【taboo持ち寄り会 vol.21 恋人や夫婦のパートナーシップ 20240902 】 イベントレポ文責:Aki iwaya、糟谷明範さん加筆予定

taboo持ち寄り vol.21 恋人や夫婦のパートナーシップ
日時:2023年9月2日 (月)20:00-21:30
場所:調布方面の個人宅
参加:10名ほど @ドネーション制
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【恋人や夫婦のパートナーシップ】と聞いたあなたのなかの反応したなにか。言葉になる部分とそうでない部分。
いや、いずれにも収まらないところ、あったりしませんか?


るんるんるるるん〜、アキです。

おおまかにいって、社会からの承認を志向したパートナーシップとそれ以外がありそう。プレッシャー?みたいな。
人に言う必要ってあるの? 聞かれてもこたえたくないな。

結婚には人間的な資格がもとめられそう。まだはやいのかも、でもどうやって判断したらいいの。
制度に自分を当てはめにいくことで、安心と窮屈が同時にやってくるのでは。パートナーシップだけでなく、枠組みで人間関係を名付けたくない、押し込めたくない。事後的にやってくるものが、本質ではないのかしらん?

友情婚と友情の違いがどこにあるかわからないんだよね、
重婚ってのもあるよ、制度としてはないけど実態としてね。事実婚と「正式な」「普通の」結婚ってどう違うの?パートナーシップ制度によって結婚しても、正式な結婚と同等の権利が認められないっていうなら、何のためにするのだろう。
結婚すると、個人と個人以外の「家庭」という単位での主体が生成されて、その扱いに戸惑っている。実感がもてないものをハンドルしていくことはたやすいものではない、教習所があればいいのかも。

終わることがわかっている関係は、そもそも始めたくないよ。そんな関係の維持のために、心理的・時間的コストを払う意味がわからない。
仕事での関係のためなら払ってもいいけれど、プライベートでの関係では払いたくない。
そうなんだ、自分は逆だな〜

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常に「いい感じ」の印象を相手に与え続けるのは大変だし、相手が期待し、依存するようになると、関係が偏ったまま硬直する。
だから、私は「いい感じではない感じ」「よくない感じ」をウイルスのように注入するようにしてるよ。
同様に、「いい感じじゃない」人や感覚との接触も、人生に意図的に入れ込むようにしてる。するといい感じの輪郭が解像度高く掴めるようになったり、意外と「よくない感じ」の根拠が不明だったことに気づいて、楽しくなることも。

社会的に名付けられた状態を「ゴール」として設定してしまうのは、本末転倒ではないか。本来の、正味なところでは。
なのにそんなことをするのは、名付けという、言葉=個人ではなく集団間で流通する概念に翻弄されているということなのかもしれない。

普段その概念について話さないことで、あるいは同じような考えをもっているだろうと事前に想定している相手とだけ話すことで、あるいは話すだけでもコストが発生すると見積もっているあなたによって、この溝は埋まることなく次世代にバトンされていくのかもしれない。避けれ続けた溝はいつしか、「呪い」のように忌避されていく。

だが呪いは外気に触れることで、その力を失うことがある。複数の他者による視線とは、外に漂う空気である。外気に触れられることで、呪いを保存してきた湿度が中和され、効力を失うこともあるだろう。
扱いに手こずりがちな「空気」の能動的な活用法の一つとして、選択肢に加えてもいいんじゃないかな?

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頂いたお気持ちは、今後の活動の原資に致します。