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鋭児presents"Propaganda"

2021.1217  Propaganda

インスタの投稿にも載せたので、鋭児と、それから載せ切らなかったことだけ書いていきます。


3rdEP連理のリリース、Propaganda開催、おめでとうございます。
発表があってからずっとずっと今日を楽しみにしていた。何日も前からずっとソワソワしていたし、今日は朝起きた瞬間から楽しい気持ちでいっぱいだった。開始前にあった人たち全員に楽しい楽しいって言ってしまった。

始まった瞬間というか、入った瞬間からぐっと掴まれていたし、ずっと楽しかった。どうしても語彙力や感情がついてこない。感覚的に良いと思える、あまりにも凄すぎる音楽、もはや脊髄反射、感情が遅れてくるほどだった。久々9月ぶりに見た連さんのドラム、めちゃくちゃ嬉しい!ツインドラム、実はストーリーとか事前の練習風景で少し察してはいたけれど、めちゃくちゃかっこよかった。二人で顔を見合わせたり、左右でおんなじ動きで打ち込んだり、めちゃくちゃかっこよくて楽しそうでよかった。ドラムだけじゃなくいつもの倍パーカッションを感じることができた。それからビオラ、震えた〜〜、響一さんの声とビオラの音が合わさってどこまでも伸びやかに広がっていく。ビオラが入るだけで佇まいだけで優雅さを帯びていた。みんなすごく楽しそうで、一人ひとりの表情を見ては私まで笑顔になってしまった。取り憑かれたように歌う響一さん、キーボードに向かって上から体を沈めるように弾む聖史さん、眉間に力を込め音を気持ちを入れ込む連さん、ドラムの時もだけどコーラスの時にめちゃくちゃ笑顔で歌う太郎さん、真っ直ぐに立ったままノる寛人さん、全身でギターを弾いてる千春さん。みんな大きかったな。セッションも流石のクオリティと自由さ、その次に来る『Zion』への期待がみるみる高まっていった。それから『vivid』の不気味さと浮遊感がたまらなかった。

1年前に出会った4.7インチの液晶、177㎠から取り出した円盤をかけるキャパ4の軽自動車、キャパ200人程のライブハウス、大きな会場のo.a、そして今日のWWW自主企画。どんどん四角が大きくなっていく彼ら、見る人目の数が増えていく。よく"遠くなる"というけれど、遠くじゃなくて"大きくなる"だから、近くにはいて、むしろ、"近く"の範囲を増やしていってるんだと思う。
私は、彼らをこんなにも好きでいられることが嬉しい。自分のことを好きだと思ったり、自分のことを肯定できたりすることってそんなにない。ほとんどない。けれど私は、大好きな彼らに夢中になっている私自身が好きだ。彼らも好きだし私のことも好きだ。何言ってんのか分からないけれど、本当に感謝というか嬉しい、ほんとに嬉しい。自分を好きでいさせてくれるって、どれだけ影響が大きいことか分かりますか。自己愛までもたらしたと言うことがどれだけ素晴らしいことか分かりますか。ほんとうに嬉しい。5回人生があったら、「5回とも違うものをお腹いっぱい食べて、 5回とも違う仕事して、それで、5回とも同じ人を好きになる」というBLEACH井上織姫の言葉。私は100回人生があって同じ人を一度も好きになることがなくっても、何かの間違いで毎回この音楽に出会ってしまうだろうし、毎回好きになるだろうなと思う。

長尺新曲だらけの今回。どの曲だってハズレはない。こうしてまたライブでしか聴けない曲が増えて、音源が出たらまた聴きまくって、たくさんの思い出や感情が生まれるんだ〜。セトリは分からないけれど、アンコールだけはしっかりとわかる。『銀河』もうしばらく聴くことがないと言われ、それだけで切なくなった。聴くだけで、記憶が思い出が火のように香ってくる込み上げてくる、熱を持った記憶が。初めて出会った時も初めて鋭児で泣いた時も銀河だった。どうしても堪えることができなかった。記憶は美化されると言うが、あまりに美しすぎてこれ以上に美化されない、そのままを同じように何度も思い出すんだろうな。銀河がなくても正直、鋭児のどの音楽も大好きだから全然いいんだけど、やっぱりしばらくないと分かって聴くと少し特別なように感じてしまうね。本当に、どうしようもなくかっこいい。何を言っても言葉が薄く感じてしまう、それくらいに濃くて良いライブだった。

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今日は1人で行ったけれど、たくさんの人が話しかけてくれて、初めて会う人たちとも仲良く話せて、温かかったな。沢山可愛がってくれて、もうみなさん大好きです、、、

ほんとうに良い空間だった。どこか、お伽噺の世界のような。現実にはどこにも存在しない、初めて見た時に書いた遠い神話のような、誰かの夢の中の光景のような。そして、その非現実めいた印象の中に、ときおり寒気が走る。これは一体なんなんだ???SKID、鋭児、鯱、nastie、彼らから作り出される空間に一筋の恐ろしさを覚えるのは、作り込みの痕跡に、求める世界を具現化しようとする透徹した欲望に、身ぐるみ飲み込まれそうな気がしてしまうせいかもしれない。彼らはなにも、人を怖がらせるつもりはないだろう(あたりまえであるが)。しかし、彼らの作り手としての欲を、そのシンプルでな真っ直ぐな強さを前にすると、思わず怯んでしまった。スタッフやアーティスト、その他の私には見えていないけれど関わっている沢山の人たち。それぞれが協力して、とかではなく、それぞれ、ではなくて、きっと全部でひとつ大きなチームだから、だから全てに飲み込まれてしまったんだろうな。
居場所とか本当の自分とか本当の愛とか優しさとか、もうそうゆうのって一生わからないし、多分これから嫌でも向き合って、胃を痛めながら、失っては抱きしめてを繰り返すんだろうな〜。こればっかりはどんなに賢いクイズ王でも世界的な学者でも神様だってきっと分からない。それなのに、この空間は居場所であると思わせるし、ここにいる私が本当の自分であると思わせるし、彼らから受け取る愛や優しさが本物だと思う。違くたって私は信じていたい。

本当によかった。終わらないでと何度も願ってしまった。まだ余韻の中にいる。これからどんな躍進をするのだろうか。忙しくなってあまりライブに行けなくなって、そのうちにチケットも取れなくなって、すごく大きな所で演奏して、そうなってもずっと見続けていきたい。これ以上ないほど良かったけれど、これ以上を作り出していくんだろうな。心から、ほんとうにありがとうございました。おめでとうございます。

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