、かなわないな、と思う、きっと。
じゃんけんは、この「勝てないな」「かなわないな」なんだと思う。じゃんけんのグーもパーに包まれてしまったらかなわないんだ。そうだ、だから包まれた方の負け、包んだ方の勝ち、になるんだ、きっと。そうなんだよ。
なんだか、じゃんけんが愛おしくなった、夜。大好きなにしなのアルバムを聴きながらこのノートを書いている。
『醜さが 愛しさを 抱きしめているなら』
ケダモノのフレンズの歌詞。醜さに内包された愛しさ、悲しさに内包された優しさ、なんて愛おしくて暖かくて美しいんだろう。じゃあ、愛は醜さに、優しさは悲しみに「勝てないな」「かなわないな」と思うのかな。むしろ、愛しさや優しさがあるから、醜さや悲しみは美しくて愛すべき感情なんじゃないか。
あれ、やっぱり分からなくなっちゃった。
まとまらない文章、決着のつかない話、でも愛しい感情であふれたから、きっと今日はいい日だった。やわらかな布団に包まれて。私は勝ちなのか、負けなのか、おやすみなさい。
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