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困難の乗り越え方について考える

自分はなかなかの気にしいで、心配性、ビビり。そのくせ喜怒哀楽は敏感で自分でも自分に疲れてしまうことが多くある。

そんな自分が今親になって子供を育てているわけだけど、元が心配性なので娘の行く末が心配だ。

社会的な立ち位置…とか容姿が…とかではない。私にとって娘はそのままで何も問題ない。どんなことになっても愛おしいのではないだろうかと思える。

心配なのは娘にこれから待ち受ける「困難」だ。

小さなことから言えば
プールの時鼻に水が入ったら痛いよな
とか
転んでひざを擦りむいたら服着るとき痛いよな
とか。

もっと大きいことだと
友達から無視されたら辛いよな
誰かに心無いことを言われたら辛いよな
とか
顔が、髪質が、体が、頭が…等々自分と周りとを比べた時、コンプレックスを抱えてしまうのは苦しいよな
とか

きっといずれも自分が経験してきて体や心が傷ついてきたから鮮明に思い出せるのだろう。それらを娘もこれから経験したりするのかなと思うと苦しくなる。
娘にできるだけ悲しみのない世界を生きてほしくてたまらない。

でもどうしても乗り越えなければいけないときがあるんだよな。それも一人で。


じゃあどうすればいい?色々考えてみることにした。

まず私はどうだっただろう。
もう無理だと思ったことは何回もあるな、こんな人生だったら、私がもっと可愛かったら、と卑屈になることもあった。正直今でもしんどい場面はたくさんだ。

でも結果としてヒーヒー言いながらもなんとか生きてる。気づけば小さな困難を事前に防げるようになっているし、起こっても何かしらで解決できている。なんとかなっているのだ。


もしかして何かが起きた時、もうダメだと思ったとき、以下のことを忘れなければ何とかなるのではないかだろうか

何事でも
・対処できる
・必ず終わりがある
・逃げられる


悩みもがいていた容姿のコンプレックスはメイクや髪型、服装で解決することができた。それでも解決できなかったことに関しては受け入れるという選択も身に着けた。
また、自分に降りかかるストレスは自分を労わることで解消できることも知った。


重い風邪をひいた、猛烈な腹痛に襲われた、ずっとは続かなかった。
いじめを受けた、悪口を言われた、気づけば環境が変わりそのような人達と関わらなくなった。
物事には終わりがあった。


とんでもない彼氏がいた。
気持ちが辛くなる職場にいた。
嫌だったので逃げた。逃げて変なことは起きなかった。むしろ幸せになった。


対処して、時の解決を頼り、逃げてきたことで
今の私には、私に良くしてくれる人と自分が望んだ環境が徐々に残っていったように感じる。


娘が私と違い楽観的な子だったとしたら、こんなに考えたこともただの取り越し苦労になるかもしれない。それはそれで結果オーライ。


でももし私のように何か悩んだり人と比較してしまったり、人生が辛くなるようなことがあるのなら私と一緒に何か選択肢はないのかを考えてほしい。


いずれは一人で考え、行動して乗り越えられるように。


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