記憶の再構


発熱するのが久しぶりすぎて暇を持て余している。1日休めるとるんるんだった私に、舐めるなよと言いたい。孤独を感じる時、しんどい時、暇な時には考え方をしてしまうが、その全てが押し寄せてきている。以前書いたものに付け加え、再投稿しようと思う。

わたしのなかには、忘れたくない記憶がある。ふだんはうずもれていても、ふとしたときに思い出す。悲しくてどうしようもなくなったときに、思い出そうとする。そうすると、そのときに感じていた名前のつけられない気分や、鮮烈に飛びこんできた色や、流れるように沁みてきた心地よい音が、よみがえってくる。それは、ほんものではないのかもしれない。が、かまわない。わたしのなかだけにある、わたしの記憶だ。ところどころすり切れ、かき消え、それでもわたしはそれを抱きしめ、離したくないと、消えてしまわないでほしいと、思っている。


忘れたくないのは、それがしあわせだからだ。ずっと忘れないことが大事なのだと信じずにはいられないような記憶。忘れないでくれと、時々でいいから思い出して、なかったことにしないでと、懇願するような。思い出したとき、いまのいままで思い出さないでいたことを、すこし後ろめたく、あるいははずかしく思ってしまうような。そんな、寂しがりで、あまくて、無力で、あざやかな、記憶だ。


 ひとつひとつ、思い出してみる。


かなしみで胸がつまって、息をするのすらもむずかしかったとき、その人から何気なくかかってきた電話で声を聞いたとたん、堰を切ったように涙があふれてしまったこと。バレないように呼吸をしながら、他愛もない話をしたこと。わたしは部屋の窓を全開にした。目の前を壁のようにふさぐ森の上空は濃い橙色で、明けの明星が白く、つよくひかっていた。泣き疲れ、笑い疲れ、そのままゆっくりと、その強い光を瞼にうつした。あの色を、わたしはきっと一生忘れないのだろうと思っている。

なんとなく変かな、と思っていたことを文章で話した時のこと。「全然変じゃ無いよ」と言われたこと。その言葉で、わたしという存在が、はじめて赦されたこと。素直に友達と言えないようなその人からの言葉で泣くなんて、やっぱり変で、変であってほしいとすらおもったときのこと。


カラオケでソファに座っていたら、あの子がそっと抱き寄せてくれたこと。からだが斜めになって、すこしくるしかった。わたしの頭に優しく手を置き、それから力一杯抱いてくれた。「死ぬ気でやっていいから、一緒に逃げてあげるから」と言ってくれた、その瞳が濡れていたこと。逃げる時もそばにいてくれる人がいると知ったこと。その嬉しさに、抱きしめあったまま大声で泣いたこと。この子がいい、と心臓がぎゅっとしたこと。


雨の日に、ひとつの椅子にふたりで座って、じっと雨音に聴き入ったこと。肩、腕、太ももと、体のいちばん左側が、体のいちばん右側とくっついて、温かいのと生ぬるいのとの間だった。いろんな雨音がした。ぽつん、ぽつん、とか、とっとっ、とか、さー、とか。からだの左側で、「あの音聞こえる?」と囁かれて、口ずさまれるその音を探しながら不安気な手を握っていたこと。


もっとちいさなことも、数え切れないほどある。忘れたくないことばかりがある。しかし、わたしは忘れてしまう。だからこうして、書きながら思い出す。忘れてもまた思い出せるように書く。何度も聴いたカセットテープのようになっても。わたしはわたしの記憶を信じている。わたしにはそれしかないから。忘れたくない、と思う記憶がある。わたしにこの記憶があってよかった、と思わせてくれる記憶が。それらを前にして、わたしはあまりの切実なよろこびに、泣いてしまうのだ。それは、わたしがわたしでよかった、という、存在のよろこびだ。わたしが生まれてきて、わたしがわたしとして生きてきて、いまもわたしであることのよろこびだ。いまわたしが生きていることのよろこびだ。
だからわたしは、ずっと忘れたくない。わたしがわたしとして生きていくために。わたしにわたしをくれた人とのことを。そしてできるなら、わたしも同じことがしたい。あなたがあなたでいてくれてうれしいと伝えたい。あなたが他でもないあなたとして生きていることのよろこびを、少しのあいだでも思い出せるように、忘れたくない記憶をあげたい。これがわたしのすること。これがわたしの夢であり、これがわたしの愛である。と、そう言ってもいいのだろうか。


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