元号を楽しもう
昨日は日本全国、「令和」一色な1日だったのではないだろうか。
令和。
個人的には、具体的な新しい元号を想像することも、想像できてもいなかったのだけれど、令和と聞いたとき、ちょっと意外な感じではあった。
でも30年前、子どもながらに「平成」と聞いたときも、たぶん最初は意外に感じていたのだと思う。
意外だからこそ新しい元号なんだなぁ、とも思う。
さて、令和に決まってから、Twitterを見ていたら、いろんな意見や情報が飛んだけれど、正直とても緩くて楽しい気持ちで笑顔になった。
文選~万葉集の流れ、春の薫りが漂ってきそうな面があり。
国書か漢籍か、と目くじら立てる意見も見られる中、このような↑寛い(ひろい)意見を見ることが出来たり。
漢字そのものに着目すれば、こちらの方↓とか、もうすごいミラクルだし。
カズレーザーさんはニアピンの和令さんだったり。
他にもたくさんの"令和"さんが、このちょっとした偶然の一致に沸いたようだ。
また、令和をアルファベット表記したときのことを考えて、
とか、年齢制限のレーティングシステムのR18にかけて、令和18年生まれの人のことを心配してみたり。
また、株式市場でも、
こんな動きがあったり。
そして、今どき元号とか、西暦に直すのめんどくさいし、ややこしいから使いたくないけどという人もいるなか、
さっそくこんな方法を発見している人たちがいたり。
とにかく、どこでもかしこでも「令和」祭が巻き起こった1日だったのだ。
平成のときは、民間人が知り得る情報媒体と言えば、まだテレビ、ラジオか新聞か、の時代で。
テレビの緊急速報で、昭和天皇の症状が刻々と変化していくのが定期的に知らされ、お正月早々の崩御のあと、とてつもない自粛ムードの中の、神妙な新元号発表だったのが。
今回は、こんなに緩く、和やかに、楽しめる新元号発表となったのだ。
まさにそうだと思う。
今上天皇の深い思慮を感じられた1日だったと思う。
今回は、その今上天皇の国民を思う大きな心から始まったこの動きである、ということを考えれば、これだけ様々な角度から「令和」を楽しめた人たちは、しっかりそのお気持ちに応えられたのではないかと思う。
万葉集が中国の文選のパクリだと揚げ足をとったり、「令」の漢字のマイナス面ばかりに注目したり、ケチや文句をつけるだけつけている人も、まぁ、その人たちなりの楽しさなのかもしれない。
そんなケチをつけられる、さらなる気持ちの余裕すら、私たちは今回、与えてもらったのかもしれない。
とにかく。
今上天皇のご在位の「平成」もあと1ヶ月弱。
「平成」も「令和」も、1日跨ぐだけで、何かが大きく変わるわけではないけれど、何事も楽しんでいきたい。