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スピリチュアルじゃないけど、娘に後光が射して見えた日
娘について書きたいことは、たくさんある。
「天使」と呼ばれた生まれてから1歳児期間。
2歳の自我の目覚めビッグバン。
魔の2歳児からの鬼の3歳児。
言いたいことを言える子と思われるキャラなのに、実は肝心なことは伝えられず、内に秘めて勘違いされた幼稚園、小学校低学年時代。
私とは違う娘の人格に翻弄されながら、その個性をみつめながら、良き学校の先生方に恵まれて、本人がつらく感じる部分は、上手くサバイブ出来るよう、体験からの教訓を共に考え、良さはなるべく壊さないように、曲げないように、一緒に歩んできた数年間。
ここまでの一つ一つの出来事は、どれをとっても私の心の中で、様々に輝いていて、いずれそれを少しずつまとめていきたいな、と思ってもいる。
でも、まだそれは今ではない、とも思っている。
今日は、一番最近の、娘に後光が射して見えた出来事を書いてみたい。
* * *
私たち夫婦は、似た者同士のような、正反対のような、不思議な関係で、普段はわりと楽しく時を重ねている。
しかし、お互いの体調や状況が悪いとき、些細な正反対から、お互いの主張争いが勃発する。
先日も、きっかけは些細なことで、夫婦喧嘩になった。
普段は流せることが流せず、お互いの主張に固執してしまい、お互いに「人格否定だ!」と傷つけ合い。
また、傷つけてしまった自分への自己嫌悪もそれぞれ大きくなり、最近、喧嘩毎にだんだんエスカレートしていっていたこともあり、お互いに、大の大人が、部屋を別にして各々大泣き(!笑)する事態にまで発展した。
私は洗面所で泣いていた。
喧嘩はしたけれど、夕飯時になり、娘もいるし、ご飯は食べないとな、と、晩御飯を作り、「とりあえず、ご飯食べよう」と寝室にいた旦那氏に歩み寄ったつもりだったが、旦那氏をさらに泣かせてしまった。
これは、いつも以上になかなかに傷つけてしまったのかもしれない、と激しい自己嫌悪に陥り、「ごめんなさい、傷つけてごめんなさいー」と号泣謝罪しながら寝室から出て、洗面所にこもって、泣いていた。
娘は、やっていた勉強など手につかなかっただろう。
そして、いきなりの私の号泣謝罪と、しゃくり上げるほど泣いている状況に驚いたであろう。
しばらくすると、泣いている私のところに、娘がやって来た。
洗面所の床で三角座りをして、しゃくり上げて泣いていた私の腕に、娘は手を置いてきた。
私が顔をあげると、私を覗き込む娘の顔が目に入ってきた。
そこにあったのは。
私が想像した「心配げな、不安そうな顔」ではなかった。
「ヘラヘラして機嫌を取ろうとするようなおどけた笑顔」でもなかった。
ましてや「怒りに満ちた不機嫌顔」でもなかった。
そこにあったのは。
ただただ、無垢で優しい眼差し、口角が自然にゆったり上がった口元を称えて、私に微笑みかけている娘の顔だった。
そんな娘の顔を見たのは、初めてだったかもしれない。
でも、どこかで見たことのあるような、どこか懐かしいような、心が温かく、軽くなるような、救われるような顔だった。
仏だ…
神だ…
心の中で、本当にそう感じる私がいた。
普段、神や仏の存在は、それが人の心の中なのだとしても、何かしらあるな、とは思っていても。
日ごろ、周りの人からの厚意に対して「あの人、マジ神!」と感謝することはあっても。
ガッツリと、抽象的に、その存在を感じたことはあまりなかった。
でもこのとき、娘のその顔に(文章力、語彙力の無さ故に、しっかり表現できないことが歯がゆい…)、本当に温度を感じ、光を感じた気がした。
何かしらの言葉をかけるわけでもなく、ただただ、その微笑みを絶やさず、娘は私の顔を優しく見つめてくれていた。
私も笑顔になった。
娘はその後、寝室の旦那氏のところにも行き、そこでは何か会話をしていたようだが、私と旦那氏、二人に対して、同等に関わってくれていた。
二人の大人の心が、癒されたのだ。
* * *
娘が優しい心を持っていることは、小さい頃から知っていた。
でも、こんなにも「慈悲」という言葉が当てはまる笑顔を、いつどこで身に付けたのだろう。
幼稚園、小学校低学年で、娘が、自らの思いと周りとの間で、幼いからこその粗削りなやりとりで、辛い思いをし、そこから少しずつ学んできていることは、感じていた。
それが、3年生を過ぎる辺りから、効果として現れ始め、娘がステップアップしていることも、感じていた。
