002今後次のステップへ進むあなたへ
何を書こうかなぁ~といつもネタを探すようなこの感覚とても好きだったなと思いだした。
かつて、キャンディブーケ作家としてネットでお仕事を受注するようになってから、ブログを毎日書いていたのだ。もう5-6年前になるだろうか。
毎日ネタを探して、可愛く素敵に写真を撮ってだれかに報告する日記。いいねコメントがついたり、楽しんで読んでくれている人ができたりしてとっても楽しかった。
純粋にハンドメイドをコミュニケーションとして楽しんでいたけれど、いつか協会を立ち上げたり「立場」ができるとそれが難しくなってしまった。個人的見解。
このnoteのアプリには、2019年からつい最近の投稿までに、割りとしっかり書かれた投稿の下書きが存在する。その数、15件ほど(!わたしも自分でびっくり)。挿絵までしっかり選別されていて、あとは公開するだけなのに。
これは、わたしが純粋に文章を作った後に怖くなって投稿することが出来なかったというのが理由。影響を恐れてとかそういうおこがましい考えではなく、その当時誰かの目につくことが怖いと思った。
今思っていることをそのまーんま垂れ流すと、関係者で混乱する人が現れたり。そのまんま受け取って行動してその責任を私に求めてきたり、発言が無責任だと誤解をされて袋叩きにあったりもした(炎上のような感じだ)から。
政治的な発言は敬遠されるし、団体の意見だと思われるからそれは言わないほうがいいと、仕事上の付き合いのあった先輩に言われたこともあった。それは心の深いところで深く刻まれて今でもできないかもしれない。
発言に責任が生じたのだとおもった。普通の主婦で1作家だった私、純粋に作品でコミュニケーションを取りたかった私が、その先を目指した、その洗礼なのかもしれない。
このコラムを読む方の中にも一介のクックパッドユーザーだったり、1個人で食べログ発信していたり個人ブログやSNSを発信している人がいるとおもう。その自由な表現が立場とともに、変わってくることを伝えたい。
これから何かを頑張ろうとすることは誰かを巻き込む、その自認したほうが、よいかもってこと。発信はしていかないといけないけど、伝え方が変わってくる。
わたしは、こういうの誰か教えてよ―と思ってたから(笑)
今はオンラインサロンの立ち上げで、文章を書く=私の思考を言語化するということを継続してみようと思っている。
その中で、誰かが何かについて考えるきっかけだったり、考えを比較したり、何かが生まれたり、そんなふうになれたらそれでいいなと思う。だからある程度調べて発言はしようとおもう。丁寧に、気軽に更新していく。
コラムをまた書いてみたいと思い出せたことが、それがまた自分の成長だなぁと思う。ある意味、リハビリなのかもしれない。そして逆に、もんのすごく影響力を持ったらなんでも言えるようになるのかもしれないね。
影響力を持ちながら、赴くままに発言することが自分に許されるのはどんな段階を経るのか。ちょっと観察してみたいとおもう。
そして、ここでしっかり考察をしたいとおもうので、お付き合い下さい❣
また、書くね❣
近所の喫茶店からスマホで更新
れんタママ おおさとまどか
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