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「北風と太陽」の本当の意味

「北風と太陽」、私が昔から大好きなイソップ物語(寓話)だ。

ほとんどの方はご存じの話だとは思うが、一応、簡単にあらすじを書かせていただくと、

北風と太陽が、どちらが強いか競うために、旅人のコートを脱がせた方が勝ち、という力試しで勝負をする。
北風は旅人に激しく冷たい風を吹きつけ、コートを吹き飛ばそうとするが、旅人は、さらにギュっとコートを押さえ、さらにもう1枚服を上から着込もうとする。
一方太陽は、ポカポカと暖かい日差しを向け、旅人は暖かさから暑さを感じ、自らコートを脱ぐ。
太陽の勝利。

そして、ここの童話の教訓としては、

「無理やり人の心をを動かす事は出来ない」
「人を動かすためには強引に接するよりも、優しく、思いやりを持って接しよう」
「物事に対して厳罰で臨む態度と、寛容的に対応する態度、どちらが効果的なのか」

このようなものが一般的なのではないだろうか。

私自身も、この話を知ったとき、人に対して「寛容」であることを大切にしていこう、そう思った。

仕事で後輩を持ったとき。
実際に子どもを持ち、子育てというものをする身になったとき。
その折々で、自分と相手の感情や思考の理想と現実に向き合いながら、根っこのところで、「寛容」というものを信じて、試行錯誤しながらも、自分なりの「寛容」を考え、実行に移してきた。

そんな中。
この「北風と太陽」には、実は「北風が勝利する、もう一つの勝負」というエピソードがあることを、最近知った。

実は、太陽が勝利した「コートを脱がせる勝負」は2番目の勝負であった。
その前に、1戦目として「旅人の帽子を脱がせる勝負」があり、その勝負には、北風が勝っているのだ。

太陽は、旅人の帽子を脱がせるため、暑い日差しを旅人に降り注ぐ。
しかし、旅人はその日差しを遮るために、帽子を、さらに深くしっかりと被ってしまう。
反対に北風は、旅人の帽子を激しく冷たい風で吹き飛ばそうとする。
結果、帽子は旅人が押さえる間もなく、遠くまで飛んで行ってしまった。
北風の勝利。

これが、私たちがよく聞く「太陽の勝利」の前部分に書かれているというエピソードだ。

「人を動かすためには強引に接するよりも、優しく、思いやりを持って接しよう」
そういう教訓を伝えたい、教えたいと思った人々にとって、ちょうどよい一つのたとえ話として、2戦目の太陽の勝利部分だけが切り取られ、有名になっていったのだろうし、実際、この考え方の良さを実感したり、その考えに救われたりした人が多かったからこそ、ここまで世界的に広まったのだとは思う。

それはそれで、大切なことだと思う。

しかし。
この寓話を書いた人の本当の意図は違った、という事実も、見逃せない大切なことだ。

1戦目、2戦目と、北風も太陽も、各々の戦い方を変えていない。
それでいて、一方では勝利し、一方では負けている。

2戦目だけ見ると、太陽のやり方が「効果があった」という話になるが、1戦目では北風のやり方の方が「効果があった」のだ。

これを教訓という観点に置き換えてみると、必ずしも「寛容」がいつも効果をもたらすとは限らない、ということになるのではないだろうか。

同じ旅人が相手でも、脱がせるものが「帽子」と「コート」という違いがあり、その違いによって、効果的になる方法が、違う、そういうことになる。

また、寓話には出てこなくても、こういった場合もあるのではないだろうか。
別の旅人が登場したとしよう。
その人は、帽子を太陽に照らされて、最初は日差しを遮るために、同じように帽子を目深に被りなおすかもしれない。
しかし、だんだんと熱気で頭が蒸れてきて、たまらなくなって帽子を脱ぐかもしれない。

またある旅人は、コートを肩に引っ掛けていただけだったので、北風の風の一撃で、押さえ込む間もなく、敢えなく飛ばされてしまったかもしれない。

イソップ寓話では、わかりやすく単純に2番勝負、という形で、そのことが表現されているだけなのだろう、と思うが、実際には、様々な物事に対し、様々な状況下で、様々な反応をする人がいて、その組み合わせは無限なのだ。

だから、この寓話の本当の伝えたい教訓の意味とは、

「物事に対して厳罰で臨む態度と、寛容的に対応する態度、どちらが効果的なのか」ということではなく、

「その物事、人物、環境、状況に合わせ、臨機応変に対応できる柔軟さが大事だ」

ということなのではないだろうか。

この物事の場合は、この人の場合は、この状況の場合は。
今回はどちらが最適なのだろう、

それを見極めていくこと。

見極めるためには、様々な状況や、様々な人のタイプ、反応を知らなければならない。

それが人生における経験値なのだろう。

また、一人の人生において、経験できるそれらは、本当に限られている。

そのとき、疑似体験させてくれるもの、それが小説を読むことであり、ドラマを見ることであり、映画を見ることであり、Twitterやnoteで、たくさんの方々の生き方、考え方、対応を垣間見ることだ。

疑似体験によってその存在や輪郭を知ったもの、そして、これまでの自分自身の経験値、その2つを基軸として、実際に、人生の人との関係の中で、何度も試行錯誤しながら、見極める心を錬成させていく。

* * *

私が「北風と太陽」の本当の教訓を展開させていくと、結果、私の中では、こういうことにたどり着いた。

今まで「寛容」ということに関して、この「北風と太陽」という話を胸に刻んできたが、それは単なる選択肢のひとつであって、大事なのは、いつ、どのような状況において、どんな形でその「寛容」という態度を出すのか、もしくは出さないのか、むしろ、そちらのほうが大切、という話なのだ、と新たに胸に刻むことが出来た。

「北風と太陽」、さらにさらに、大好きな話になった。

[2020年5月18日 追記]

こちらのコメント欄にて、この北風と太陽のもう1つの戦いについて、実際に書籍・資料としてどこにも存在していない、ということを教えていただきました。(ありがとうございました。)

これを書いたときは、そういう情報をネット上で数件見つけただけで、ほぉ~!という単純な感銘を受けた気持ちや考えをつらつらと書いただけで、情報の裏取り(というのでしょうか?)、そういうことは全くしませんでしたねー。

どこから出てきた情報なのか、全く気にも留めずにいました。

そういうのも大事だなぁと感じる出来事でした。

でもまぁ、そのときの私の思考と感想ということで(笑)

でも、このnoteを読んでくださった方には、そういう背景や、しっかりした情報をフェアに提供しておいた方がいいと思うので、追記させていただきました。

下記URLリンク先もご参照ください。

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000222112

それにしても、もう1つの戦い、どこぞの誰かさんが考えたとしたら、その人、すごいなぁ(笑)

誰か、出所を調査してほしいです(笑)(自分でやらないんかい)







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Marni (まるに)
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