だが、そんな軽いものではなく、元々の個性としての優しさが、知らない間にギア4くらいになっているのを、このとき初めて実感させられたのだ。
娘の名前について、ここでは明かせないので、読んでいる方には「なんのこっちゃ」感しかないだろうが、夫婦二人にとって「名は体を表す」を見事に見せてくれたな…とも感じた。
スピリチュアルとか、嫌いではないけれど、はまっているわけでもない私の中で、娘に後光が射していたように見えた。
両手を合わせたくなるほどの体験だった。
* * *
私たち夫婦は、少し冷静になったところで、夜中話し合い、翌朝、さらに冷静になり、謝り、素直に歩み寄ることが出来た。
そして、娘には、謝り、感謝を伝えた。
喧嘩をしたこと、不安にさせたこと、対等に寄り添ってくれたこと。
家族の絆は、結果、深まった。
* * *
ここで、私の子供の頃の話を思い出してみる。
私は、両親の夫婦喧嘩のとき、どうしても日頃から話を聞いている母の味方についてしまう傾向があった。
喧嘩になると、父にたいして文句を言ってしまったり、言わないにしても、母を慰めたり、愚痴を聞いたりする側に回っていた。
大人になって思う。
あれは父にとっては辛かっただろうな、と。
日頃から私が、母の愚痴の聞き役だった、という前提もあったのだろうな、と思う。
確かに父は、なかなかに片寄った考えの持ち主である。
そして、母が父に対等に意見を言い合えない空気を、父が作っていた、という背景もある。
だから、致し方なかったかな、とも思うところもあるが、母も、時代や、慣習や、夫婦の関係性に流されて、境遇を受け入れて来てしまったところもあるのかな、とも思う。
まぁ、難しい問題だから、ここで解決することはないだろう。
ともかく、そんな教訓から、私は、旦那氏の愚痴を娘にこぼすことはしない、と決めていたし、してこなかった。
娘にとって、旦那氏は父親なのだ。
母親と同じくらい大切な父親なのだ。
そして、たまに正反対なこともあるかもしれないが、私にとって、大切な人なのである。
この日、少し私の中で、過去の私が昇華されたような気がした。
* * *
「子供の前では夫婦喧嘩を見せない」という主義の人もいるだろう。
両親の喧嘩は、子どもにとっては、嫌なもの、苦痛なものであると認識は、私の中で、もちろんしっかりとある。
でも、夫婦が当人同士お互いに、堂々と真正面から対等に意見をぶつけ合うことは、悪いことではない、ともある。考えている。
だから、夫婦喧嘩については、私は隠すことなく、娘の前でしてしまっている。
本当は、落ち着いた議論、討論、話し合いという形が理想だが、そこは感情のぶつけ合いという形になってしまっている現状は、娘の寛容さに甘えてしまっているのかもしれない。
しかし、その部分も「理想だけでは語れない現実があること」や、「体調や状況、環境によって揺らぐ人間の弱さ、それを、大人であっても、そして娘自身も持ち合わせていること」や、「お互いの心の強さ、美しさだけでなく、醜さ、弱さごと、最終的に受け入れて、歩み寄っていける関係であること、ありたいこと、それが二人が歩み寄れば可能なこと」を、体験を通して感じ取り、刻んでいって欲しい、そう思っているところもある。
* * *
とはいえ、である。
「慈悲」の笑顔で癒してくれた娘は娘で、やはり夫婦喧嘩について、おもうところがあった。
しかも、その気持ちを、その喧嘩中に割って入り、私たちに怒ってぶつけるわけでもなく、紙にしたためていた。
「○月△日 また夫婦喧嘩。
お互い自己中。
自我をぶつけ合っている。
だから世界から戦争はなくならない。
どうして人は争うのか。
なにも出来ない自分が悔しい。
これは、次、夫婦喧嘩が起こったときに、開ける。」
これは、娘が翌日、ちょっとニヤニヤしながら私に見せてくれたメモである。
彼女は、怒らずに、争わずに、でも私たちに意思表示をした。
大人であった。
激しく大人であった。
ギア4、恐るべし、だ。
* * *
もちろん、ホルモンバランスの影響が出始めるお年頃。
娘からの日常の些細な反抗、口答え、不機嫌はある。
そのへんは、逆に安心できる要素だ。
そういうときは、こちらが大人力を発揮して、軽く交わしたり、機嫌を取ったり、たしなめたり、一緒になって怒ってみたり(笑)する。
そんな娘との日々。
正反対なようで、似ている旦那氏との日々。
私の大切な人たちとの、大切な日々。
これからも、それぞれに、ぶつかったり、癒されたりしながら、転がっていきたい。
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