ツツドリ
先日、荻伏神社のすぐ近く、このあたり(この写真は今日撮ったもので、後ろに木々で覆われた山がある)でツツドリの声を聞いた。
アラーム?
数年前に北海道で外乗していて、初めてその鳴き声を聞いた時、誰かの携帯電話のアラームが鳴ってない? とキョロキョロしてしまったほど。電子的で、狂いのない一定の刻みで聞こえてくる。姿は見たことないけれど、会えないかなぁと散歩してみたが、今日は聞こえてこなかった。
これも今日撮った写真だが、この木々の中にいたのではないかと思う。今日も肌寒く、桜がまだ綺麗だ。
ノビタキ
これはノビタキだと思う。写真が下手すぎるけど、胸のあたりがオレンジだった。すごく可愛い鳴き声だ。
鳥は苦手
軽井沢に住むまで、あまり鳥に興味がなかったし、駅前の広場にドバトがたくさんいたりするのが苦手だった。が、軽井沢では色々な鳥の声が聞こえて来る。イカルの声で目覚める朝は幸せだったし、遠くでカッコウの声が聞こえるだけで、深呼吸したくなったし、夕暮れにアオゲラの声が聞こえると、ちょっと怖くて、日本昔ばなしの山姥がどこかで包丁を研いでいるのではないかと想像したりした。東京にいる時より、空間がぐんと広がって(多分人間の密度が低くなるからだと思う)、そこに一緒に住んでいる住人同士のような親しみを感じるようになった。
名前
実にいろんな鳥がいて、鳴き声が違う。姿が見えないけれど、鳴き声をよく聞くということも多く、あのぉ、そちらで鳴いているあなたのお名前は? と聞きたくなる。もちろん聞いても答えてくれないから、ネットで調べる。ずっと聞こえていた鳥の名前がわかるとすごく嬉しい。
母国囀?
鳥同士はどうなんだろう? 鳴き声が違う鳥がいても気にならないのかな?耳に入ってこない? 興味なしって感じなのだろうか。通訳の仕事をしていると、色々な言語の人と話すし、色々な国に行くけれど、いつも面白いなと思うのは、外国を歩いていて、母国語の日本語はほんのかすかなヒソヒソ話でも、確実に聞こえて来ることだ。脳にまで到達する感じ。が、自分が理解できない言葉だと一生懸命耳をすましても、流れて行ってしまう感じがする。無意識、本能に近い形で、脳が取捨選択しているのだろう。(IT的にはメモリの節約、不要な処理は行わないってことだわね。)
勘違い
かつて、週明けにインドネシア人が、「コーランが聞こえて来た」と話して来たことがあった。日本でコーランが聞こえて来るはずがないと訝しがる私たち通訳に、絶対に聞こえたと主張。その後、一緒に銀座を歩いていた際に、「焼き芋〜」と聞こえて来た時に、「ほらね!」と勝ち誇ったように言われて、悪いと思ったけど、吹き出してしまった。焼き芋売りとコーランはトーン(こぶし?)が一緒らしい。周波数で測定したら、もしかしたら合致するのかもしれない。鳥たちにもこんな勘違いってあるのかなぁ。ツツドリが携帯のアラーム音に反応するとか? ツツドリと携帯でセッションができたら、楽しいだろうなぁ。