スライドの使い方
今日は乗馬レッスンの直後に短い会議があり、帰宅すると間に合わないので、ポケットWiFiとPCを車に積んで、車の中から会議に参加。いつもの駐車スペースは馬の真ん前。よく携帯で電車の中から参加する人がいるけど、まさかこんなところから東京とインドに向けて通訳しているなんて、誰も想像だにしないだろうな。ちょっと愉快な気分。
翻訳?
パワーポイントにものすごく小さなフォントが使われている資料を訳している。日本語だと漢字を使ってコンパクトに表現できるものも、英語だとそうはいかない。なるべく短い英単語を選び、行間や文字間隔を詰めたりして、なんとか元のスペースに収める作業をしながら、これは翻訳なのだろうか、とふと思う。
削ぎ落とす
IT業界で通訳をしていると、スティーブ・ジョブズの下で働いていたことがあるという人に会ったりする。AppleがiPodやiPhoneを発表した時のスティーブ・ジョブズのスライドを見たことがあるかと思うが、初版からあそこに投影されるまでに更新を重ね、最終版は203版とか、300いくつかとかにまでなるのだと話してくれた。単なる順番の並び替えもあるとは思うが、そこまで考え抜いたスライドには単語が1つとかいうこともあったと思う。
これが正しいスライドの使い方だと思う。削ぎ落として、伝えたいことだけを投影する。こんなスライドだったら、とっくの昔に翻訳は終わっているんだけどなぁ。
忘れられない
翻訳に限らず、通訳の場でもプレゼンの資料はつきもので、これまでにおびただしい数のプレゼン資料を読み、見てきた。その中に、1つ忘れられないものがある。
2000年だったと記憶している。当時、ITの世界で注目されていたイスラエルでの会議だった。今では信じられないかもしれないが、携帯電話に将来はあるのか、とか、パソコンの普及にも時間がかかっているのに、携帯電話は普及するのか、とか真剣に議論されていた。賛否両論あった。そんな中で、すっくと立ち上がった人がいて、静かになるのを待って見せたのは1枚のスライド。
手元にないので、インターネットから近しいものを拝借してきたのだが、こんな写真だった。
嘆きの壁に向かって頭をつけて祈る。これが本来の姿なのだが、この右側の人の右手に携帯電話が握られていて(もちろんガラケー)、この聖地に赴いて祈りたいのに、それができないユダヤ人のために、携帯電話のスピーカーを壁に向けて持ち、電話の向こう側から祈ってる、そんな写真だった。
ものすごいインパクトがあった。誰もが、携帯電話の将来を確信した瞬間だった。肌を出したままでは入れない、それはそれは神聖な嘆きの壁(半ズボンの人は入口で長いスカートのようなものを着用させられていた)で明らかなニーズがあって利用されている携帯電話。たった1枚の、文字も何もないスライドだったが、これまでで一番説得力のあるプレゼンだった。
まぁ、写真だけのスライドでは翻訳の出番はないわけで、こうして仕事を得られる喜びを噛みしめなさいってことですね。頑張ります。